第7話 創世神の巫女
(まさか……。また、そいつなの?)
キリアカイはかちかちと鳴りそうになる奥歯をかみ殺しつつ、呆然と眼下の騒乱を眺めやった。
まるで彼女の心の内を読み取ったかのように、すぐに脳内で声がした。
《これにてお分かりいただけましたか? これぞ、その方のお力なのです》
さも得意げな、リュウカイの思念だった。
《黙りなさい。こんなことをしてどうしようというの? 周りの民らは、どうなってるの》
そんなことは、もはや尋ねるまでもなかったろう。
こんな下等生物どもを無軌道に野に放ったのだ。途上にあった町も村も、恐らく壊滅の憂き目を見たはずだった。彼らの獣欲は凄まじい。ひとたび許されれば、いつまででも、どこまでも、目の前の「獲物」を
《ここは、もとは父上の領地なのよ? そこをこんな風に蹂躙するなど。わたくしだって、決して許すものではありません!》
それも、ただただ自分たちの権益を取り戻さんがために。
……愚かだ。愚かと言うにもあまりある。
しかし。
《お戯れを申されますな》
リュウカイは蔑むような思念でぴしりと言い放った。
《そもそも、あなた様が左様なことをなさらずんば、
老人の怒りのほどが、その思念からありありと感じられた。
キリアカイは思わず喉をつまらせ、返す言葉を失った。
確かに、そこを突かれると弱い。
しかし、だったら自分も、あの場で自決でもしていればよかったと言うのか?
だったら、何の罪もないハオランを、この小さなハオランを、お前たちの汚い手でこのような無残な姿にされても仕方なかったと……?
《冗談じゃないわっ……!》
彼女の怒りは爆発した。
燃えるような憤りが、もはや全身を焼くようだった。
《だから、
亡き子の名を思いに乗せただけで、キリアカイの胸はまた切り裂かれ、見えない血潮を吹き出した。ふたたび両目から、だくだくと熱い雫があふれて落ちた。
(許さない。こいつだけは決して、決して……!)
再び手のなかに強力な魔撃のもとを作り出した妻を見て、ユウジンが急いでキリアカイの肩を掴んだ。
「やめるんだ、キリアカイ」
「でもっ……!」
「上空にいさえすれば、オーガどもはどうせ、我らに手出しなどできない。彼らには羽はないのだからね」
さすが、ユウジンは冷静だった。疲れてはいるようでも、妻を諭そうとする声はどこまでも温かい。
事実、自分たちが先ほどまでいた地点に到達しても、オーガどもはわらわらと混ざり合い、渦をまいて「獲物はどこだ」とばかりに奇妙な声でがなりたて、吠え狂っているばかりだ。見ていると、なにか勝手に互いに敵意を燃え立たせ、殴り合いや殺し合いまで始まっている。
ユウジンがさっと片手で合図をすると、こちらの兵らの騎獣が一斉にその口から強力な魔撃を打ち出し、オーガの群れに向けて叩き込み始めた。
「ギャアアアアオオオウ!」
「ギョゲエエエエエッ!」
聞くに堪えない悲鳴が響き渡る。とても生き物の声とは思えない。
火炎や電撃、氷結の魔撃に晒されたオーガどもが右往左往しはじめる。あちこちから焦げ臭い煙が立ちのぼり、焼かれた肉の不快な臭気が上空にいるキリアカイの鼻まで刺激した。
このままある程度打撃を加え、そのまま城に引き返す。戻ればそこには、弟のハオユウもいる。軍隊を整え直し、ここへ派遣して元通り、奴らを「分限」に追い込めばいいのだ。ユウジンはそう考えていたのに違いなかった。
しかし。
その時、涼やかな少女の声が耳の奥で鳴り響いた。
《あらあら。まだ、手助けが必要のようですね》
キリアカイはハッとして周囲を見回した。ユウジンと、別の騎獣にのる兵士や魔導師らも同様である。
と、日の昇る側、はるか先にぽつりと光る球のようなものを見つけた。球は空中をゆっくりと漂っている。
(あれは……?)
それは次第に大きくなっていく。どうやら近づいてくるらしい。
あっという間に接近してきて、やがてその中にいる人影らしいものもはっきりと見えるようになった。
(あれは、誰なの……?)
人影は、ふたつあった。
ひとつは彼女もすでに見知っている、やや小柄でやせ型の老人文官である。リュウカイだ。
その隣に、さらに小柄な影があった。
見たところ、女のようだ。抜けるように白い肌は、恐らくハイエルフのものだろう。非常な美貌の、少女のような顔立ち。しかしその頭も体も、独特な形をした灰色の長い被り物や衣服に包まれている。
《なんなの? あなたは──》
思わずそう訊ねたキリアカイの思念に対して、女はふわりと、気味が悪いほどに美しい笑顔で応えた。澄んだ青い瞳。金色の髪。間違いない、ハイエルフだ。
あんなハイエルフ族がなぜ、一人でこんな所にいるのだろう。
《ここまで出しゃばるつもりはなかったのですけれど。でも、こうなっては致し方ありませんわね》
思念の声ではあるけれど、やはり鈴を振るように美しい少女の声だ。そこには穢れらしい穢れは何もない。あるのは清らかな微笑みと、「慈愛」と呼んでもいいような柔らかな物腰ばかりだ。
姿だけを見るならば、それは「天の使い」とでも呼びたくなるような清純そのものの存在だった。
《はじめまして。いつもは人族側にしかいないのですけれど。今回はこちらのご老人に協力をとの申し出を受けまして、こんなところまで出向くことになってしまいましたわ》
《何者だ、お前は》
訊ねたのはユウジン。その視線も態度も、まったく警戒を緩めていない。
しかし女は、彼のことなど歯牙にもかけない様子で、相変わらず女神かと
《そうですね。呼び名に大した意味はありません。けれど、南側の皆さまは大抵、わたくしのことを『創世神の巫女』と呼びますわ》
(『創世神の巫女』……?)
聞き慣れないその名を聞いて、キリアカイもユウジンも、他のみなも互いに顔を見合わせた。
◇
「なんだって……?」
地底の扉の前で、俺はそう言ったきり言葉を無くした。
「創世神の巫女」。
それは恐らく、あのマリアのことだろう。
まさかここで、あの女の名を聞こうとは。
《……そう。あいつには、あなたもこれまで、散々に苦労を掛けさせられたと聞いているけれど。あいつはもうずっと前から、この世界に干渉し続けてきている存在なのよ。本当に、忌々しいヤツ──》
それは、ある程度は知っているが。
そもそも俺を勇者から魔王に仕立て上げたのもあの女だ。
しかしあの女が百二十年も前に、キリアカイたちにもそこまで干渉していたとは──。
「まあ、薄々そうじゃないかとは思ってた」
マルコの顔をした真野が、意味ありげな目で呟いた。
「結局この世界じゃあ、あいつが一番のトラブル・メーカーってことなのさ。ほんっと、とんでもねえヤツだよな」
「トラブル・メーカー……」
顎に手をあて、俺よりは随分と背の低い少年に目を落とす。あっちでも俺を見上げて、「そゆこと」と、少しだけ肩をすくめた。
「この世界に干渉し、トラブルを起こす……か。しかし、なぜだ? なぜ、ここまで執拗に?」
「そんなの知るか。本人ブッとばして、直接訊けよ」
真野が呆れたように目を細めた。
「……ふむ。そうだな」
隣のギーナも、背後にいるゾルカンやフェイロンも、じっと話の先を待つ様子である。
俺は改めて、扉に向かって続きを聞くことにした。
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