第18話 涙
ギーナはずっと、まっすぐに俺の目を見て、少し開いた形のいい唇を震わせている。ぽかんとしたその表情は、ごく幼い少女のもののように見えた。
俺はそうっと、彼女を抱いていた腕の力をゆるめた。
と、突然その顔がくしゃりと崩れた。
かと思ったら、次にはもう、彼女の桃色の目からどんどん熱いものが
「……う、ウソだ。そん、なの……」
「ひっ……ひぐ……ヒュ、ヒュウガ……ヒュウガがっ……!」
なんだかそんなことを言いながら、嗚咽をかみ殺そうと、必死で唇を噛んでいる。体の横でぎゅうっと拳を握りしめて、まるっきり小さな子供みたいに立ち尽くしている。
やがて次第にその声が大きくなっていく。本当に、ただの小さな幼子のような、わあわあいう泣き声に変化していく。
俺はひとつ溜め息をついた。
「……心外だな。この俺が、この期に及んでそんな嘘をつく人間だと思うのか」
ギーナは何も言えないで、ぶんぶん首を横に振った。
彼女の涙は
俺はどうしたものかと思いながら、そろそろとギーナから手を放した。別に「イエス」と言われたわけでもないうちから、あまり勝手に体に触れるのもどうかと思ったからだ。
「……返事を、聞いてないんだが」
ギーナはわんわん泣きながら両手で顔を覆ったままだ。もう何も言えないで、完全に俯いてしまっている。
俺は途方に暮れて、手持ち無沙汰になった自分の両手を、意味もなく少し見つめた。
こういう場合、どうしたらいいんだ。
俺にはまったく、絶望的に、こういう方面の経験値が足りていない。
と、頭の中ですっとぼけた声がした。
《え~っと。『余計なことかも知れませぬが』って、なんか外から言って来てる奴がいんぜー》
ガッシュである。
台詞の主は、どうやらマーロウらしかった。
俺はひと通りそれを聞くと、あらためてギーナに向き直った。
「ギーナ。
「…………」
「俺の申し出を、受け入れてもらえるだろうか」
長い長い、間があった。
ギーナはまだ止められない雫をぼろぼろとこぼしながら、しゃくりあげつつ俺を見あげた。綺麗な桃色の瞳のまわりが薔薇色に染まっている。
そして。
彼女はゆっくりと、ほんとうにゆっくりと、
俺に頷きかえしてくれた。
途端、俺の胸の中に何ともいえない温かなものが満ち溢れた。俺はそのまま両手を伸ばして、彼女の体を力いっぱい抱きしめた。
「……ありがとう。ギーナ」
腕の中で、ギーナの細い肩が震えている。
彼女はやっぱりなんにも言えないで、俺の胸に顔をうずめ、さらに高い嗚咽をあげた。
周囲に張り巡らせた音声遮断の魔法を解いた途端、周囲で歓声があがっているのがわかった。主に魔族軍、ヴァルーシャ軍の顔見知りの面々だ。
苦笑している赤パーティの二枚目連中の中で、ガイアがただひとり「やれやれ」とばかりに後頭部を掻いている。真野は呆れたように肩を竦めている。フリーダは腕組みをして、ことさらにしかつめらしい顔をしていた。それを見ているデュカリスが、やや困った顔で頬を掻いている。
と、ライラとレティの騎獣がするりとこちらに寄って来た。
「わーっ! やったにゃ! やったにゃああ~!」
「おめでとうございます、ヒュウガ様、ギーナさん!」
二人はもう、手放しで大喜びの
ギーナは慌てて俺の体から離れると、申し訳なさそうに二人を見た。
「あ……あの。ごめんよ……? 二人とも」
「え? なんで謝るにゃ? そんなの気にしちゃダメダメにゃ~!」
「そうですよ、ギーナさん。そこは胸を張っていただかないと!」
「あ……うん。そうだね……」
「んで、これっ。さっきギーナっちが落としたヤツにゃ」
レティがひょいとガッシュの背に飛び乗ってきて、先ほどの煙管をギーナに手渡した。
「あ、ありがと……」
よく見れば、確かに嬉しそうでありながら、ライラもレティもすっかり涙目になっている。必死にそれを隠そうとしているのがはっきり分かって、俺は胸に痛みを覚えた。が、それには気づかないふりをして、少し笑って彼女たちに頷きかえした。
と、足元から声がした。
《えっへっへっへー。なーんか照れるぜー。こっぱずかしー! ったく、ひとの背中でなにやってんだかなー、ヒュウガってばよー》
《あーっ! もー、ずるーい! それ、それ、リールーがやりたかったああ! もう、もうっ……ガッシュのバカー! 途中から出てきていいとこ取りばっかしちゃって、ほんっとずるーい!》
フレイヤたち三人を乗せたまま、リールーが翼をばたつかせてぐるぐる旋回しながら憤慨している。
《でも、おめでとー、ヒュウガ! でも、リールーは最初っから、こうなるってちゃ~んと知ってたけどね~? 言ったでしょー? 『おねーさんのココロはちゃ~んとキレイ』ってー》
そうなのか。
さすが上級ドラゴン、恐るべし。
と、耳の中で父ドラゴンの声が響いた。
《……さて。そろそろよいであろうか》
《まったく。余計な手間ひまのかかることにございますわね》
忌々しげな声は、もちろんマリアだった。
この顛末の間、マリアはずっとドラゴン夫妻の強大な魔力によって周囲を封じられていた。でなければこんなに長時間、この女が大人しくこれらのことを見ていたはずがなかった。
《おふざけもほどほどになさいませ。わたくしたちは、どこにも転生など致しません。人間など、下賤の極み。まったく信じるに足らぬ生き物にございますもの》
《さりながら。なにも、宿る先は人に限ったことにはあらず》
ゆったりと応えたのは父ドラゴンだった。
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