第10話 要請


「先ほど見てもらった通りだ。マルコのペット、ピックルの存在は、シャオトゥの心を落ち着かせるうえで非常に有益ではないかと思う」

「はあ。左様ですかな」

 フェイロンが「何が言いたいんだ」と言わんばかりに中途半端な笑みを浮かべる。俺は構わず先を続けた。

「とはいえ、あの真野が自分で言った通りに七日後に現れるとは限らない。何しろ、相当に気まぐれな奴ですからね。そしてひとたびマルコが『マノン』になれば、シャオトゥばかりでなく、周囲の女性がたや文官たちにも、大いに害が及ぶ恐れがある」

「もっともなことです」

 静かに返してきたのはヒエン。

「となれば、ヒエンにはやはり、常にマルコの傍にいてもらわなくてはならないだろう。まず、そのことについては構わないか」

「無論にございます。それがまず、自分がここに居る理由にございますれば」

 ヒエンは軽く頭を下げて、ごく落ち着いた声で言った。それに頷いて見せてから、俺は再びフェイロンに向き直った。

「となれば、フェイロン殿。あなたにも今以上のご協力を仰ぐ必要が出てくることだろう。それを確認しておきたかった」

「と、おおせられますと? 『協力』と申すは、いかようなことにござりましょうや」


 俺はそこで、隣にいるギーナをちらっと見た。ギーナもまだぴんと来ているようではない。やや胡乱うろんげな目で俺を見つめ、しかし黙ってその先を待ってくれている。


「シャオトゥの世話を担当している女官がたから聞いている。フェイロン殿はこのところ、再々あの部屋を離れては、どこぞへお出かけになることが多いのだそうで。確かでしょうか」

「いえいえ、左様な。あのような美々しい女性がたの前で、斯様かようなむさくるしい男のについて、いちいち説明してから席を外すような無礼な真似はできませぬし。ただそれだけのことにございますよ」


 そんなことを言ってはいるが、この男の不在は、いわゆる生理現象のために席を外すような短時間のことではない。そのことは、すでに女たちから聞き及んでいる。大体、そこらの女よりもよほど美しい風貌をしたこの男のどこがどう「むさ苦しい」のか、そのあたりからきちんと問いただしてみたいぐらいだ。

 どうせその間、この男はあのルーハン卿から内々に指示された「本当の仕事」を精々せいぜいこなしているに決まっている。それをいつまでも野放しにしておくことは、隣のギーナに心配されるまでもなく、非常にまずいことは分かっていた。どう考えても、俺の目の届かないところでこの男にコソコソされるのが最もまずい。

 別に探られて困る腹などはないつもりだが、今後、宮にいる他の者たちに迷惑が掛かる可能性もないわけではないからだ。

 だったら、と俺は思うのだ。


「貴方様も、少しでも早く、シャオトゥの心が平安に向かうようにご尽力くださらないか。さすればかの少女を私の身近にも置きやすくなるというもの。その方が、あなたにとってもご都合がよろしいのでは?」

「は? それは──」

 フェイロンは、ほんのわずかに戸惑った目になった。俺の真意を測りかねているのだろう。

「以前より手狭にしたとは言え、執務室にはまだまだ余分なスペースもあることですし。ギーナやほかの女性がたも一緒に、シャオトゥがそこに居ることができるなら、貴方も堂々と執務室での同席が叶うわけだが。いかがでしょう」

「は──」


 さすがのフェイロンも、ちょっと言葉を無くしたようだった。それは彼にとって願ったりの申し出のはずだった。なにしろこの男は間違いなく、主人であるルーハン卿から「あの新しい魔王のことを探って参れ」との命を受けてここに居るはずなのだから。

 俺の執務室に同席して内政のあれこれについて観察できるとなれば、それこそ願ってもないはずだった。

 と、彼の両目がすうっと細められた。明らかに何かを探ろうとする目だ。


「……何を考えておいでです。わたくしごときを、陛下の執務室にですと? なにゆえに?」

「『なにゆえ』も何も。シャオトゥの世話をするのが、貴方の本来の仕事ではありませんか。シャオトゥのいる所、貴方がいなくてどうなさいます。そうでございましょう」

「それは……無論のことですが」

「それに」と、俺は一歩彼に近づいて言葉を重ねた。「正直申し上げて、魔王になりたての自分には、政務そのほか、この国全体を見渡しての国家運営は相当に荷が重いのです。そこに、あのご聡明なルーハン卿の第一の側近たるフェイロン殿が来てくださった。あなたはあのルーハン卿に負けずとも劣らぬ知恵者だと聞いております。そのあなたがご助言くださるならば、これは願ってもない話。ずっとそう思っておりました」

「は……いえ。それは──」


 フェイロンが目をしばたいた。いかにも思わずといった様子だった。控えめにはしているが、かなり度肝を抜かれたらしいのは間違いない。

 俺は再びヒエンの方を向いた。


「ヒエンにも、どうかお願いしたい。あなたも非常に優秀な武人として、あのゾルカン殿のそばに無くてはならぬ片腕であられたと聞いている。『民の心を安んじ、国の安寧を図ることを何より願ってくださる、素晴らしき将軍だ』との民らの間の声望もお聞きしている」

「いえ、そのような──」

「自分が願うのも、まさにその一事なのです。ここまでの経緯がどうであれ、自分が魔王としてここにる以上、民らのためにできるだけのことはしておきたい。それ以外の務めなど、ないと言ってもいいぐらいだ」


 これは事実だった。

 これまで、あちらこちらの農村部に「お忍び」で出かけて行っては、俺はさまざまな地方にいる上級魔族たちの噂も聞いてきたのだ。その中で、比較的粗暴だが器が大きく、明るい気質のゾルカンのもと、知的で勇猛果敢な獅子顔の将軍の話はちらほらと聞こえてきていた。

 彼は平民魔族たちのことを何より考えてくれる、心優しき将軍だというのがもっぱらの噂だったのだ。まさに「気は優しくて力持ち」というあれだ。

 俺は二人に向かって、すっと頭を下げた。


「……どうか、お二方。この通りだ。あなた方にとって、唯一無二のあるじがルーハン卿とゾルカン殿であることは承知の上。それを分かった上でお願いしたい。たぐいなきあなた方のお力を、この新米魔王に貸していただくわけには参らないだろうか」

「いや、陛下──」

「そのような」


 もはや二人とも、愕然とした目で俺を見ている。

 わざわざ背後を見なくても分かった。ギーナの目が今まさに、楽しげにきらきらと輝き始めただろうということが。

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