第13話 墜落


《お待ちください!》 


 キリアカイだった。

 彼女は虹色のドラゴンに乗り、俺のすぐ後ろにやってきている。


《あたくしは納得できませんわ。魔王様、お約束してくださいましたわね? その者を八つ裂きにしてくださると。そして、あたくしは申し上げましたわね? その者が無残に滅びるところを見なければ、おめおめと死ぬこともできませんと。それをっ……!》

 彼女の目は、いまや激しい憎しみに爛々と燃え上がっている。

《左様な甘っちょろい……まるで砂糖菓子のような結末! どうして許すことができましょう。どうしてうけがうことができましょうっ……!》


(当然だろう──)


 彼女にとって、愛する夫と子供を奪ったマリアこそ、不倶戴天ふぐたいてんかたきなのだ。マリアをその手で殺すまで、この女の復讐は終わらない。


《笑わせないでくださいましな。そんな過分の約束をしてやってまで、なぜ、そんな奴を癒す必要がございまして? いかに別世界で、酷い目に遭ったからといって!》

 キリアカイの目元や口元はぴくぴくと震えてひきつり、それでも皮肉な笑みを顔いっぱいに広げている。

 それはむしろ、俺には醜怪というよりは、ひどく哀れな笑みに見えた。

《その者は、この地で何百年もの間、好き放題に人を虐げてきたのですよ? だというのに、それでよいとおっしゃるのですか。『その者もつらい思いをしたのだから、もう許してやれ』とでも? 冗談ではありませんわ……!》

 

(しかし、それは──)


 俺は返す言葉に窮した。

 この女は、分かっていないのだろうか。実際、それはこれまでの彼女自身にも当てはまることなのだが。

 ごく客観的に見れば、彼女とて夫と子を失ってからこちら、自分の領地の人々に相当に無残な真似をしてきた女だ。そしてその動機の多くは、彼女の個人的な八つ当たりであったはず。彼女が吐き散らす恨み言は、彼女の領民たちが彼女に対して抱いた思い、そのままではないのだろうか。

 だが今の彼女は、そういう事実に目を向ける余裕もないようだった。


《だれもそやつに鉄槌を下すお覚悟がないとおっしゃるのなら、あたくしがそう致しましょう。ユウジン様とハオランの恨み、この手で晴らさずにおきましょうか……!》


 言うなり、その手にゴオオオッと炎熱の魔撃が作り出されるのを見て、周囲の兵らが色めきたった。

 そばにいた騎獣たちが、慌ててキリアカイから離れ始める。

 マリアは冷ややかな双眸をキリアカイに向けているだけだ。だがそれは、まるで小さな蠅でも見るような色をしていた。

 当然だ。彼女の力は、キリアカイをはるかに凌駕している。キリアカイ一人では、彼女にかすり傷のひとつも負わせることはできないだろう。返り討ちにあえば、キリアカイなどひとたまりもない。

 そう見て取って、俺は叫んだ。


「お待ちを、キリアカイ殿……!」

「お止めにならないでッ! これは……これだけは譲れませんわ。これはあたくしの長年の悲願。なんとしても、諦めることは叶いません!」


 言ってキリアカイはただ一人、騎獣を叱咤してマリアの方へと突進した。

 マリアがにやりと口角を上げる。


「あらあら。『飛んで火にいるなんとやら』──ですわね」


 女は、明らかに冷笑していた。

 俺はガッシュと共にキリアカイのあとに追いすがった。


「なりません! あなたお一人で向かっても、ただ犬死になるばかりです。どうかここは、冷静に……!」

「お黙りなさいッ……!」

 キリアカイは振り向いて、あらん限りの激情をこめて俺をぎゅっとめつけた。

「こいつが『可哀想』だから、何だと言うの? だから、許せとおっしゃるのですか」

 乱れた金色の髪が、その顔にばらばらと落ちかかっている。

「左様なこと、到底受け入れられません。それとも陛下はあたくしに……あたくしに、代わりにユウジン様とハオランを返して下さるとでもおっしゃるの!?」

「…………」


 俺はぐっと言葉に詰まった。 

 そればかりは、誰にもできないことだった。


「先ほどから聞いておりましたら、ここで死んだ者はどこか、別の世界で生まれ変わるのでしたわね。でも、だから何だというの? 生まれ変わったユウジン様もハオランも……もう、あたくしの知っている二人ではないわ。だって生まれ変わってしまったら、もう記憶もなくなるのでしょう?」

 キリアカイはもう、両目からあふれ出したもので頬をびしょびしょに濡らしている。

「あたくしのことも忘れて、まったくの別人として生きているだけでしょう。それは……それはッ! もはやユウジン様でも、ハオランでもないっ……!」


 最後にそう叫ぶなり、キリアカイは片方の手に現れさせていた魔撃の塊をさらに巨大化させた。それはあらゆる属性魔法が混ざり合い、反発しあって、ちょうど彼女の騎獣のように、七色に輝いていた。

 しゅうしゅうと音をたてて、そこにさらに魔力が注ぎ込まれていく。キリアカイがあらん限りの魔力をそこに注入しているのは明らかだった。魔撃はどんどん巨大化し、遂に直径五メートルほどまで膨らんだ。


「霧散するがいい! お前など、消えてしまえ。消えてしまえ、消えてしまえ……消えて、しまええええ────ッ!!」


 彼女の絶叫とともに、魔撃は一気にマリアに向かって突進した。

 と同時に、マリアの光球の光がぐっと増した。


──ギイインッ!

 ギャリギャリ、バリバリバリ──。


 激しい魔力のぶつかり合い。大量の放電。眼前が、多量の火焔と放電、さらに水蒸気で一瞬さえぎられる。

 周囲はその凄まじい激突のため、空間が歪んだかと思えたほどだった。

 しばらくは拮抗していたかに見えたふたつの魔撃は、しかし、やがてぐいぐいとキリアカイ側へ押し戻され始めた。


「ぐううッ……。あ、ああああっ……!」


 キリアカイの悲鳴と同時に、彼女の騎獣も悲しげな叫びをあげた。そうして、主人もろともマリアの魔撃に吹き飛ばされ、錐もみ状態になって墜落していく。

 キリアカイ自身もドラゴンも、焼け焦げ、マントや翼の被膜をやぶられたぼろぼろの姿になっていた。


《ガッシュ!》


 俺の声を聞いただけで、ガッシュは俺の意図のとおりに即座に動いた。つまり、マリアとキリアカイとの間に割り込んだ。

 俺とギーナがすかさず<魔力障壁シールド>を張り直すと、ガッシュもその上に自分の魔力を乗せて強化してくれた。


《今さら、どうなさろうと言うのです。そこをおどきくださいな》

 マリアの冷笑が降ってくるが、俺たちは黙って相手を見返した。

「そ……うですとも! 構わないでくださいませっ!」

 ひどい姿になっていても、キリアカイの目にはまだ生気があった。


《その女を庇いだてして、どうなさるのです? そこの元女帝を恨んでいる者は数多いと聞いておりますわよ? そんな女、たとえ助かってみたところで、いつかは誰かになぶり殺される運命でしょうに》

《それは……そうかも知れない。だが──》


 俺は一度おろした視線を、ぐっとまたマリアに戻した。


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