第7話 ミサキ


 その夜は、なかなか自由になる時間が取れなかった。

 あの市の広場での騒動のあと、町の人々が次々に俺たちの宿まで会いにやってきては様々な相談事を始めたからだ。


 曰く、

『勇者様のお修めになっている、アイキドーとやらを教えて欲しい』

『医者が足りなくて困っている。シスターに重病の者たちを診てやって欲しい』

『町の外を流れている川の護岸工事をしているが人手が足りない。できれば手下てかのウィザード様がたのお力を拝借したい』──。


 「もちろんお代はお支払いいたします」という町長の言葉もあって、俺たちは翌日から手分けをしてそれらの仕事を手伝うことにした。マリアによれば「まあ、ここで一気に旅費を稼いでおくのもいいでしょう」とのことだったからである。

 そこから数日、俺たちはこの町に滞在し、それぞれに分かれて依頼のあった仕事をこなすことになった。





 その女がふらりとやって来たのは、そこから三日後のことだった。

 女性がたはそれぞれに町の人々の心づくしで用意してもらった風呂や食事を堪能し、自分たちの部屋へ引き取ったあとのことである。宿の主人が俺の部屋まで「勇者様、お客様でございます」と言いにきたのだ。


「相手は、名を名乗っていましたか」

「いえ、それが……。しかし、確かに女の声でした。マントをかぶっておいでなもので、お顔もあまりよく見えませんで。申し訳ございません。……どうなさいますか」

 俺は少し考えてから、「結構です。会いましょう」と答えた。

 なんとなく、相手に心当たりがあるような気がしたからである。

「ほかの方には知られないようにとのご希望ですので。どうか静かについていらしてください」

 あるじの男は申し訳なさそうに小声でそう言うと、俺を宿の裏口の方へと案内した。


 果たして。

 俺の予感は的中していた。

 宿の裏手は、ごく手狭な庭になっている。粗末なつくりの覆い屋根と釣瓶つるべのある小さな井戸と洗い場があり、そこは宿で働く人々が日々の炊事をする場所のようだった。周囲では静かな虫の音がしている。月の明るい晩で、灯火などなくても宿から漏れる明かりだけで十分相手の姿が見えた。

 その人物は頭からすっぽりとマントのフードを被った姿で、覆い屋根の柱の脇に立っていた。小柄で細身な立ち姿は、一見して女だと分かるものだった。

 宿の主人が建物に戻って行くと、相手はフードをおろしてこちらを向いた。


「……やはり、あなたでしたか」

「あら。なんか予想してたみたいな言い方ね。ちょっとむかつく」

「そういう訳ではありませんが」


 「姫」などと呼ばれているにしては随分と地味な格好をしたその女は、あの「赤の勇者」その人だった。ライラが着ているような村娘風のスカートに短いブーツ。化粧っけのない顔でそんな姿をしていると、とてもこれがあの「赤の勇者」だとは思えなかった。

 とはいえ、いつその得物を召喚して襲い掛かって来られないとも限らない。相手方にもこちらのようなウィザードはいるはずなので、今もそこいらで身を潜めている可能性もある。そんなわけで、俺は相手から十分に距離をとったままでいた。


「あは。警戒してる? 大丈夫よ、今はあたし一人だから」

 女はやや気だるい様子で軽く髪をかきあげた。

「ご用件はなんでしょうか」

 端的にそう訊くと、女は困ったような顔で少し笑った。

「やあねえ。だから、そう警戒しないでってば。あたしは、そう……ちょっと『世間話』をしにきただけよ」

「世間話、ですか……」

「そ。……ねえ、ちょっと座らない? 立ち話っていうのもなんだしさ──」


 言って女は、そばにあった粗末な木製のベンチにさっさと一人で腰かけた。

「ほら、ここ」

 すぐさま自分の隣をぺんぺん叩いている。「座れ」と言っているわけだ。

「いえ。自分はここで」

「……あっそ」

 少し肩を竦め、また髪をかきあげる。

「ねえあんた、タバコとか持ってない?」

「いえ」

「あは。ま、そっか。あんた未成年だもんね? 見るからにクソ真面目そうだし、持ってるわけないわよねえ」

 俺は黙って女を見返した。それが何だというのだろう。

「高校生? つまり、ではってことだけど」

「ええ、まあ」

「ふーん。何年生?」

「……それを訊いてどうするんです」

「あっは。なんか、予想通りねえ。ほんと、絵に描いたみたいな真面目くーん」


 女は軽く噴き出して、またすぐに真顔に戻った。


「あたし、ミサキ。ミサキっていうの。そう呼んで」

「……はあ」

「あんたは『ヒュウガ』だったわね。けど、それって苗字でしょ。名前の方は? なんていうの」

「ですから、お答えする意味が分かりません」


 そんなにほいほい自分の個人情報を垂れ流すわけがないだろう。しかも、こんな女を相手にだ。いったい何を考えてるんだ。

 が、女は──「ミサキ」は、別に感情を害した様子もなくへらへら笑っただけだった。


「ま、いっけどね。あたしも言うつもりないし~。で、あんたはいつこっちに来たの? あたしはそう……もう、四か月ぐらい前だけど」

「ほぼひと月ほど前でしょうか」

「へえ。それでもう、あんなに『奴隷』がくっついてるんだ。モテモテねえ? さすが、出来のいい硬派のイケメン君はスペックが違うわよね」

「…………」


 俺の目が一瞬険しくなったのに気づいたのか、ミサキは「てへっ」とばかりに舌を出した。


「ごめんってば。悪かったわよ。怖い顔しないでよ」

「自分はこの世界の『勇者の奴隷制度』について、まったく承服しておりません。彼女たちを自分の『奴隷』と思ったこともありません。最初の三人はともかくも、あとの方々には<テイム>も使用しておりませんし。前言は訂正していただきたく」

「もう、固いわねえ。あんたほんっとーに高校生?」

 大きなお世話だ。

「わかってるってば。あんたもさあ、年上に向かってその態度ってどうなのよ。もうちょっと敬意を持ってもいいんじゃないの? 坊や」


 「だったら敬意を払われるにふさわしい行いをしろ」とは思ったが、俺は敢えて黙っていた。

 女は完全にそれを察したような目をしてまた苦笑した。


「そりゃ、まあさ。分かってるわよ? どんどん<テイム>してぞろぞろイケメン引き連れて、好き勝手してるんだもんね、あたしなんか。バカにされたってしょうがないってのはわかってんのよ」

「…………」

「でも、それが悪いの? それがこの世界の『創世神サマ』のお望みなんじゃないの。あたしだって、わざわざ命がけで魔王なんて倒しに行きたくないし~。真面目に剣なんて振ってたんじゃ、手だって荒れちゃうしさ。せっかくきれいにお手入れしてる爪、割れるなんてサイテーだしぃ」


 もはや開いた口がふさがらない。返事のしようがないので、俺は吐き出したいものを飲み込みながらひたすら黙っていた。

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