第12話 暗黒面


 俺は思わず考え込んだ。

 それはそれで、シャオトゥが不安定になるということはないのだろうか。つまり、ぼんやりと思い出せない部分によって不安を掻き立てられるというようなことがだ。また、もしも、それでも本当のことを思い出してしまったりすれば。彼女は今以上に悲惨な状態にならないとも限らないのだ。

 その疑問を投げかけると、フェイロンはやや困ったような笑顔を作った。


「前半についてはやむをえぬ部分ではありますな。しかし、後半の点は問題ないかと存じます。こう申すのはなんですが、シャオトゥ殿の魔力程度ならば、わたくしの術を振り切ることは難しいかと。そうそう思い出したことで困るという結果にはならぬかと思いますが……」

「そうか……」


 俺は迷った。

 それは本当に、シャオトゥのためになることだろうか。正直言って自信がなかった。

 俺は、「どう思う」との意をこめて、脇に立っているギーナを見上げた。

 ギーナも俺と同様、やや複雑な表情だった。彼女も迷っているのだろう。

 シャオトゥほどではないとは言え、これまでに似たような経験をしたことのある彼女にとって、あの少女のことは他人事ひとごとには思えないはずだった。彼女が「否」と言うのなら、俺はそれでも構わないと思っていたのだが。

 かなりの時間をかけて考えてから、ギーナはとうとう頷いた。


「……うん。それがいいのかも知れないね。あんな状態になったままの一年も、ひどいことは忘れさせてもらって、もっと有意義に生きるのも同じ一年。そう……考えればさ」

「ああ……うん」

「なんだかんだ言ってもさ。人生ってのは短いんだ。いつ、なにがあって死ぬことになるかも分からない。『一寸先は闇』ってやつさ。同じ一年を生きるなら、つらいことは忘れていられた方が、あの子にとっても有意義なのかも……しれないね」

「……そう思うか? ギーナ」

 ギーナは少し沈黙した。そうしてじっと俺を見てから、小さく頷きかえしてきた。

「ああ。もしもこの先、あの子がそれでヒュウガを恨むようなことがあるんなら、そのとがはあたしも背負うよ。あんた一人にしょい込ませるつもりだけは絶対にない。それは約束するから」

 俺は思わず、まともにギーナを見つめ返した。

「……ありがとう」

「ついでながら、陛下」


 俺たちの会話が途切れたところで、フェイロンが軽く微笑みながら口を挟んだ。


「『もしも』の時のことをお考えなら、記憶を完全に消してしまう高位の魔法でなく、一時的に蓋をしておくだけの中位の魔法にしておく、という方法もございまする。それならば、本人の意思を確認して『やはり忘れるべきでなかった』と思われた時、記憶をよみがえらせることも可能にございますれば」

「……ああ、なるほど」

 俺とは対照的に、ギーナは腕を組み、すっと目を細めて片眉をはねあげた。フェイロンを睨みつけている。

「それができるんなら、最初っからそう言いなよ。性格悪いねえ、あんた。わざわざねちねちとヒュウガを試すような真似をしやがって。あんまりおふざけが過ぎると容赦しないよ?」

 対するフェイロンは、くふふ、と秀麗な笑みを浮かべて少し腰を折っただけだ。

「これは失礼を申し上げました。どうかお許しを、ギーナ殿。……では、左様にいたしまするか? 陛下」

「そうだな……。うん。そうしてみてくれると助かる」

「は」


 フェイロンは華麗に、さらに腰を折ってこうべを垂れたが、ふと何かを思いついたように「ああ、なれど」と顔を上げた。


「陛下。自分がいつも、どなたに対しても斯様かようなことを進言するとはお考えくださいまするな。……なにしろこの術、悪巧わるだくみに使おうと思えば、いくらでも使のあるものでございますゆえ」

「悪巧み……? それは」

「だって、そうでございましょう?」

 フェイロンの微笑みが、たちまち冷笑をにじませた。

「お分かりにございませぬか? この世には、貴方様には思いもつかれないようなを考え出す外道がいくらでもおりまするゆえ」

「なに……?」

「たとえば、あのように嗜虐の限りを尽くして一度『壊した』者から記憶を抜き去り、な状態に戻しておいて、再び一から同じ目に遭わせて、何度も楽しもうなどとする輩がいる……と、いうことでございますよ」

「…………」

「要するに、奴らは玩具おもちゃが壊れながら、泣き叫ぶさまを見るのが大好きなのでございます。自分の心を守るため、ああして心を閉ざして無反応になってしまった者など、いくらいたぶったところで面白くもないのでございましょうな。……まあ、わたくしには理解しかねる、愚劣きわまる嗜好ですが──」


 俺とギーナは絶句した。

 恐らく二人とも、顔色は真っ青だったことだろう。


(なんと、いうことを──)


 吐き気がする。そんな輩が、本当にこの地には大勢いるのだ。

 よく考えてみれば、この男も大層な美貌の人だ。もしかすると、ここへ至るまでにそんな嗜虐の生贄にされてしまったというような、暗黒の経験を持つのかもしれなかった。それはまさに、この国の暗黒面なのだろう。

 フェイロンはゆるやかな冷たい微笑みをいささかも崩さずに続けた。


「もしも貴方様が左様な外道のお仲間であらせられましたら、自分も口が裂けてもこのような申し出はいたしませんでした。……どうぞ、そのあたりはおみ取りをいただきたく」

 すっと頭を下げたフェイロンを、俺はしばし、黙って見下ろした。

「……わかった。重々、肝に銘じておく」


 そうして。

 その翌日、フェイロンによる「施術」は行われたのだった。

 


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