第6話 侮辱


 フレイヤ、サンドラ、アデルの三人は、あっという間に俺たちと相手の奴隷たちとの間におりてきた。

 相手の女勇者をちらりと見て、フレイヤが目を細める。聡明な彼女には、どうやらそれだけでことのあらましが分かってしまったようだった。


「そちら、『赤の勇者』様とお見受けいたしますが。こちら『青の勇者』様になにか御用でございましたか?」

「『青の勇者』……? なるほど。そうなのね」


 女はじろりとまた俺を見る。荒事はまわりの奴隷の男たちに任せて、その後ろで高みの見物というつもりだったのだろうが、何故か女たちを見て不快げな顔になったのだ。

 皮肉げに鼻を鳴らし、つんと顎を上げる。


「なんか、人のことはずいぶん偉そうに見下してくれたみたいだけど。あんただってこうやって、十分<テイム>を使って楽しく『ハーレム生活』やってるんじゃないの。なのになんであたしばっかりが、そんな汚いもの見るような目で見られなきゃなんないのよっ!」

「……そんなつもりはなかった。そう見えたのなら申し訳ない」

 俺は淡々とそう言って軽く頭を下げた。

「なんっ……。むっかつくぅ!」


 赤の勇者はその名の通り、顔を真っ赤にして地団太を踏まんばかりだ。周囲の奴隷の男たちが「姫殿下、どうかお静まりを」とかなんとかととりなしている。


「ちょっと待ってよ。ヒュウガ様は<テイム>なんてしてないし!」

 会話に割りこんできたのは銀髪の少女アデルだ。

「そうですわ。今も他の場所で大いに宣伝してきたのですけれど。あたくしたちはもとは『緑の勇者』の奴隷だったのです。その勇者が闇落ちをして、その後こちらの勇者様に惚れこんで、こうして勝手についてきているまで。決して<テイム>の餌食になどなっておりませんわ」

 嫣然と微笑みながら言ったのはサンドラ。

「えっ? ……そんな。嘘でしょ?」

 赤の勇者は目を白黒させた。


「嘘なわけないにゃ! 大体、ヒュウガっちは町の人たちからだって物をとったりしてないのにゃ! ちゃんと自分で稼いだお金で物を買うのにゃ。さっきだって、ちゃ~んとライラっちがおばちゃんにお金払って、ココスの実を買ったにゃもん。勇者だからって、そんなズルッこいことはしないんにゃもんね! へーんだ!」


 レティが大いに気炎をげて、びしっと胸を張る。

 すると背後にいた先ほどの店のおかみさんが「そうそう、その通り! 猫お嬢ちゃんの言うとおりさね!」と盛大にうなずいてくれた。

 周囲の人々がそれを見て、「おお」と言いながら互いの顔を見合わせている。

 ちょっと気恥ずかしい。もういい加減にしてくれないかと思うのに、レティの舌は止まらなかった。


「だからヒュウガっちは凄いのにゃ。優しくてカッコよくて、奴隷にだって絶対にいばらないにょ。みんながすぐに、だーいすきになっちゃうにゃ! <奴隷徴用スレイヴ・テイム>なんていらないのにゃ。だから、あんたみたいな『ウソっ子お姫様勇者』なんかと一緒にされちゃ困るのにゃー!」

「なっ……なな……」


 女はレティにびしっと指をさされて体をぷるぷると震わせている。


「言ったわね、この猫娘! そんなこと言ったって、あんたはそいつの『奴隷』なんでしょ? ここは最初から最低三人は『奴隷』がつくシステムなんだもん。奴隷なんて最初から、主人の勇者にべた惚れのメロメロじゃない。そいつが何を言ったって、なんの説得力もないって言うのよ!」

「にゃ、にゃにゃ……!?」

 さすがのレティも一瞬ひるむ。それを言われると弱いのだ。当然だろう。

 俺は一歩、前に出た。


「……あんた。俺の連れを侮辱するのか。だったら許さんぞ」

「な、なによ……」

 女は気圧された顔になって、逆に一歩さがった。

「ほかのことはいい。俺のことならなんとでも好きに言え。……だが、彼女たちのことをしざまに言うのだけは許さない」

 周囲の男たちがハッとして、女を守るように取り囲む。

「レティは確かに俺の『奴隷』だ。一年後にどうなるか、その保証なんて確かにないと思ってる。自分に、みんなが言ってくれるような魅力があるなんて自惚うぬぼれるつもりもない。……しかし」


 言って俺は一度だけレティを見た。レティは少し泣きそうな顔になっている。

 腹の底のほうで、ぐらぐらと何かがゆらめきだしていた。


 腹が立つ。

 不愉快だ。

 だが、こんな所で揉め事になるのはまずい。

 抑えねば、こらえねばと思うのに、それがなかなか上手くはできなかった。


 レティのこともライラのことも、そしてギーナのことも。

 誰かにこうして無条件に侮られることが、俺にはどうしても承服できなかった。


「今ではもう、彼女は俺の大事な仲間だ。彼女だけじゃない。ライラも、もう一人の人もだ。『奴隷』だとかなんとかはもう関係ない。いずれ魔王を倒すため、共に戦う仲間。それだけだ」

「う……」

「その仲間を侮辱されて、黙って引き下がるほど俺は腰抜けじゃないつもりだ。……謝罪してくれ。彼女たち三人に」


 とは言え、ギーナはここにはいないけれども。

 女は真っ赤だった顔を今度は一転して青ざめさせ、じりじりと後退している。


「謝罪もできぬと言うのなら、互いに剣にかけて雌雄を決めさせていただくのでも構わない」


 言って俺は、口の中だけで密かに「<青藍>」とその名を呼んだ。

 一瞬、青緑の光を放ってその愛刀が俺の手の中にふわりと現れる。


「……いかがか」


 女の奴隷男たちがそれぞれに緊張を走らせて身構えた。

 中にはすでに自分の得物に手を掛けている者もいる。


「なっ……ちょ、待ってよぉ!」


 女の声が急に普通のトーンになった。

 それは日本の町のどこにでもいる、普通の女のわめき声でしかなかった。


「そんな怒らなくてもいいじゃない。ちょっと口が滑っただけよ。マジになんないでよ、イヤになっちゃう……」

 周囲の人々をちらちらと見ながら、さらにじりじりと後ずさっている。

「お、女の子相手に剣で戦おうなんて言わないわよね? やだもう、熱くなんないでよ。ごめんごめん、悪かったわよ。……ね、ほら。ちゃんと謝ったわよ。これでいいでしょ?」


(……『女の子』?)


 なんとなく言葉尻に引っかかる。

 この女は見たところ、どうやら俺よりは年上のようだ。いや、すでに成人しているだろう。あちらの世界ではもう働いている年齢ではないかと思う。そういう女が自分のことを「女の子」などと呼称する、それ自体がどうにも不自然に思われた。

 それは彼女の精神性をもあらわしているのかも知れなかった。


「じゃあね。お邪魔したわね。行きましょ、みんな」


 そう言うと、女はもう男たちを連れ、あとも見ないで行ってしまった。


「な~んにゃあ。しょーもないにゃあ……」


 「びーっ」と言いながらレティがそちらに向かって舌を出す。その隣ではやっぱり例のお玉を握りしめていたライラが、ほうっと体から力を抜いた。

 俺は<青藍>を消し去ると、三人の女の方へ向き直った。


「フレイヤ、サンドラ、アデル。どうも有難う。助かった」

「あ、いいえ。よしてくださいまし」

「わたくしたちは当然のことを成したまででございます」

「何事もなくてよかったです、ヒュウガ様!」


 と、いきなり周囲からわっと大きな声が上がった。

 ことのなりゆきを固唾をのんで見守っていた人々が、急に大声で笑いだしたのだ。


「そうか、そうか……! あんた、『青の勇者』様か!」

「すげえな、すげえ!」

「ありがとよ、『青の勇者』さま!」

「見たかよ、あの赤い女の逃げてく、なっさけねえ顔……!」

「なんかもう俺、胸がすーっとしちまったい!」

「こりゃ確かに、あんたにゃ<テイム>なんていらねえなあ……!」


 背中を叩かれる。

 肩を叩かれる。

 むやみに握手をしようと手が伸びてくる。


 しばらくはそんなことで、俺たちは人々の波にもみくちゃにされることになったのだった。

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