第5話 拒絶


「どうかわたくしたちに、<奴隷徴用スレイヴ・テイム>を──」

「断る!」


 俺は本能的に叫んでいた。

 が、思った以上に鋭い声が出てしまって即座に後悔した。目の前にいる女たちのみならず、ライラやレティもびっくりして身を竦めてしまっている。三名の女たちは弾かれたようになってとびすさり、みな真っ青になって地面に額をこすりつけてしまった。


「も、申し訳ございません……!」

「ゆ、勇者様のご機嫌を損ねるつもりは毛頭ございませんでした。どうかお許しくださいませ!」

「大変失礼なことを申し上げてしまいました。穢れたわたくしどもごときがこんな高貴な勇者様の奴隷になろうなど、大それたことを──」

「そうでございますわね。お嫌に決まっておりますのに……。身の程知らずなことにございました。どうかどうか、ご寛恕かんじょくださいませ……」

「あ、……いや。そうじゃないんだ。こちらこそ、大きな声を出して申し訳ない……」


 バツの悪いこと、この上もない。まったくそんなつもりはないのに、何か変な誤解をさせてしまったようだ。俺は頭を抱えてしまった。

 少し気を紛らわそうと、俺は胸の宝玉に手をあてて鎧を「解除」させ、いつもの平凡なチュニック姿に戻った。そのまま彼女たちの前に片膝をつく。


「驚かせてしまって申し訳ない。どうかお三方とも、お手を上げて欲しい」

「…………」


 女たちはそれでもかなりの時間、そのままの姿勢でいた。俺が何度もお願いし、うながして、やっとのことで顔を上げてくれる。

 どれも悲しげな顔だった。さぞやがっかりさせてしまったのだろう。見ればもう、一番年下らしい女性はとっくに涙ぐんでいる。俺の胸はひどく痛んだ。


「違う。違うんだ。そうじゃない……!」


 どうして俺が、彼女たちを「穢れている」などと思うだろうか。俺にそんな権利があるものか。

 彼女たちはこの世のめちゃくちゃなことわりに、ただ翻弄されただけではないか。あの男に夜な夜なけしからぬ奉仕をさせられ、自ら望んだわけでもなしに自分を「汚れている」と思うような状態にさせられた。ただ、それだけのことだというのに。

 俺はうなだれている女たちを前に髪を掻きむしりたい気持ちになった。絶望的に口下手だし、女の扱いも知らない俺だ。うまく伝わるかどうかは分からない。だがここで、きちんと話をしないわけにはいかないようだった。

 俺は一度、深く呼吸をして自分のを静めた。そうしてあらためて彼女たちを見た。


「どうか、頼む。落ち着いて、俺の話をちゃんと聞いてほしい」

「…………」

「どうか、お願いです。皆さま、お手を上げてどうか俺を見てください」


 女たちがやっとのことで、おずおずと顔を上げた。

 俺の背後ではマリアとギーナ、ライラとレティが立っている。自分の背中に、彼女たちが黙って送ってくるその視線をはっきり感じた。


「あんたたちは、決してけがれてなどいない。『穢れる』だの『汚れる』だのという言葉は、飽くまで本人の意思でちようとする、そういう精神こころを持つ者こそに使われるべきものだ。あんたたちは決してそうじゃなかった。まったく違う。自ら望んで、あいつの奴隷になったわけじゃなかった」

「…………」

「そうではないですか? 勇者の<テイム>に、この世界の普通の人間は誰も逆らえないのだから」

「…………」


 わかっている。

 こんなのは綺麗ごとだ。

 たかが高校生のこの俺が、こんな大人の女性方に向かって何を主張したって虚しいばかりだ。そんなことは分かっている。

 この女たちだけじゃない。あの小さな少女たちだって、これからずっと他人からのそういう視線やさげすみに晒されながら生きていかねばならないだろう。「緑の勇者」の手から救い出したとは言っても、それですべてが解決するわけじゃない。俺がその後も、そういう冷たい世間の風評から守ってやれるわけではないからだ。

 俺一人がこんなところでどんなに「穢れてなどいない」と叫んだところで。

 世の中が彼女たちをどう見るのか、それを変える力なんて俺にはないのに。


(……勇者なんて)


 俺は、ぎりっと奥歯を噛みしめた。膝の上の拳を握りしめる。

 一体、勇者が何様だというのだ。そんなものがやってくるせいで、この世界の人々はいつも戦々恐々としていなくてはならない。いつ自分が、または自分の恋人や子供たちが、その毒牙にかからないとも知れない。かれらは日々、それに怯えて暮らさねばならないのだ。この世界の人々にとっての勇者は、ただの「災厄」やら「疫病神」だとさえ言えるのでは──。


(こんな世界は、間違っている)


 いや、最初から分かっていた。

 分かっていたが、それにしたってひどすぎる。

 マリアは俺に「魔王を倒せ」と言い続けている。しかし俺は、この世のわけの分からないことわりを作り出した「創生神」の方をこそ、憎み始めている自分に気づいていた。


 もしもそいつが目の前にいたら、訊いてやりたい。

 襟首を引っ掴んで、怒鳴りつけてやりたかった。


『どうして、こんな世界を造ったんだ』。

『どうして、勇者なんてものを呼ぶことにした』。


 魔王が倒したいなら、お前自身がそうすればいい。

 そうすれば、わざわざ異世界よそから「勇者」なんてものを召喚する必要も、この世の人々を無理やりにその奴隷にする必要もない。

 というか、その「魔王」ですらもがその「創生神」とやらが造り出したもの、クリーチャーではないのか?

 だとすれば、話は大いに矛盾している。


 「勇者」を呼び込み、奴隷を与え、その理性を試して堕落させる。堕落した勇者たちは欲望に溺れ、快楽にふけり、果てはあの緑の勇者のようにして「闇落ち」をした挙げ句に勇者としての立場を失い、結果として私刑に処される。

 うまく立ち回って──というか、うまくやり過ごしてと言うのが正しいのだろうか──誰の恨みも買わず、奴隷のだれをも傷つけずにこの一年をやり過ごせたなら、あとはどうにか「平穏な」人生が送れるのかも知れない。だがそれも、せいぜいがどこか山奥での隠遁生活だというのだから。

 ひどすぎる。どうしたって趣味が悪すぎる。

 どこにも大した「逃げ場」がないのだ。


『お前は、何がしたいんだ』──。


 自ら作り出した、この箱庭の中で。

 それとも、呼び入れた勇者たちが次々に「堕落」していくのを、どこかでにやにやと眺めているというのか……?


 そうして俺は、なぜ召喚ばれた?

 そうやって堕落していく様を見て楽しむには、恐らくかなり面倒な人間だろうと思うのに。

 いや、だからこそこんな俺が「堕落」していくのを、よだれを垂らして楽しもうということなのかも知れないが。


(──俺は、負けんぞ)


 そうだとも。俺は必死で抵抗する。

 こんな押し付けられた「ハーレム」になど、決して甘んじてやるものか。

 この心を明け渡すものか。

 こんな風に少女たちや女性たちを苦しめてまで、なんで自分ばかりがいい思いをしようなどと思うものか。

 それは下賤のきわみである。

 俺の奉ずる合気道の精神とは、真っ向から敵対する精神だ。それとこれとは未来永劫、相容れることはないだろう。


(もしや──)


 その時。

 俺の脳裏に、とある考えがぱっと浮かんだ。

 それはひらめき、何かの啓示のようにも思えた。

 そしてそれは何か本能的に、この世界の根源についてのヒントであるような確信があった。

 俺は急いでその思案の糸を、もっとしっかりと手繰たぐり寄せようとした。

 しかし。


「ヒュウガ様」


 その全容をつかみ切る寸前に、マリアの声がすっと頭に入り込んできた。その途端、思考はあっという間に霧散して、その輪郭をぼやけさせてしまった。

 まるで夢から醒めたときに、夢の内容をほとんど思い出せないのと同じような感覚だった。


「余計な事とお思いかも知れませんが。そちらの方々の件、わたくしに引き取らせてはいただけませんか」

「何だって?」

 マリアはいつもの微笑を湛えたまま、一歩こちらに近づいてきた。

「実はわたくし、ずっと思う所があったのです。……少し、お聞きいただいても?」

「……はい。何でしょうか」


 ところが、自分からそう言いだしておきながら、マリアはちょっと周囲を見渡すようにして首を傾げた。


「その前に、少し場所を変えましょう。風が冷たくなって参りました。まずは今宵の宿をさがして、落ち着くことが先決ですわね。長い話になりますし」

「しかし、シスター」

「さ、リールーに乗せてもらいましょう。そちらのみなさんもどうぞ、わたくしたちについていらして下さいませね。そちらのドラゴンさんも、もうお元気になっているはずですし」


 そう言ってマリアはもう踵を返し、あちらで退屈そうにうずくまっていたリールーに近づいていった。その背中にははっきりと「ここでの質問はご無用に」と書いてあった。

 俺たちは少し顔を見合わせると、仕方なく彼女の言う通りに動き出した。

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