第6話 破綻
事態はそこから、あっという間に進展した。
その後、リュウカイの思念がごく冷たい調子でキリアカイに届いたのだ。
《裏切ってくださいましたな。……すべて、了解いたしましてございます》と。
ハオランは、その後すぐに見つかった。
城からはるか北方の、民家も農地もないようなごく寂れた冷たい荒野に、哀れな我が子は傷ましい姿になりはてて
城の守りのため弟のハオユウを残し、ユウジンはキリアカイを騎獣に乗せ、臣下たちを伴ってすぐにそこに向かった。
だが、すでにすっかり冷たく固くなった我が子の体は、もうとても<
その後のことを、キリアカイはあまりよく覚えていない。
恐らくは狂乱し、絶叫し、めちゃくちゃに暴れたり泣きわめいたりした……のだろうと、思われる。それ以上のことは何も言えない。なにしろ、完全に呆然自失の状態だったのだ。
場にはひたすら、彼女の慟哭の声が鳴り響いた。
(許して。……許して。ハオラン、ハオラン、ハオラン……!)
土くれに汚れたハオランの体ごと、ユウジンは彼女の体をしばらく抱きしめていた。彼の肩も震えていた。低い嗚咽も聞こえて来た。少し離れた場所で三人を取り巻いた臣下たちは、沈痛な面持ちで俯き、黙って彼らを見守っていた。
が、事態は彼らをそっとしておいてなどはくれなかった。
キリアカイが嗚咽しながらやっとのことで自分のマントをはずし、小さなハオランの体を優しく包み込んだとき、その声が聞こえてきたのだ。
《愚かなことをなさいましたな、お嬢様。……わたくしどもとて、左様な真似をしたかったわけではありませぬのに》
《なにゆえ、そやつを亡き者になさいませんでしたか。左様なまでに、そのような奴に心を奪われておしまいになられたか。ああ、情けなや……!》
キリアカイはカッと目を見開いた。
ザッと立ち上がり、薄曇りの空を睨んで叫ぶ。
「出てきなさい、リュウカイ! このような真似をして、わたくしが……わたくしがお前を許すと思うの!? 殺してやる。この手で八つ裂きにしてやるっ……! すぐにその汚い顔をお見せッ、リュウカイ!」
言った途端、片手の先からごうっと凄まじい炎が湧きあがった。
ユウジンと兵らが瞠目する。
当然だ。これまでさしたる魔力を持たなかったキリアカイが、ここまで強力な魔撃を生み出したのは初めてのことだった。
その時のキリアカイは、まさしく鬼女の顔だったことだろう。
《おお、
「なにっ……」
ユウジンと彼の部下たちがさっと顔色を変えた。この声は、どうやら皆にも聞こえていたらしい。
それからしばらく、不気味な沈黙があった。
不思議なことに、それまでは聞こえていた鳥の声や木々のざわめきといったものがぱたりとやんで、周囲は不思議な静けさが支配しているようだった。
(なんなの……?)
嫌な予感がちりちりと胸を焼く。うなじのあたりの毛が知らず逆立ち、肌が粟立つのを覚えて、キリアカイはハオランの亡骸を抱きしめたまま身を固くした。
──と。
ズズズズ──。
ドドドド……ドドドドド──。
どこか遠くの方から、どろどろと大量の太鼓を打ち鳴らすような、腹に響く振動が伝わってきた。
(これは……?)
キリアカイは固唾を飲んで目をこらした。皆の空気が張り詰める。
やがて兵の一人が、「あっ!」と森の向こうを指さした。
ズズン、ズズンと地鳴りのする方から、靄と土ぼこりを透かして、何かがどやどやと見え始める。
濃い灰色をした埃のようなものが、
間違いない。近づいてくるのだ。
「いかんっ! オーガの群れだ!」
ユウジンが叫んだ。皆が一様に戦慄する。
「すぐに騎獣へ! 急げっ!」
命ぜられるまでもなかった。皆はすぐ、ドラゴンやキメラなどそれぞれの騎獣に飛び乗り、ざあっと空へ舞い上がった。キリアカイにはユウジンが手を貸して、同じドラゴンに乗りこんだ。
(なんなの、あれは……!)
上空から状況を把握して、キリアカイはわが目を疑った。
自分たちがいる場所を中心に、そこを目指して四方八方から、何千、何万というオーガの群れが集まってきているのだ。土煙を蹴たて、獣のような喊声を上げながら。
大小さまざまなオーガどもが、丸太のような棍棒を振り回し、理性の光のないどろりとした赤黄色い目をむき、牙の生えた口からよだれをまき散らしながら走ってくる。最も小さな者でも、その背丈も胴回りも、一般的な魔族の三倍はある。中にはさらにその倍ほどの体格の者までいた。
凄まじい食欲と性欲。そして嗜虐欲。たとえ幼子であったとしても、この魔族の国にあって、彼らの恐るべき脅威について知らぬ者など一人もいない。
「『分限』が、決壊したのか……? いったい、なぜ──」
ユウジンが低く
オーガをはじめとするゴブリンやトロルと呼ばれる下級魔族たちは、その知能の低さゆえ、制御することが非常に難しい。軍隊として組織するには、彼らがあまりにもその獣欲に素直すぎるからである。
彼らを御することに比べれば、数十倍の平民による軍隊を組織するほうがはるかに楽だ。
ただ、その爆発的な破壊力を手放すのは惜しかった。
なにしろ、これだけのパワーである。彼らをうまくコントロールし、必要に応じて敵地へ一気に攻め込ませることができれば、戦局を瞬時に有利に傾けることも可能だからだ。
だから魔王をはじめ各国の四天王は、普段から彼らを一定の地域に「飼って」いる。強力な魔力障壁によって囲んだ「分限」と呼ばれる地域がそれだ。そこは周囲をレベルの高い魔導師たちに守らせた、いわばオーガたちの牧場のようなものである。
もちろん、その「分限」も簡単に破られるようなものではない。それでは周囲に住む農民など、一般の魔族たちの安寧を守ることができないからだ。
今回、リュウカイについた魔導師がどれほどいるのかは分からない。だが、それでもこうも容易く、これほどの数のオーガをいっぺんに解放するというのは尋常ではない。それは非常に奇妙に思えた。
その時。
キリアカイの脳裏に、あの得意げなリュウカイの言葉が甦った。
『あの
(まさか……。また、そいつなの?)
キリアカイはかちかちと鳴りそうになる奥歯をかみ殺しつつ、呆然と眼下の騒乱を眺めやった。
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