第8話 蒼きドラゴン


 翌朝。

 俺たちは早速、その宮殿をつことにした。

 

 ヴァルーシャ帝はどういう訳か、俺たちに騎獣にあたるものを貸し与えてくれた。どうやらあの謁見で「この勇者は真面目に魔王征伐に向かうようだ」と判断してくれたということらしい。なぜならマリアによれば、例の「緑の勇者」には、こうした恩恵はいっさいなかったということだからだ。


「うわ、すごいですね……!」


 広い王宮の中庭である。世話係らしい兵士が引いてきた騎獣の前で、ライラとレティが目を丸くしていた。

 その生き物は馬ではなかった。もちろん牛でも、ロバでもない。俺はその生き物がなんであるかをよく知らないが、連れの女たちは口をそろえて「ドラゴンですよ」と教えてくれた。


(これが、ドラゴンか──)


 俺が「青の勇者」であるから揃えてくれた……ということでもないのだろうが、全体に薄青い銀鱗につつまれた竜である。被膜のある翼に、鋭い牙。頭や尻尾に生えているのは、恐竜ステゴサウルスを思わせるような「骨板」だ。それらは尖ってはおらず、触っても手を傷つける心配はなさそうだった。また尾の先にはトゲがあり、これは外敵から身を守るためのものらしい。

 体の大きさは普通の馬の優に十倍はある。これでもまだ成獣ではなく、人間でいえばまだほんの子供の竜なのだそうだ。爬虫類に特有の、無機質で恐ろし気な目をしているのかと思いきや、意外にも優しくてとろりと澄んだサファイヤのように碧い目が印象的だった。全体に、とても優美な印象である。聞けばメスなのだという。

 見たところとてもおとなしそうで、馬ならくつわや手綱、鞍に当たるものが装着されているのだが、特に嫌がる様子はない。ちょっと小首をかしげるようにして、じっと俺たちを眺めるような風情だ。


「ドラゴンにも、白魔法に属するものと黒魔法に属するものとが存在します。こちら側で使役されるドラゴンは、いわゆる白魔法の白ドラゴン。魔族たちが使役するのは黒ドラゴンです。もともとは人と交流のない生き物で、険しい山奥など、人の近づけない地域に生息しております」


 マリアが淡々と説明してくれる。

 要するに、この世界の歴史の初期において、そういう野生のドラゴンを使役できるように捕えたのが最初らしい。つまり<テイム>だ。

 やがてそうして使役されていたドラゴンの生んだ卵から生まれ、初めから人の手で育てられたものたちがこうした「使役用ドラゴン」として主に王侯貴族に飼われている、ということだった。

 

 ドラゴンを連れて来た世話係らしい兵士は、素朴な瞳をした青年だった。何となく「青年」と言うよりは「少年」と言った方がふさわしいような、あどけなさの残る表情をしている。ひょっとすると俺よりも年下かも知れなかった。

 彼は俺に恭しく一礼し、手綱を渡してこう言った。


「ドラゴンは、人の精神こころようをよく見定めます。心弱き者、心穢れし者には決して従わぬ生き物でもございます。陛下もあなた様ならばとおぼし召されたからこそ、このドラゴンをお貸しくださったのだと思います」

「……そうなのですか」

「はい、きっと」


 思いがけぬ賞賛の言葉に驚いた。たったあれだけの会見であの韜晦とうかいまみれの皇帝が俺の何を見定めたというのだろう。

 しかし、考えてみれば俺たちがこの帝都に入ってからずっと、身を隠しながら傍で俺たちの様子を観察していた者たちの存在があったのだ。そのことを思い出し、「ああ、なるほどな」と納得する。彼らからの細かな報告を聞いて、皇帝もそんな結論に達したということなのだろう。

 俺の一連のそんな思考を見て取ったのかどうか、青年はにこっと笑った。


「ドラゴンには、馬のように手綱や足などで指示をするのではなく、そのお心にて呼びかけてやってくださいませ。かれらは皆、清き心に応じます。本来であれば、これら面繋おもがいや手綱といったものも不要なのです。ですからこれらは、ご自由にお外しいただいて結構です。……どうか、可愛がってやってくださいませ」

「はい。確かにお預かりいたしました。陛下には、ヒュウガが重々、御礼おんれい申し上げていたとお伝えくださいませ」

 一礼すると、青年はびっくりしたような顔になったが、すぐに相好を崩して言った。

「……はい。心配はいたしておりません。どうぞ、青き勇者様に大いなるご武運が留まりますように」

 言って青年は、さも可愛くてたまらないといった様子でドラゴンの首を撫で、何事かを囁いた。俺はふと気になって、彼に訊ねた。


「ひとつ、よろしいでしょうか」

「はい。何でございましょう」

「このドラゴンに、名はありますか」

「……ああ」


 青年はゆっくりと微笑んだ。


「それは、勇者様ご自身がこの者にお訊ねください。お心の通じた方には、これも心を開きます。言葉を話すのではありませんが、お心にこの者の心の声が響くはずにございます」

「……そうですか」

「はい。もし万が一、旅先でお手に余ることがありましたら、どうぞご遠慮なく空に放ってくださいませ。これが自分で、この宮を目指して戻ります。その際は、できれば手綱が絡まらないようにしてくだされば助かります。どこかに引っかかって動けなくなったり、心無い者らに狩られないための用心です」

「了解しました」


 俺はそこで、蒼いドラゴンに向き直った。

 瑠璃色をした澄んだ大きな目が、やはりじっとこちらを見ている。なるほど、人の心の奥底まで見通すような目の色だ。俺はなるべく心を澄ませ、気を集中させてから心の中で語りかけてみた。


《ヒュウガと申します。どうか我々に、あなたの力をお貸しください》


 ドラゴンに対して敬語を使うのが正解なのかどうかはよくわからなかったが、とりあえず礼を失するよりはましだろう。ドラゴンは俺の問いに対してちょっとだけ目を細めるようにしたが、すぐに頭の中に声がした。それは高くて、間違いなく少女のものに聞こえた。


《リールー。リールーだよ。こっちこそよろしくなのー。青の勇者様》


 意外や、人懐っこいしゃべり方だ。俺は少しほっとした。


《そんな難しい言葉でしゃべらなくていいの。ボク、友達。友達と一緒に飛ぶの、大好きー。あ、ボク女の子だけど、ボクのことボクって言うよ。勇者様も、ボクのお友達になってくれる?》

《願ってもないことです》

 と、ドラゴンが鳩のように、くるるる、と喉を鳴らした。笑ったらしい。

《そんなのヘンー。お友達は、そんなしゃべり方しない。フツーにして、フツーに。ボクも勇者様のことヒュウガって呼ぶし。いいでしょ?》

《は……いや。……ああ》

 ちょっと咳ばらいをしてそう答えたら、リールーはさらに楽しげに喉をくるくる言わせた。

《うふふふ。ヒュウガ、可愛いー。ねぇねぇ、まだ飛ばないの? お空、気持ちいいよ。びゅうんって、雲の間をすり抜けると空気が香るの。あれ、雨の匂いなの。一緒に飛ぼうね! 楽しみー》


 と、背後からギーナの声がした。

「ちょっと……ヒュウガ。何やってるの? 大丈夫?」

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