第2話 ヴァルーシャ帝国
ハイド村から次の町までは、数日かかった。
その間、俺たちは小さな森を抜け、とび石づたいに橋のない川を渡り、夜には野宿をして過ごした。
ライラのサバイバル能力──正直、そう言いたいほどだった──は素晴らしかった。持参している穀物などだけではなく、山に自生している野草や果物を見つけ出し、場合によっては魚を獲ったり、ウサギのような生き物を罠で仕留めて、毎日それはおいしい料理を提供してくれたのだ。火起こしから何から、非常に手際もよく、ごく手慣れたものだった。
これには俺も恐れ入った。
それは冗談ごとでなく、素晴らしい能力だと素直に思えた。
「ライラ。弟子入りしてもいいか」
もちろん本気だったのだが、そう言ったらライラは例によって、指の先まで真っ赤になった。
「なっ……なななな、何を言うんですか、ヒュウガさまっ……!」
驚いたのと恥ずかしいのとで、あわあわとすっかり
「あっ……!」
ぽたぽたと赤いものが彼女の指先から
「あらあら。ライラ、見せてくださいな」
すぐにマリアがそばに行き、両手でライラの手を包むようにして小さく呪文を唱える。手の中がぼうっと光ると、もうライラの傷は消えていた。
「気をつけてくださいね、ライラ」
「は、はい……。ありがとうございます、シスター」
「ヒュウガ様もですよ。刃物を扱っているときに、急にそんなお言葉を掛けてあげないでくださいませ。ライラが慌ててしまうのは目に見えているではありませんか」
やんわりと叱られて、俺も素直に謝った。
「……仰る通りです。申し訳ありません。済まなかった、ライラ」
頭を下げると、ライラが顔をぶんぶん振って、その前で必死に手も振った。
「いい、いいえっ。あ、あたしがドジなだけですからっ……!」
そういうことがありつつも、俺たちは無事に次の町にたどりついた。
ハイド村とはまったく違い、そこは石畳で全体が整備されたかなり大きな町だった。町の周囲をぐるりと石壁が取り囲み、門には警備兵が立っている。魔族がやってくることはなくとも、盗賊団が現れることはあるかららしい。
平和であり、住む人々にある程度の豊かさが保証された町であるということは、町の中心部にある大きな
「さあ、どうだい? 安いよ、安いよ!」
「おっ、そこのお兄ちゃん! 連れの女の子にちょっと甘い菓子でも買ってやらないかい。もっともっともてるぜえ?」
「いやいや、女にゃやっぱり、花だろう。うちにはきれいで新鮮で、珍しいのがいろいろ揃ってるよ。寄っていきな!」
中を歩くと、方々からそんな声が掛かった。
ちなみにここでは初代皇帝の顔の彫り込まれた銅貨、銀貨、金貨が通貨となっている。それぞれカッパー、シルバー、ゴールドと呼称され、百枚で一つ上のレベルの硬貨と交換できるのだという。紙幣は存在しないらしい。
今の俺は、道中あまり珍奇に見えないようにとライラが準備してくれたこちらの服装に変わっている。俺の「見るからに勇者とわかるような格好は避けたい」という希望にこたえてくれたのだ。地味な男物のチュニックと丈夫な鹿革の長靴は、彼女の父上からの頂き物だった。
そういえば、あのあと確かめてみたところ、俺の胸にはマリアが言っていた通り、肌の上に直接、あの青い宝玉がぴったりとくっついていた。宝玉はそこから動かそうにも取り外せず、試しに道具を使ってやってみると、鋭い痛みが出たので諦めざるを得なかった。まあ、金属アレルギーなどでかぶれるようなこともないようなので放置している。
鎧姿に戻りたい場合には、服の上からそれに触れ、今度は「装着」とつぶやくことにした。なんとなく、日曜の朝にやっている某特撮ヒーローものの主人公にでもなったような気分になるが、「変身」ではあまりに恥ずかしいし、ほかに思いつかなかったので仕方がない。
ライラはときどき足を止めては、商人たちから色々な食材や調味料などを購入するのに余念がない。しっかり値段交渉までしているのはさすがだった。それに付き合って立ち止まりながら、マリアはさらにこの世界の詳しい話をしてくれた。
「北へ近づくにつれて、次第に治安は悪くなります。魔族の影響があるためかと思われますが、人心が荒廃していくためです。帝国軍はもちろんのこと、王侯貴族による自警団や警備隊の警備はそのぶん、厳しいものにもなるわけです」
マリアが当然のことを語るいつもの口調で、そう説明してくれた。
「帝国軍と、王侯貴族……。ここには、そういう身分差もあるということでしょうか」
「左様です。この世界には王族、貴族、平民と、さらに奴隷とが存在します。この場合の『奴隷』は勇者様のそれとはまったく事情が違います。内乱や戦争によって生まれた捕虜たちや、犯罪を犯して身分を剥奪された者が、裕福な貴族などに売買されることによって奴隷になります」
「内乱と、戦争……? 魔族とは関係なく、ここには人間同士での
「……そういうことになりますわね」
マリアの表情は例によって「当然のことでしょう」と言わんばかり。見ればライラも少し悲しそうな顔をして俯いている。
いくつかの国に分かれ、時々は
これまでの勇者たちは、この状況をどう思って生きていたのか。
「ただいま、この地を治めているのはヴァルーシャ帝です。よってこちらをヴァルーシャ帝国と呼称します」
「ヴァルーシャ帝国、ですか。……ほかには?」
「あちらの山脈を隔てた向こう、西側がレマイオス共和国。あちらは共和制ですので、議会によって承認された大統領が統治しております。逆に東側、そちらには海がございますが、そこを隔てた向こうにあるのがティベリエス帝国。海運と軍事にすぐれた国です。我が国もそうですが、あちらも皇帝が即位と同時に先代と同じ名を受け継ぐために、基本的に国名が変わりません」
「なるほど……」
小難しい話ではあるけれども、それもきちんと教えておいてもらわねばならない情報だ。なるほど、ここは社会の成り立ちとして、俺のいたリアル世界で言うところの中世から近世あたりを想定しているということらしい。やっぱりいわゆるソーシャルゲームの世界に近いと言うべきか。
「これら三国が力を合わせて、現在では北からの魔族の侵入を防いでおります。そのために各国から多くの優秀な戦士、魔術師、魔導士などを供出しなくてはなりません。そのため、基本的に町なかではそれらの能力を持つ者が多くない、というのが現状ですわね」
(つまり、人材不足ということか──)
なるほど、だからこそマリアの<治癒>を使った「流しの医者商売」も立ちゆくわけだ。あちこちで似たような能力を持つ者が商売をしていたなら、それこそ縄張り争いでややこしい話にもなるだろう。
と、突然、買い物客でごったがえしている通りの向こうで声がした。
「そいつ、そいつだッ! つ、つかまえてくれ……!」
慌てふためいた男の声とほぼ同時に、視界にぴょんと飛び上がった黒い影。
それが見る間にそこらの店の天幕やら柱の上を軽々と跳びはねて、すとんと目の前に落ちて来た。
……いや、下りて来た、というのが正しい。
それが誰だかは分からなかった。小柄に見えるその相手は、体を覆う草色のマント姿で、頭からすっぽりとそのフードをかぶっていたからだ。
と、目の前の人ごみの中から、小太りの中年男が真っ赤な顔をのぞかせた。
「つっ、つかまえてくれ! 財布、俺の財布をとったんだ……!」
フードの奴がぴくりと後ろの声に反応した気配がした。
俺は無意識にマリアとライラを背後に庇い、そいつの方に向き直った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます