第7話 魔法薬(ポーション)
脱衣所で鎧を「解除」し、用意されていた夜着に着替えて部屋に戻ると、耳をぺたんこにしたレティが今しも、ライラに引きずられるようにして湯殿に向かうところだった。
でれんと首を垂れ、床を見つめたままのレティが何かぼそぼそ言っている。よくよく聞けば、口からこんな声が漏れ出ていた。
「ああ、鬼にゃ……。ライラっちは鬼にゃああ……」
「いやにゃ……死んじゃうにゃ……。お風呂なんてゴーモンにゃ……」
ライラは呆れた目をして彼女を見てから、俺に一度だけ目配せをして、猫娘の手を引いて歩き去った。
俺はレティの独り言については敢えて聞かなかったことにして部屋に戻った。まあ、「武士の情け」というやつだ。
「お帰りなさいませ、ヒュウガ様」
部屋に入ると、マリアが一人で俺を待ち構えていた。先ほどはどこかへ行っていたようだったが、いつの間にか戻ったらしい。
「ちょうど良うございました。今から少し、お付き合いいただけますでしょうか」
「はい。どこへでしょうか」
マリアはそれには答えず、俺の背後をちらりと見やった。
「ギーナさんは、まだご入浴中ですか? できればあの方もご一緒にと思ったのですが」
「あ……はい」
俺の顔色で何を察したものか、マリアは笑みを深くした。
「ヒュウガ様は、まことにご意思の強い方でいらっしゃるのですね。そのお年で、非常に稀有なことでしょう。あなた様の頑固さには、もはや正直、脱帽の思いでございますわ」
およそ「シスター」とか「聖職者」とも思えないセリフだ。俺は眉間に皺を寄せた。
「……大きなお世話です」
「まあ、結構ですわ。ギーナ様はまた、明日の朝早くでもお連れすることにいたしましょう」
いつも通りの笑みを浮かべて、すっとマリアが俺のそばにやって来た。
「さ、参りましょう」
◇
サッカースタジアムの何倍もあろうかと思われる王宮の中を、俺はマリアと二人でしばらく歩いた。例によって夜番らしい衛兵たちが廊下のあちこちに直立不動で立っている。
空はすっかり夜の色で、地球のものよりはるかに華やかな星空のあちこちに、色とりどりの月が浮かんでいた。歩を進めるごとに、巨大な円柱で切り取られたその幻想的な景色がゆっくりと動いていく。
(こんな時間から、どこへ行くつもりなんだ)
俺の疑問を見透かしたように、マリアがこちらを見もしないで言った。
「すぐそこでございます。あの方々は、むしろ夜のほうが活動的になられるようなので」
「あの方々……とは?」
「すぐに分かります。……さあ、こちらですわ」
言って彼女が立ち止まったのは、謁見の間のものに比べれば随分と小ぶり、かつ質素にすら見える木製の扉だった。マリアがその前に立っている衛兵の一人に声を掛けると、すぐに中へ取り次いでくれた。
扉が開き、即座に招じ入れられる。
一歩入ると、なにか独特の匂いが鼻を突いた。
どうやら、薬品かなにかを扱う部門であるらしい。曲線的で不思議な形をしたさまざまな容器が置かれ、それらが管でつながれて部屋中を覆い尽くしている。あちらでもうもうと水蒸気が立っているかと思えば、こちらでは容器の中で激しく七色の火花が散っているという具合だ。
部屋そのものは二十畳ほどはありそうだったが、置かれた器具と働いている人々でずっと狭く感じられる。なにしろ物がごちゃごちゃに置かれていて、壁際では天井まで書物やら何かの器具が積みあがっているのだ。
働いているのはみな同じ紫色の
中には男も女もいる。種族もまちまちのようだった。かれらはローブのフードを被り、その下でもぐもぐと何かを唱えては容器に手をかざしている。するとその容器の中に光る透明な液体が現れるのだった。
俺がそうやってあれこれと観察しているうちに、マリアはさっさとそれらの人々の中に歩み入って一人の人物を連れてきた。
「ヒュウガ様。こちらはこの魔法薬部門の管理責任をなさっておられます、
シグルドという名のその老人は、見るからにかなりの高齢の人物だった。薄くなった髪も長い
老人は皺と皺とでほとんどどこにあるのかも分からないような目をこちらに向けたようだった。そうしてひとつ頷くと、すでに準備していたらしい小さな革製の背嚢のようなものを手に近づいてきた。
「こちらが、シスターよりご注文いただいた品にござりまする。どうぞ中身のご確認を」
しわがれた声は思った以上に人間味のあるもので、俺は少しほっとした。一礼してそれを受け取る。言われるままに袋を開いて中を見ると、そこには紫や黄金色、ピンクやグリーンに光る小さな小瓶がいくつも入っていた。
マリアも一緒にそれを覗き込み、満足したように老人にうなずき返している。老人はまたひとつうなずいて、じっと俺の顔を見つめるようにしてから言った。
「基本的には治癒と回復、蘇生、さらに各種防御魔法のポーションをまとめてお入れしております。代金についてはすでにシスターよりお支払い済みにござりますれば。どうぞ大切にご利用くださいませ」
「『ポーション』……というのは、つまり」
「はい。魔法薬ということです」
答えたのはマリアだ。
「わたくしたち<
「……なるほど」
「こちらの袋ごと、普段は鎧や剣と同じように見えぬようにして隠しておかれませ。また、これ専用の『
「了解です」
そこからシグルドが簡単にポーションの種類と使い方を説明してくれた。ポーションにもいくつかのランクがあり、高価なものほど持続時間や効果が高い。使用法は簡単で、この薬を飲めばいいだけということだった。
「あのギーナ様も、少しならこうしたお薬をお作りになれるはずです。もっとも、専門家であるこちら魔法薬部門の皆さまのようなわけには参りませんが」
マリアによれば、<
「ただギーナ様は、長くああしたお仕事で人生の貴重な時間を費やしてこられすぎています。残念ながら、あまり高いレベルのものはお作りになれないでしょう。ですからこちらで、少しでもそのコツを掴んでいただけたらと思っていたのです」
「そうなのですか」
「はい。それはまた、後ほどと致しましょう。……ではシグルド様、お邪魔をいたしました。ひとまずはこれにて失礼を致します」
丁寧に一礼したマリアに
老人はゆっくりと目の周りの皺を深くした。笑ったようだ。
「ご丁寧に恐れ入ります。勇者様とシスターの旅路の足が、大いなる賢者の知恵と加護によって、より堅固なものとなりまするように」
老人は枯れ木のようなその体を少し折ると、ふたたび薬の蒸気の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます