第5話 赤の勇者
俺は本能的な嫌悪を覚え、レティたちを促して他の人々と同じように道を空けた。
彼らの間にまぎれるように入りこむと、周囲でぼそぼそと言いあっているのが嫌でも耳に入ってきた。
「またあの女か。やれやれだねえ」
「こんなとこへ、一体なにしに来てるんだ」
「いつまでこの町にいるつもりなんだろうな」
「『勇者』なら、さっさと北へ行きゃあいいじゃないか」
「まだここで男あさりをするつもりかね」
「いや、またぞろ
「こんどはどこの店が狙われるのやら」
「ああ、いやだいやだ……」
ライラとレティ、マリアも俺のすぐそばに立ち、相手方から身を隠している。このまましばらくここにいれば、いずれはやり過ごせるだろう。俺は人々の背後に隠れながら、安易にそう
「……あら。そこのあなた、ちょっとこっちを向いてくれない?」
聞き慣れない女の声がして、周囲の人々がすっと俺たちから離れる気配がした。それで初めて、俺はそれが自分に向けられた言葉であることに気付いた。
目を向けると、赤い鎧に身を包んだその女がじっと俺の方を見ていた。
一体なんだというのだろう。俺は多分、かなり怪訝な顔をしていたと思う。そのまま別段返事らしいものもしないで、じっと相手を見返して沈黙していた。
「おい、貴様。姫殿下に対して無礼であろう」
なんとなくあの皇帝ヴァルーシャのような長髪をした美形の男が、真っ先に俺を
(『姫殿下』……?)
別に本当にどこぞの姫という訳でもあるまいに、この女勇者はこれら「奴隷」の男たちに自分を「姫」だの「姫殿下」だのと呼ばせているらしい。なんとなしに
男女が逆転しているだけで、これも十分な「ハーレム」だ。見目のいい男あるいは少年たちに、ちやほやされていい気分になっていたいだけのバカ勇者。これはそんなものにまた巡り会ってしまったと、そういうことのようだった。
「貴様、耳がないのか? 勿体なくも我らが姫殿下が話しかけてくださっているではないか。膝をついてご挨拶を申し上げぬか。そして無礼の段を重々詫びよ」
今度はゆるやかにウェーブした金髪で黒いマント姿の男が進み出て、似たような詰問を始める。完全に頭ごなしだ。まさに「自分たちは上位者なのだから、無条件でどんな要求でも受け入れられて当然」と信じて疑わない顔である。鼻持ちならないその態度は、まったくもって不愉快極まりない。
俺はそれでも黙って傲然と立ったまま、その女勇者を見返していた。あちらの方が俺よりかなり背が低いため、実際は「見下ろしている」が正しいような状態だったが。
女は女で、俺の姿を頭の先から足先までじろじろと検分する様子である。まるでショーウインドウの商品でも値踏みするかのような目つきだ。そして何を思ったか、にこりと満足げにうなずいた。
「いいわ、いいわ。あたし、硬派な和風のイケメンさんも好みだから。これまでうちにはいなかったタイプだし。耳が聞こえないならあとで<ヒール>をしておあげなさいな。いいでしょ? マーロウ」
「は。姫殿下の仰せとあらば」
彼女の背後に立つ、白マント姿の中年男が恭しく一礼する。いわゆる「ロマンスグレー」という髪色をした、非常に品のいい挙措の男だ。
女は満足げにそちらに頷くと、己が鎧の胸のあたりに手を当てた。もう片方の手は俺に向かってまっすぐに伸ばされている。
「あなた、素敵よ。お洋服はこのあとで、お似合いなのを見繕ってあげましょう。さすがにそれじゃあかわいそうだし」
女が夢見るような声で微笑みながらそう言うと、周囲の人々はざわっと色めき立った。
「う、わ……!」
「やるぞ。逃げろっ……!」
慌てて後ずさり、俺たちからさらに距離を取る。俺たちのいる場所だけが、雑踏の中でぽかりと丸い広場になった。俺は両手でライラたちを庇うようにしてその前に立ちはだかった。
思った通り、女の口から聞き覚えのある呪文が聞こえてくる。
──『聖なる赤の宝玉の名に於いて。汝に命ずる。我に従え』。
その瞬間。
キイィン、と甲高い金属音のようなものが耳の奥で鳴り響いた。
……だが、それだけだった。
何も起こりはしなかった。
俺は相変わらず目の前の女に対するどうしようもない嫌悪感に満たされているままだ。腕組みをし、今やもう完全に良介から「ツグ兄、その顔、女の子の前ではやめとけよ~?」などと言われるしかめっ面になっているはずだった。
「え……? どうして?」
女は今の今まで余裕いっぱいだった笑顔をふっと曇らせた。そうして俺に向かって腕を出し、何度か同じ呪文を繰り返した。
しかし、何度やってみても結果は同じだった。当然だ。
女は次第に不安げな顔になり、眉を歪めて唇を噛んだ。明らかに苛立っている。
「ど、どうなってるのよ……! あなた、一体……」
「生憎だったな。残念ながら俺も『勇者』だ。あんたの<テイム>は俺には効かん」
「え、ええっ……?」
女は目も口もぽかりと開いて俺を見つめた。女性に向かってあまりこんな単語は使いたくないんだが、それは完全な「阿呆面」だった。
その顔は俺のこの平凡なチュニック姿が信じられないと言わんばかりだ。今の今まで、俺をこの世界の普通の住人だと信じて疑わなかったのだろう。他人を見た目だけで安易に判断する、それもこの女の底の浅さをうかがわせていた。
「用が済んだのなら失礼させて頂く。……行こう」
背後に庇っていた女性三人に声を掛け、俺はどよめいている町の人々に「すみません」と頭を下げてその場を去ろうとした。
「ちょ、……ちょっと! 待ちなさいよ!」
ヒステリックな声が追いかけてきたと思ったら、次にはもう俺と女性三人はあちらの奴隷の男たちに取り囲まれていた。
「にゃにゃっ? やるのかにゃ!?」
怯えるどころか目をきらんと光らせて、さっそくレティがファイティングポーズをしている。俺は片手で彼女を制した。
「やめろ、レティ」
「えーっ。でもヒュウガっち、先に『ヤル気』を見せてんのは向こうなのにゃあ! 隙を見せたらやられちゃうにゃよ? 先手必勝、王道なのにゃ!」
唇をとがらせてぶうぶう言っているレティを目で黙らせて、俺は女勇者に向き直った。
「どういうおつもりですか。勇者である俺たちがこんなところで敵対することに何の意味が?」
俺はここぞとばかりに自制心を発動して、なるべく静かな声で言った。
まったく、周囲の迷惑も考えろ。
こんなにぎやかな界隈で何を始めるつもりなんだ。
が、俺にものを言ったのは女のほうではなかった。
「あなたが勇者様であられたとは。存じ上げないこととはいえ、申し訳なきことでした。無礼の段はお許しください」
「なれど、我らが姫殿下を侮辱することは許さん。それとこれとは問題が違いますぞ、勇者様」
「姫殿下への謝罪をお願い申し上げたく。いかがか」
先ほどの「イケメン」二人がそんなことを言いながらじりじりと間合いを詰めてくる。俺は二人を睨み据えた。それに気を呑まれたのか、相手はふとその足を止め、俺をまじまじと見つめ返してきた。
「だったら、どうせよと?」
俺は相手方を見据えたままに静かに言った。もちろん底流には抑えた怒りが見え隠れしていただろう。
「出合い頭に問答無用でこちらを<テイム>してくる相手に、どんな『敬意』を払えと仰せか。飽くまでそちらに理があるとおっしゃるのなら、きちんとご説明を頂きたい」
「……む」
さすがに返す言葉がないのだろう。男たちは押し黙った。
「こちらはそちらの無礼に対して、不問にすると申し上げている。これで痛み分けではありませんか。これ以上、我らが天下の公道で
「…………」
「どうか、そこをお通しを。連れの者が怯えております」
それは事実だった。
レティとマリアはそうでもないが、ライラだけは大きな荷物を胸に抱えて血の色を失っている。俺としてもこのヒューマンの少女にだけは、どうあっても恐ろしい思いをさせたくなかった。
と、その時。
いきなり上空から声がかかった。
「ヒュウガ様。いったいどうなさいましたか」
「何かございまして? ヒュウガ様」
見上げれば、例の三人の女たちが<
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