第2話 四天王ダーホアン


「なんとなんと。斯様かようなむさくるしき場所へ、魔王陛下ともあろうお方が突然のお越しとは。大したおもてなしもできますまいが、どうかごゆるりとなさってくださりませ」


 幅広の巨大な卓を前にして、でっぷりとした腹を豪奢な衣に包んだ男がニタニタとお追従ついしょう笑いを浮かべている。そのたびに、あぶらでてらてらした頬の肉が震えている。

 俺たちはその上座にあたる場所にそれぞれに卓の前に座を占めて、目の前にふんだんに出された贅沢な山海の珍味の数々を眺めていた。

 魔族の国の北西地方を所領する、四天王・ダーホアン。ここはそのやしきである。予想どおりというべきか、ぜいの限りを尽くした装飾まみれの金ぴかの建物は、どこの王族の宮かと見まごうばかりのものだった。

 俺たちは今、その中の絢爛豪華な応接用の広間にいる。


 こんな季節だというのに、眼前に開けた広々とした庭には豊かな様々の果樹が実り、ほのかなかぐわしい匂いが微風に運ばれてくる。あのルーハン卿の別邸と同じく、ここも周囲を魔術師たちによるシールドで囲ませ、外界の寒風から守らせているのだろう。

 しかし、ここはルーハン卿のあの趣味のいい曲水の庭とは似ても似つかぬ場所だった。あっちもこっちも、ごてごてときらきらしい装飾にまみれて、いかにも品がない。

 どこもかしこも、金銀宝石で飾り立てられていないものなどないのではないかと思えるような金のかかったしつらえだ。人工の池に架けられた橋の欄干も、建物の屋根や廊下、柱や欄間などの建具にまで、これ見よがしにこれでもかと手の込んだ装飾がほどこされている。


 それは目の前の卓も、その上に載った皿や花瓶、手水のための器などにいたるまでがそうだった。皿の上の料理の数々もまたそうで、それらを食すまでもなく、見ているだけで胸やけがしてきそうな贅沢な品であふれている。

 フェイロンとヒエンはそれらを前にしてもごく平然とした顔だったが、俺の両隣にいるギーナとシャオトゥは顔をしかめずにはいられないようだった。彼女たちの背後には、こちら側の女官と少年マルコも控えている。


「さあさあ、魔王陛下。ご遠慮などなさいますな。どうぞどうぞ、さあ一献いっこん。わたくしの杯をお受けくださいませ」


 ダーホアンが金ぴかの酒器を手に、下座からずりずりと重そうな尻をずらしてにじりよってくる。以前、俺の即位後に会った時にも思ったが、とにかくすさまじい太り方をした男だ。

 肌の色は薄めの青で、瞳はどろりと濁った灰色。髪は淡い金色のようだが非常に薄く、そこに凝った刺繍のほどこされた黄金色の帽子をのせている。でっぷりと肥え太ったその肉が、錦の衣をぱんぱんに膨らませて、今にも布がはちきれそうに見えた。

 俺が例によって「いえ、酒精は控えているので」と断ると、ダーホアンは「おや、それは」と意外そうな顔になり、ちらっとヒエンとフェイロンの顔を盗み見たようだった。


「左様にございますか。……では、おい。何か美味い果汁か、茶でもご用意してさしあげよ」

「はい」


 ダーホアンが周囲にかしずく美貌の女たちに命じると、恐らく国じゅうから集めたのだろう、何十人という様々な美女たちが、それぞれに茶器や果物ののった皿をささげ持って近づいてきた。

 その他の美女たちは、卓の前の広い場所を使い、さきほどから様々な舞だの管絃の演奏だのを披露することに余念がない。踊り手たちは銘々、手にした細長い薄絹をふり、管絃の音にあわせて一糸みだれぬ見事な舞を見せている。

 それがまた、以前、真野のときにも思ったような「目のやり場に困る仕様」の出で立ちなので非常に困った。女たちは、下着と呼ぶにも疑問を覚えるような、少なすぎる衣類しか身につけていなかった。


 実際、こちら方面に関しても、この男はあの真野の比ではなかった。事前にフェイロンから聞いた話によれば、この場にいる女たちとて、側女として置いている者たちのうちのごく一部に過ぎないらしい。この男はなにしろ、無類の色欲の徒なのだった。

 出先でちょっと見目のいい女を見つければ、それが人妻であれまだ小さな少女であれ、手当たり次第に「献上」させる。民たちはそれを恐れて、自分の妻や娘の見目のよさを決して吹聴しないらしい。それどころか、実際には女の子だというのに、「生まれたのは男子」と言い張って、男の子として育てる家さえ多々あるのだという。

 この男の、獣のごとき飽くなき色欲のほどがうかがえるというものだった。

 それが証拠にと言うべきか、先ほどからこの男は俺の隣にいるギーナやシャオトゥの姿をさりげなくじろじろと観察し続けている。もはや舌なめずりをせんばかりだ。その目の奥にある明らかに下卑た色欲は、吐き気のしそうな気を放って、俺の精神まで侵食するようだった。


(……気分が悪い)


 俺ですらそう思うのだ。

 そのあぶらぎった欲望の標的になっているギーナやシャオトゥは、なおのことそうだったろう。二人とも、目の前の料理にはいっさい手をつける風もなく、すっかり頬を青ざめさせて表情を硬くしたままだ。


「それにしても。さすがは魔王陛下にございまするなあ。左様に美しきダークエルフと、珍しき兎族の女をお手元に置いておかれているとは。いやはや、このダーホアン、まこと感服いたしましたる次第。『英雄、色を好む』とはよく言うたものにございまするなあ──」


 何を勘違いしているのか知らないが、男はぺらぺらと女たちへの褒め言葉を弄して俺への追従をさらに深めているようだった。


(どの口が言うか。この男──)


 俺は心の中で吐き捨てた。まったくもって、苦々しい。

 このシャオトゥを、こんなにも哀れな「珍しい兎族」にしてしまったのは、ほかならぬこの男の愚かな行動が原因ではないか。そのことはすでに、人の思念をすぐに読み取ることにけた俺の「同行者」が、密かに伝えてきてくれている。


「もしもこの場におります者で、陛下のお眼鏡に叶います者がおりますれば、いく人でもお持ち帰りくださいませ。喜んで献上いたしましょうほどに。奥に寝所の用意もさせておりますゆえ、お気にいられればいつなりと──」


 ダーホアンはそう言いながらさらに俺ににじり寄り、意味深な下卑た笑みを顔いっぱいに浮かべて見せた。

 勘弁しろ。まったく、嫌悪感しか覚えない。

 こちらの顔色を察したのかどうか、ダーホアンは急に周囲の女たちに向かってぱんぱんと手を叩いた。


「さあ、それそれ。陛下がつまらなそうになさっておるではないか。もっともっと、楽しきおもてなしをせぬか、そなたら。踊り子ども、もっと足を上げぬか、足を。陛下のお目を愉しませよ!」

「いえ、そちらも結構」


 俺は冷ややかに言って、女たちに向かってさりげなく片手を上げて見せた。

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