第20話 約束 ※


《どういうおつもりですか、シスター》

《あら、ヒュウガ様。せっかくここまでのをして頂いたのですもの。こちらも相応のお返しを致しませんとね。そうでございましょう?》

《…………》

《こちらに『マリア』全員が集まっているなどと、いつ申し上げましたか? この<北壁>や、低級魔族の結界を破るぐらいのことならば、せいぜい数名もいれば十分ですしね》

《こんなことをして、どうなるとお思いか》


 マリアは微笑んだまま答えない。


《魔族側も人族側も、平民たちはみな、なんの罪もない人々だ。子供もいれば、老人もいる。病人もいれば、怪我人もいるんだぞ。それをむざむざ、トロルや魔獣どもに襲わせるのか。それで、あなたは構わぬとおっしゃるのか……!》

《あら。お言葉ですけれど。そのきっかけになられたのは、他ならぬあなた様にございますわよ》

 マリアはころころと笑った。

《魔獣やトロルに襲われる? それが一体、どうしたと言うのです。申し上げたはずです。わたくしたちは、ものも言えず、何もできないうちに理不尽に、八つ裂きにされて殺された幼子ですと。だれかが同様にして死んだからとて、なんら、同情の念など湧きませんわね》


 女の口から恐るべき言葉がつむがれるのを、俺は黙って見つめていた。

 口の中に苦いものが広がっていく。

 どうにもならない虚しさが胸を満たしていく。


 なぜ、だめなんだ。

 なぜ。


(……いや。わかっている──)


 誰にも望まれず、与えられたはずの命を無残にも奪われた、「小さき仔ら」。

 その恨みつらみは計り知れない。

 本来ならば、生まれてくることを心から待ちわびられ、優しい腕に抱かれて育ててもらえるはずだった幼い命。

 それをあんな風にして、惨めに奪われてしまったのだから。


 だれにも、愛されない。

 だれにも、望まれない。

 それどころか、邪魔だと思えば簡単に殺されさえする。


 そのことを、俺自身がきちんと自分のこととして理解できるかと言われれば、確かにむずかしいことだと思う。

 マリアが言った通りなのだ。

 俺は両親から望まれて生まれ、家族や親族から大事に思われ、育てられてきた人間だ。マリアから見れば、ただぬくぬくと、自分の置かれた環境に守られて育っただけの甘ったれた人間に過ぎないのだから。

 

──しかし。


 俺は掌に血がにじむほど、固く拳を握りしめた。


「……だめなのか。マリア」


 本当に、だめなのか。


「俺は、愛する。……きっと、愛する」


 そして思わず、隣にいたギーナの肩を抱き寄せた。

 ギーナも俺の目を見返し、しっかりと頷いてくれる。


「彼女と一緒に。……必ず、お前を大事に育てる。命を懸けて、お前を守る」

《…………》

「命ある限り。ずっと、そうする。……約束する」

《…………》

「それでも……ダメか」


 それは、気のせいだったかも知れない。

 だがその時、はじめてマリアの目の中に不思議な色が宿ったように見えた。

 今まで仮面のようだったその顔に、ぴしりと一筋の亀裂が走ったように見えたのだ。


《……ウソばっかり》

「え?」

《ウソばかり、だと申し上げているのです。これまで、こちらの世界でどれほどの時間が経ったとお思いですか? ……わたくしたちがその間、どれだけの人間に騙されて……裏切られて来たと?》

「…………」

《実際、これまであなた様と似たようなことを言う人は何人もおりました。それを信じて、あちらの世界へ転生した『マリア』もいないわけではありません。ですが、それらは大抵、裏切られて戻ってきました。……この意味、お分かりですわね?》


 「裏切られて」というのはつまり、「殺されて」という意味だろう。

 俺は暗澹たる気持ちになる。


《先ほど、マノン様もおっしゃいましたけれど。無事に生まれてきてもそのあとで、酷い目に遭う『マリア』も沢山いました》

「…………」

《好き勝手に生んでおきながら、育て切れずに殺される。大人の力で思うさま殴りつけられ、蹴り上げられる。寒空の下、下着姿で放り出される。平気で『お前など産むんじゃなかった』と言われ、『これは躾だ』と言いながら、何度も顔を水の中に沈められる。すでにガリガリにやせ細っているというのに、『お仕置きだから』と食事を抜かれる──》


 マリアの思念が燃え立つ怒りと情けなさにゆらぎ、ビリビリと震えているのが分かる。

 延々と続くその怨恨の弁は、聞くに堪えないものだった。具体的な虐待とネグレクトの話は、俺がニュースなどで聞くものよりもはるかに執拗で絶望感に満ちたものだった。

 まさに、怨念そのものだ。

 できることなら耳を塞ぎたい。それは、そんな話に満ちていた。

 だが、聞かないわけにはいかなかった。

 俺がここで彼女を受け止めることを諦めたら、恐らくすべてが終わってしまうからだ。


《他人から虐げられるなら、まだいいのです。でも大抵、幼子おさなごの敵は家の中にこそいたのです。子供にとっては逃げようのない、『家庭』という名のおりの中に》

「…………」


 見れば真野がまた、「へっ」とでも言いたそうな顔になって横を向いている。


《どうやって、信じるのです? 確かにヒュウガ様は、今までこちらに落ちてこられた中では相当毛色の違う方です。そのことは認めましょう。百歩譲って、あなた様ならばいいとしましょう。……それでも、他の方々まで信用する気にはなれません。ヒュウガ様とギーナ様だけではとても──とても、わたくしたちすべてを救うなど──》


 そこで珍しく、マリアは言葉を途切れさせた。

 眉根を寄せた苦しげな顔は、彼女が初めて俺に見せるものだった。


(マリア……)


 その絶望。

 その諦念。

 それが、明らかになった瞬間だった。


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