第3話 提案


「いえ、そちらも結構」


 俺は冷ややかに言って、女たちに向かってさりげなく片手を上げて見せた。

「だってよ。ほらほら」

 ギーナなどはあからさまに、犬を追い払うような仕草で女たちを追いやっている。その様子を見て、ダーホアンは急に意味ありげな目になった。

「ああ、これはこれは、申し訳もございませぬ。そうですな、陛下のご寵愛も厚き妃殿下の御前で、左様なことは無用にせねばなりませんでした。これは気の利かぬことで──」


 にまにまと俺を見る視線は、いかにも色欲の徒らしい品のなさだ。

 なんなんだ、まったく。


「……ともかく。ダーホアン殿には、左様な話をしに来たのではありません。そもそも、事前にこのようなおもてなしもご無用にと申し上げたはずですが」

「何をおっしゃいます! 魔王陛下ともあろうお方がお越しくだされたというのに、何のおもてなしもせなんだとなれば、四天王の名折れにございます。ほかの三名に笑われますゆえ! わたくしに恥をおかかせにならないでくださいまし。ほっほほほ……」


 笑うとまた、その腹の肉がぶるんぶるんと醜く揺れた。

 ちらりと見れば、フェイロンなどはとっくに「やれやれ」といった顔で、軽く酒杯をあおっているばかりである。相変わらずの男ぶりだ。彼のそばで酌をしている女たちは何となく、ぽうっと頬を染めてうっとりしたまなざしを彼に向けている。……なるほど、色々理解した。

 一方のヒエンはというと、これはこれで硬い武人そのものだ。酒杯は受けているものの、きりりとした姿勢は一糸も乱れず、表情もいつものままだった。その後ろに隠れるようにして、マルコが女たちから菓子などもらっては、ピックルと分けながら食べている。

 俺は手にしていた茶の器を卓に戻すと、改めてダーホアンに向き直った。


「ダーホアン殿。先日の件なのですが」

「は。先日の……とおっしゃいますと?」

「南方、ルーハン卿の領地の件です。なぜむざむざと、あちら側にトロルやオーガが侵入するのを許された。そのゆえに、あちらの領地内の村々で、それはひどい蹂躙があったと聞いております。中には一族が全滅してしまった村もあるとか」


 俺がそう言うと、背後でシャオトゥが膝の上でぎゅっと拳をにぎり、俯いたらしいのがわかった。

 が、ダーホアンはきょとんとした顔になった。


「……おや? 左様なひどいことになりましたでしょうか。わたくしのところには、左様な報告はございませんでしたが」

 この男、しらばっくれるつもりか。

「速やかに一個中隊を送り、早々に事態を鎮静化させたはずにございまする。全滅した村があるなど、初耳にございまするが──」


 と、途端に俺の後ろでシャオトゥがキッとダーホアンを睨みつけたのが分かった。俺は彼女に横顔を向け、目だけで「いいから。任せておけ」と制した。シャオトゥは慌てたように目をそらし、唇を噛んでまたうつむいた。


「それに、南方のルーハン殿にも、すでに補償は済んでおりまする。必要十分な金品をもって詫びも済んでいることにございまするので……」

「……なるほど」


 要するに、「だからお前は口を出すな」と、この男は言っているわけだ。

 しょっちゅうげ替わる魔王などよりも、これら四天王たちの方がはるかに長く治世をおこなう。魔族は全般的に南側の人々よりも長い寿命と多めの魔力を持つために、四天王ともなれば数百年という長きにわたって国を支配する者もあるのだ。

 実際、実質上この魔族の国を支配しているのはこれら四天王のほうだと言っても過言ではない。以前の俺は、彼らは常に虎視眈々と魔王の座を狙っているものだと思っていたが、実際は少しちがっていたのだ。


 彼らには、魔王の座など必要ない。今のままでも十分に、領民から税を吸い上げて裕福な暮らしもできれば、家臣たちからの信や尊敬も集めておける。彼らにとっては魔王など、あの「創世神」の陰謀によってわけのわからぬ異世界から放り込まれてきた、理解不能の異物に過ぎないのだ。

 これまで通り、魔王には中央部の直轄領を与えておいて、適度な臣従のポーズを作り、放っておけばいいだけのこと。自分の懐具合にさえ影響がないならば、あんな者はどうとでも好きにさせておけばいい。それが、これまでの四天王たちの基本的なスタンスだったらしいのだ。



 あの真野の例を引くまでもない。そもそも、これまでの魔王が真面目に国の安寧だの民の幸せだのを考えて自発的に動いたことなどないのだ。

 ある日とつぜん異世界からやってきて、無条件に与えられた魔力と富と権力をほしいままにし、あるいは女や男を周囲に侍らせ、ただ面白おかしく生きる。それができさえすれば、民がどんなに困窮していようが泣いていようがどうでもいい。それがこれまでの「魔王」というものの在り方だった。

 だがあいにくと、俺はそういう「魔王」でいるつもりはない。


「左様ですか」

 俺はなるべく声の調子を変えないまま言った。

「でしたら、どこかで連絡の行き違い、滞りでもあったのやもしれませんね。これは早計なことを申しました。失礼をいたしました、ダーホアン殿。どうかお許しを」

「ああ、いえいえ。おわかりいただけたのでしたら、よろしいのでございますよ」


 俺がちょっと頭を下げると、ダーホアンはあっというまに満足げな笑みに戻った。俺はそのまま、どうということもない声と顔で話を続けた。


「さすれば、南方のトロルどもの『分限』警備のありかたを、いま一度調査、再組織なされることを提案したいのですが。北西方面、大都督としてのダーホアン殿のご意見はいかがか」

「あ、はい。陛下のご提案とあらば、それはもう早急さっきゅうに。斯様な鄙びた場所までご足労いただいた上、そのようなご心配まで、まことにありがたきことにございまする」


 ダーホアンは一応は殊勝げに、邪魔そうな腹の肉をおりたたんで俺に頭を垂れて見せた。

 ほんの一抹の反省も、改善する心づもりもないくせに、まことにつらの皮の厚いことだ。


「……ときに、ダーホアン殿。とある者が申すには、先般の兎族の村へのトロルどもの襲撃、貴方様の手引きがあったのでは、という噂があるようですが。それはまことにございますか」

「は? いえ、まさか。そのような」

 途端、豚顔のなかの小さな目が一瞬だけぎらりと光ったのを、俺は見逃さなかった。

「誰がそのようなこと。あれは単に、トロルどもの『分限』を警備していたこちらの<魔道師ネクロマンサー>どもの不手際によるものでして。いやはや、まことにお恥ずかしい──」

「そうですか。しかし、そのネクロマンサーたちの人数が急に減ってしまったことには、貴方様が大いに関係しているという話が自分の耳には入ってきておりますが? そのあたりはいかがなのです」


 俺はまっすぐに、相手のどろりと濁った小さな目を見据えて言った。


「そこには、随分と美しい女性の<ネクロマンサー>が何名も所属していたようですね。彼女らが突然に、こちらの後宮付きの女官として召し抱えられた……というのも、単なる噂なのでしょうか」

「なっ……。い、いえ。それは──」


 ダーホアンが急にぐっと言葉につまり、目を白黒させはじめた。

 

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