第4話 歓呼


(……さすがだな)


 俺は密かに舌を巻いた。

 これぞ、堂々たる将軍というものだ。

 こればかりは、あちらでただの高校生に過ぎなかった俺などには、真似のできない芸当だった。やはり年の功というのはあるものだ。ヒエンの声はもはや、その場に厳かなほどに朗々として気高く響いた。


《左様なむごい仕打ちを許してきたがゆえに招いた、この事態であろう。そのことが、なぜここに至っても分からぬか。……おわかりになったのであれば、どうかドラゴン部隊による囲みを解かれよ。民らを砦へ通してやって頂きたい》

《し、しかし……》


 完全に言い負かされた形になって、オイハン大佐は腰が引けている。ヒエンにも負けない巨躯でありながら、ドラゴンともどもたじたじと後退していくように見えた。すでに覇気で負けている。

 俺はそこで、ようやく口を挟んだ。


《心配は無用だ、オイハン大佐。この法についてはすでに、南東ゾルカン殿、南西ルーハン殿、さらに北西フェイロン殿からも了解を頂いている》

《な、……なんと……? それはまことにございますか》

斯様かような場所で虚言を弄しても仕方があるまい。なんとなれば、こちらのヒエン殿は、そもそも南東の四天王、ゾルカン殿の腹心である。他の方々についても疑義をもたれるということであれば、配下のドラゴンなり魔導師なりを通じて即刻、連絡を取ってみてもらいたい》

《は。で、では……》


 オイハンが沈黙する。

 部下の武官らに何事かの指示をしたようだった。

 じりじりと緊張の数十秒が過ぎた。

 彼が連絡を待つ間、俺はもう少し言葉を足した。


《できますればご確認が取れ次第、すぐさまそちらの兵を引いて頂きたい。ほかの四天王がたが了承している以上、キリアカイ殿だけが従わぬという道理はまず通るまい。が、たとえキリアカイ殿が了承しない場合でも、我々はこれら領民を連れて参ります。理由は先ほど、このヒエンが申した通り。彼らをここに放置しておくわけには参らぬからです》

《…………》

《また、もしここで戦闘にでもなれば、それは即座にキリアカイ殿の自分に対する反逆と見なします。ほかの四天王方も、あの方に肩入れすることはまずありますまい。形勢はそちらにとって、相当に不利なものになりますぞ》

《む、むむ……》


 兜の下の彼の顔は、おそらくひどい苦渋に歪んでいるのだろうと思われた。

 他の四天王と連絡を取るのと同時に、彼はキリアカイの指示を仰いだのに違いない。あの女がどんな返事をするかなど明らかだった。

 今や彼の鎧の下は、冷や汗まみれのはずだった。


(……あんな女のもとで、長年働いて来たんだものな。さぞや苦労も多かったろう)


 俺は一抹の憐憫を覚えつつ続けた。


《あなたは何も、心苦しく思う必要などない。これはキリアカイ殿への裏切りでもなんでもない。戻って『魔王がゴリ押ししたのだ』とでもなんとでも、そのまま報告していただけばいいのです》

《…………》


 再び、なんとも言えない沈黙の数瞬が訪れた。

 ……が、次の瞬間、事態は決した。


 オイハンがすっと片手を上げ、領民らを取り囲んでいた兵らの隊列が退いたのだ。そうして順次、自分のドラゴンや他の騎獣に乗り、次々に空へ舞い上がる。

 最後にオイハン大佐がこちらを見つめ、一度きりりと頭を下げてから、ぐるりとドラゴンを回頭させた。

 百頭はいようかという騎獣の一隊が、整然と翼を並べて北へ去って行くのを、俺たちは黙って見送った。


 ──と。

 下方からどおおお、と人々の歓声が湧きおこった。


「や……やった! やったぞ!」

「キリアカイの兵どもめ、尻尾を巻いて逃げてったぞ!」

「はっは! ざまあみろだ、あいつらめ!」

「ありがとうございます、魔王様!」

「魔王陛下、ばんざい、ばんざい……!」


 見ればもう、男や子供たちが空に向かって腕を突き上げ、だれかれなしに抱き合って大喜びをしている。

 ガッシュに乗った俺に向かって必死に手を振っている姿も見える。中には涙を流し、地面にひれふす老人や老女もいた。


《みんな、そんなことはいい。嬉しいのは分かるが、まずは急いでくれ》

 俺は眼下の砦入り口を指し示しながら思念で言った。

《一刻も早く砦を抜けておいた方がいい。病人や足の弱い者には、なるべく手を貸してやってくれ。激怒したキリアカイが、すぐにも追手を差し向けるかもしれないからな》


「はい!」

「ありがとう存じます、魔王陛下……!」


 魔王軍所属の砦警備兵らが、ごろごろと音を立てて太い鎖を巻き上げると、閉じられていた砦の巨大な柵扉を引き上がり始めた。人々はぞろぞろとそちらへ向かって動き始める。

 が、ガッシュや他のドラゴンたちの助力があっても、それは思っていた以上に時間のかかる作業だった。こちらからも増援の人員を送ってきているのだが、それでも明らかに手が足りない。何しろ、数千人、いやそれ以上の人数なのだ。

 その一人ひとりについて、文官たちが名前や家族構成をあらため、許可証に印をついて渡し、魔王領側へ通す。それが延々と繰り返される。


《あ、あいつは間諜。ハネとけよー》

《アレもダメだな。『隙を見てヒュウガを毒殺しろ』とか『周囲の女をかどわかしてこい』とか、ロクでもねえ命令されて来てるヤツだわー》


 ときどきガッシュがそんなことを教えてくれる。言っている内容はひどいものだが、声そのものは至極暢気なものだった。

 他のドラゴンたちも同様に手分けして手伝ってくれている。そうやって、紛れ込んでいるキリアカイ側のスパイを発見しては武官らが取り押さえる。そんなこともしているため、余計に時間が掛かるのだった。

 そこから、二時間ばかりが経ったころ。


《あー。や~っぱ来たぜ、あの女》


 うんざりしたようなガッシュの声が俺の頭の中に響いた。

 目をやれば、先ほどのドラゴン騎士団が立ち去った方角から、新たなドラゴンの一隊がこちらに向かって、凄まじい速さで突進してくるのが見えた。

 俺はすっと両目を細めた。


(……思った以上に早いな)


 眼下での人々の行進は、まだだらだらと続いている。こればかりは、苛立っても仕方がない。かれらは何の訓練を受けたわけでもない、ごく一般の民たちだ。そこには小さな子供もいれば、病人や老人もいるのだから。

 人々の列は今、やっと半分ほどが砦を通り抜けたぐらいのところだった。


《お待ちくださいませ、魔王陛下……!》


 あの女の不快な声が、脳に直接、ぎりりとやいばを立てるように突き刺さってきた。

 言うまでもない。キリアカイだった。


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