第9話 飛翔


「ちょっと……ヒュウガ。何やってるの? 大丈夫?」


 見ればライラもレティも不思議そうな顔で俺を見ている。どうやら俺たちの「会話」は、彼女たちにはまったく聞こえていないらしい。つまりリールーと二人で、ただ見つめ合って沈黙しているとしか見えなかったのだろう。


「……ああ。今、リールーと話をしていた」

「え、リールー? この子、リールーっていうんですか」

「ああ。一緒に空を飛びたいそうだ」

「うにゃあ! すっごい! さっすがご主人サマにゃー! ドラゴンとすぐに仲良くなれるなんてびっくりにゃ~!」


 ライラとレティは目を丸くして、俺の後ろからリールーをまじまじと見つめている。マリアはいつもの謎の微笑を浮かべて立っているばかりだ。ギーナだけが一人、少し離れて怖々こわごわとドラゴンを眺めていた。


「どうした、ギーナ」

「え? あ……ええっと──」

 珍しくばつの悪そうな顔だ。どうしたと言うのだろう。

「あ、あのさ……。ちょっとその、ぬるぬるっとしたのとか鱗のあるのとか……とにかく、トカゲとか虫なんかは苦手なのよね、あたし。それに、ドラゴンって人の心を読むんだろ? あたしはきっと乗れないよねえ。今からでも王宮から馬でも借りて、下道を走ろうかなって思ってさ」

「え? どうしてだ」

「いや、どうしたもこうしたもないだろうさ」


 呆れたような目で睨まれたが、訳がわからない。ギーナは鼻を鳴らして腕組みをし、少しふくれっ面になったようだった。彼女にしては珍しく、なんだか子供っぽい表情だ。


「自分で言うのもなんだけどさ。あたしは間違いなく『心穢れた』女だし。そのドラゴンが乗っけてくれるとは思えないって話。わかった?」

「いや、待ってくれ。本人に訊いてみる」

「え、ヒュウガ。本人ってさ──」

 ギーナが何か言いたそうにしたのは無視して、俺はまたリールーの方を見た。


《聞いた通りなんだが。連れの女性がたのことも一緒に乗せてもらうので構わないだろうか。別行動になるのはできれば避けたい》

《あたりまえなのー。なあに? そこのお姉さん、なにを心配してるの? へんなのー》

 ドラゴンがまたくるくると笑う。

《自分ではそう思ってないんだね。大丈夫。そのお姉さんの心はちゃあんとキレイ。リールー、すぐにわかっちゃうもん》

《……そうか。ありがとう》


 俺は改めてギーナに向き合い、リールーから言われたことをそのまま伝えた。


「……だ、そうだ。問題ないな」

「なっ……ななな、何を──」

 ギーナは見るみる顔を赤くして、くるっと後ろを向いてしまった。

「まったく! バッカじゃないのかね、あんたたちっ……!」


 片手で顔を覆って憤然としているようなのだが、ライラとレティはなんとなく、互いに目を見合わせてにやにやしている。


「くふふ。なーんだ。そうなんにゃ……」

「結構、無理なさってたんですね? ギーナさんったら……」

「年上のおねーさんのコケンってやつにゃ? きっとそうにゃよ、ライラっち」

「うんうんうん!」

「って、ちょっとあんたら! 勝手にこそこそ何いってんのさ! 聞こえてるんだよ! それとその目、気色悪いわよ。やめなさいよね!」

「どうしたんだ、みんな。ギーナ、いったい──」

「うるっさい! あんたもあんたよ、無神経の鈍感野郎! これだからクソ真面目の朴念仁ぼくねんじん坊やなんて嫌いなんだ。空気の『く』の字も読めないんだから!」


(なんなんだ……?)


 いきなり噛みつかれて呆然とする。何がなんだかさっぱり分からない。だからフォローのしようもなかった。困り果てて少し首をかしげるようにしていたら、背後からマリアがいつも通りの声で言った。


「さあさあ。そろそろ出立しなくては。お話なら、空の上でもできますでしょう。遊んでいる暇なんてありませんわよ、ヒュウガ様」

「あ、……ああ」


 リールーの世話係の青年からひと通りの乗り方を教わってから、俺たちはそれぞれドラゴンの背中によじのぼった。レティはぴょんと軽いひと跳ねで済んだけれども、大荷物のライラはとても一人ではのぼれず、先に荷物を受け取ってから上から手を貸す。ギーナとマリアにも手を貸して、どうにかリールーの背中の上に五人で座ることができた。

 リールーが長い尾をひゅんひゅんと左右に振る。さも嬉しそうだ。


《じゃあ、とぶよー。行きたい方向とか、降りたい時とかはちゃんと教えてねー。しっかりつかまっててねー?》


 暢気のんきなリールーの声が耳の中でしたと思ったら次にはもう、彼女は折りたたまれていた被膜の翼を大きく開いていた。しゅうう、と周囲に白いもやのような冷気が立つ。ドラゴンはその翼ではばたくと言うよりは、持っている魔力によって飛ぶものらしい。

 リールーの体がふわりと浮く。

 世話係の青年が手を振った。


「どうか、お気をつけて! リールー、しっかりな!」

「諸々、ありがとうございました。では、失礼いたします」


 俺もリールーの上から手を振り、一礼する。周囲にいた衛兵たちが姿勢を正し、一斉に敬礼をしてくれた。

 次の瞬間、俺たちはぐん、と数十メートルも舞い上がっていた。すぐにヴァルーシャ宮の尖塔群が眼下に見えるようになり、帝都の建物の密集した屋根がミニチュアのような大きさになる。

 なにか丁度、有名なブロックの玩具おもちゃの町のようにも見えた。


「わああーっ。すっごい! すっごいにゃあああ! うっひゃーい! レティ、鳥にゃ! 鳥になってるにゃああ~! 夢みたい!」


 感動して目をきらきらさせ、小躍りせんばかりのレティとは対照的に、ライラは必死で俺の腰のあたりにすがりつき、目をぎゅっとつぶっている。ギーナはといえば少し蒼白になりつつも、唇をかみしめて懸命に平静を保とうとしているようだ。

 マリアは……まあ、いつもの通り。

 突然目の前に現れた大きな生き物に驚いて、白い鳥の群れが警戒の声を上げながらばたばたと空の道をあける。上空は空気が薄まるものだと思うのだけれども、リールーは魔力によって体のまわりにシールドのようなものを張っているらしく、呼吸はまったく普通にできるし、寒さも特に感じなかった。


《鞍についてるひもがあるからー、腰のところに結び付けとくといいのー。落ちると、拾いに行くの大変だからねー》


 リールーがのんびりと、しかし非常に重要な注意をしてくれる。俺はみんなにそれを伝えた。聞いた途端、ギーナが「ひっ」とひきつった声を発し、慌てて言われた通りにしている。その顔は相変わらず真っ青だ。

 強がってはいるものの、実はこの女、高所が苦手なのかも知れない。

 実際は、鞍はリールーの骨板の間に装備されているので、人がすぐに転がり落ちるような心配はなさそうだった。とは言え何百メートルも上空のことだ。命綱は必須だろう。


「ギーナ、大丈夫か。こっちに座るか」


 時間を追うにつれてどんどん顔色が悪くなっていく彼女を見ていられなくなり、俺は後ろのギーナに手を伸ばした。ギーナはほんの一瞬、くしゃっと泣きそうな顔になったが、ぎゅっと眉根を寄せて俺を睨み、「ふ、ふん! 結構よ」と言ってそっぽを向いた。

 しかし、両手で自分の体を抱きしめるようにしたまま、決して周りを見ないようにしている。彼女がひどい恐怖にとらわれているのは明らかだ。体もひどく震えているようだし、あまり無理はさせられなかった。


「いいから来い。……命令だ」

 ギーナは一瞬、驚いたように目をみはった。が、やがてさも渋々という顔で言った。

「め……命令、じゃ、しょうがない……わね」


 本当に強がりだな、この女。言葉が途切れ途切れな上に、声が掠れきっているじゃないか。

 やっと恐る恐る腰をあげて、へっぴり腰でこっちに這いずって来たギーナの体を、俺はがっちりつかまえて自分の前に座らせた。ライラは黙って隣へよけ、場所を空けてくれている。


「気分が悪いなら、目を閉じて眠っていろ。どうしてもだめなら降りるから言ってくれ。無理をするなよ。……いいな」

「わ、……わかった」


 ギーナは横座りになって膝を抱え込み、俺の胸に頭を預けるようにしている。支えるために肩に触れているだけだったが、それでもその体から、わずかに緊張が去ったのが俺にも分かった。


《わあー。おねーさんのココロがピンク色になったねえ》

 リールーのご機嫌な思念が頭の中に鳴り響く。

《おねーさんの目とおんなじ色~。うふふふ~。かーわーいーいー》


 そんなご感想については、俺はさりげなく聞かなかったふりをした。

 

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