第4話 赤銅のドラゴン


 俺は胸中に苦い何かが広がるのを覚えつつ、残ったドラゴンに目をやった。

 茶色の年老いたドラゴンは、うっすらと目を開き、不思議そうに俺たちを見ている様子だ。俺はリールーに訊いてみた。


《リールー。あのドラゴンと話はできるか》

《できるよー。でもおじいちゃん、とっても疲れてるみたいなのー》

 リールーはごくあっけらかんとしたいつもの声、いや思念である。

《ボクたちを追いかけるために、さっきの勇者にめちゃくちゃ急がされたみたい。あの大きさで四人も乗るなんて多すぎるのに、途中で休憩もできなくて。泣きそうになりながら飛んでたんだってー。かわいそう……》

《……そうか》


 やはりあの勇者、このドラゴンをかなり酷いやりかたで使役したらしい。


《近づいてもいいだろうか。こちらはあちらを害するつもりは一切ないが》

《うん、大丈夫だと思うー。ボクもお話ししてるから。疲れてるし、もう爪一本動かしたくないんだって。あと、ちょっと途中で腰と翼が痛くなったとか言ってるのー。シスターにヒールして欲しいみたいだよー?》

《ああ。なるほど》


 俺はマリアにその旨を伝えると、二人でドラゴンに近づいた。遠目ではよく分からなかったが、彼は茶色い鱗のあちこちが錆びたようにくすんでいて、目や手足の付け根など、体のあちこちに深い皺が刻まれていた。

 種族も異なるようではあるが、リールーとはまったく違う。何より、かなりのご高齢であるようだ。数百年は軽く生きているのではないのだろうか。


「疲労回復と、腰痛そのほかの治癒ですね? 承りましたわ」


 マリアは軽い調子でそう言うと、無造作にドラゴンの脇腹あたりに近づいた。そのままそこに手のひらをあて、口の中で呪文スペルを唱える。あの病気の女性を癒したときと同じように、その手が光り輝きはじめ、光る蜂蜜のような気の流れがドラゴンの体に吸い込まれていった。

 ドラゴンの体が全体的に輝きを帯びる。

 

「わあ……。きれい!」


 少し離れた場所にいたライラが、感動したように声をあげた。

 茶色く錆びついたようになっていたドラゴンの体表が、きらきらと輝き始めたのだ。それはちょうど、古くなった十円玉ができたての赤銅の色を取り戻したような感じだった。赤みを帯びたその色は、母が好んでつけている指輪──確かピンクゴールドと言っていた──にも似ているようだった。

 やがてその輝きがおさまると、ドラゴンは黄味を帯びた銅色に落ち着いていった。リールーの蒼玉を思わせる鱗とは異なるが、それはそれで美しい輝きだった。宝石に譬えるならば、琥珀アンバーが最も近いだろうか。


「グ……、グガウ」


 ドラゴンが身じろぎをし、満足そうに眼を細めた。さぞや気持ちがいいのだろう。それは長年の腰の痛みから解放された老人の顔、そのものだった。気のせいかもしれないが、少し若返ったようにも見える。

 ドラゴンはもごもごと唸るような声を発し、首をしきりに振っている。その目は俺とマリアとを交互に眺める風だった。


「お礼なんて良いのですよ。それでしたら、わたくしたちの青の勇者様にお言いなさい。こちらのお方が、あなたを治癒するようにとご命令くださったのですから」

「いや、そんなのはいい。俺は何もしていない。礼を言うならマリアにだ」


 マリアがさも当然かのようにドラゴンに言い聞かせるので、俺は慌てて手を振った。そろそろと近づいて来ていたライラやレティ、ギーナたちが目を見合わせて笑ったようだったが、ちょっと意味が分からない。

 と、リールーが首を上げた。


《あー。さっきのおねーさんたち、戻ってくるみたいー》


 目を上げると、先ほどの方角から三人の女たちが行った時と同様にして空中を飛んでくるのが見えた。

 どうやらあの「もと緑の勇者」へのしっぺ返しは終了したということのようだ。意気揚々としているのかと思いきや、彼女たちの顔色はむしろかなり冴えなかった。いったい何があったのか。


 ともあれ俺たちはぱっとドラゴンから離れると、再びそれぞれに身構えた。いきなり攻撃されないという保証は何もない。大したことはしていないが、それでも彼女たちを攻撃し、体の自由を奪ったのは事実だったからだ。

 が、それは完全に杞憂きゆうに終わった。女たちは銘々に「違います」とばかりに手を振りつつ、頭を下げるなどしながら近づいてきたのだ。それは明らかに「戦意はありません」という意味だった。そのまま地面に降り立ち、俺たちの前に膝をついて平伏する。


「ありがとうございました、青の勇者さま。シスター・マリア」

「お陰様でわたくしたちは、やっとあいつから解放されましてございます」

「まことに、御礼の申しようもございません……!」

「いや、待ってくれ」


 この件に関しても、俺は何もしていない。あの「もと緑の勇者」は自分の選択のゆえに己が身分を失った。ただそれだけの話である。

 俺のそんな言葉に対し、三人はそれぞれ首を横に振った。


「いいえ、勇者様。ステイオーラであの小さな子たちをお救いくださったのは、あなた様ではございませんか」

「あいつの術によって意思を縛られていたとは申しましても、わたくしたちはあの子たちのことでは心を痛めていたのです」

「あの時、勇者様があの子たちを<テイム>してくださったこと、本当に嬉しかった。あいつの『奴隷』ではありましたけれど、わたしたちは心の底であなた様に感謝していたのです」


 そうだったのか。

 彼女たちはあの勇者に対する「好意」を強制されてはいたが、だからといって勇者のすることすべてをがえんじていたわけではないのか。いやむしろこの女たちは、目の前で少女たちがされていることに対しては心を痛めていたというのか。

 あの少女たちが何をされていたのかをわざわざ訊こうとは思わないが、それを聞いてほんの少し、俺の気持ちも救われたような気がした。


 聞けば例の勇者には、彼女たちの考えうる非常な厳しさの「お仕置き」をしてきたのだという。「とりあえず、命を奪うことだけはしておりませんので」としれっと言う女たちの目つきといったら、もはや恐ろしいを通り越して、笑う般若のようだった。


「勇者様。実はお願いがあるのです」


 女たちはやがて頭を上げると、俺を見つめて言い始めた。

 そして次には、驚くべき台詞が続いた。


「どうか、わたくしたちをあなた様の『奴隷』にしてくださいませ」

「なんだって──?」


 なにやら話の雲行きがおかしい。非常に嫌な予感がした。


「わたくしたちを、是非とも青の勇者様の手下てかに。決してお邪魔にはなりません」

「わたくしたちも、あなた様と共に戦わせてくださいませ。どうかお願い申し上げます」


 そして案の定、女の一人がこう言ったのだ。


「どうかわたくしたちに、<奴隷徴用スレイヴ・テイム>を──」

「断る!」


 俺は本能的に叫んでいた。


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