第8話 ライラ


 非常に暗く、また肝の冷えるような気持ちにさせられたまま、ひとまずそこでの話は終わり、俺はライラと共に教会をあとにした。すでに空は闇にまれかかっており、頭上には星がきらめいている。

 ここで、俺はとあることに気が付いた。この世界の空には、いくつもの月──と呼んでいいものなら──がある。つまり衛星だ。もとの世界で見たような黄色いものだけでなく、大きさもさまざまで赤や青、緑のものもあるようだった。

 月が多いせいなのか、夜道でもさほど暗くなりすぎることはないらしい。月明かりに照らされた畑の間の道を、俺はライラと二人で歩いた。


(それにしても……)


 帰りぎわ、「旅立つ前にはこちらに一度寄ってください」とあの「修道女」マリアは微笑みながら言ってきた。しかし、俺にはもうその笑顔を、素直に笑顔と見る気力はなくなっていた。


 恐ろしい。

 見た目の長閑のどかさとは裏腹に、ここは随分、恐ろしい世界だ。

 ここを造った「創生神」とか呼ばれる奴は、相当に気の狂った奴だと思う。

 そこにはっきりとした悪意を嗅ぎ取って、俺の本能はそいつに対して明らかな敵意を覚えていた。


「ヒュウガ様……。あの、あのっ、あたし──」


 考え事をしながら、ついつい大股で歩いてしまっていた俺は、ライラが少し後ろから必死で小走りについてくるのに気づいて、足を止めた。


「……ああ、すまない」

「い、いえ……」


 ほっとした様子になったものの、ライラの顔色もすぐれなかった。先ほどから俺が難しい顔をしているために、かなり不安にさせてしまったようだ。

 ライラはしばらく、「言おうか、どうしようか」というような顔で迷っていたが、やっと顔を上げて言った。


「あの、あたし……ついて行ってもいいのですよね? ヒュウガ様に」

「だから、『様』はやめてくれと言っている」

「あっ。そ、そうでした……。でも──」


 いきなり呼び捨てなんて、とてもできない。自分は「ヒュウガ様の奴隷」なのだから。そしてできれば、これからの旅に付き従わせてほしい。「ヒュウガ様」のおそばにいて、そのお世話をさせて欲しい──。

 ライラは何度もつっかえながら、顔を真っ赤にしてそう言い募った。

 ごく純朴な村娘にしか見えない少女だが、芯はなかなかしっかりしているようだ。

 俺は再び、村の中心部へ向かうという道を、今度はゆっくりめに歩きはじめた。


「本当にいいのか? ライラ。シスターの話は聞いていただろう。今のあんたの感情は、無理に押し付けられたものだとわかったんだぞ。本当のあんたは俺のことなんか、これっぽっちも好きではなかったはずなんだ。むしろ、嫌悪する対象ですらあったかもしれない。……それでもついて来たいのか? 俺なんかに」

「はい、もちろんです」


 ライラはきっぱりと言い放つ。その目はまっすぐで、真剣だった。

 俺は肩を落とす。

 逆に言えばそれだけ、この世界が彼女たちを縛り付ける<奴隷徴用スレイヴ・テイム>の力は絶大だということだ。


「今まではどうしていた。あんただって、これまではご両親と一緒に暮らしていたんじゃないのか」

「え? ……は、はい。それは……」

「ご家族はどうしていらっしゃるんだ。このことはご存知なのか」


 明らかに未成年にしか見えないライラのことだ。まず心配したのはそこだった。もちろんこの世界において、いったい何歳が「成人」なのかまでは知らないが。

 それでもこんな若い娘を、どこの馬の骨とも知れない俺のような奴が遠方まで問答無用で引きずり回す。それもかなりの危険を伴う旅だ。

 その上、マリアの言葉が正しいのなら、場合によっては「奴隷」たちはかなり不埒ふらちな仕事までさせられるかも知れないということだった。親の身になって考えれば、気が狂わんばかりに心配して当然じゃないか。


「大丈夫です。お父さんもお母さんも、それにおじいちゃんとおばあちゃんだって、ちゃんと『しっかり勇者様にお仕えするんだよ』って、送り出してくれたので……」

「本当か?」

 いや、そんなことはとても信じられないが。

「皆さんは、近くにお住まいなのか」

「は、はい。あの村に家があるので……」

「そうか。ではまず、そちらにご挨拶にうかがおう」

「ええっ!?」


 ライラがびっくりして飛び上がった。まさか俺からそんなことを言われるなんて予想もしていなかったらしい。

 いや、それはおかしいと思うんだが。


「確かに、旅の随行者は必要だ。俺はここに来たばかりで、もはや赤ん坊同然だからな。身の回りの世話云々うんぬんはともかくとしても、道ばかりかこの社会の構造すらまだよく分かっていない。言語の壁がなかったことだけは救いだったが、それだけでどうなるというものでもないだろうし」

「は、はい……」

「どうすれば『魔王』とやらに会えるのかも皆目わからん。それはまあ、シスター・マリアが導くつもりなのかもしれないが──」


 だが正直、あのシスターは信じきれない。どうもあの優しげな笑顔の裏に、一物いちもつも二物も隠し持っていそうだからだ。


「こんな状態でマリアと二人だけでは、たどり着くこと自体が相当に難しいと思う。……だから、ライラがいてくれるのは正直、助かる」

「えっ……」

「と言うか、居てくれないと困る……と、思う。甘ったれたことを言って申し訳ない限りなんだが──」


 とたん、ライラの灰色の瞳がきらきら光った。本当に嬉しそうだ。

 しかし、その感情は本物だろうか。そんなものは単純に、この世界のことわりによって操作され、本来の自由意思を捻じ曲げて植え付けられただけの上滑りな感情に過ぎないのでは──。

 考えれば考えるほど、暗澹あんたんたる気持ちになる。

 可愛らしくて純粋な彼女の顔を見ていればなおさらだった。


 ……それは、そんな感情は、ただ「虚しい」とは言わないのか。


「あ、あの──」

「……ああ。すまない」


 俺はどうやら、また難しい顔になってしまっていたらしい。ライラがしゅんとうなだれて、悲しい顔になってしまったからだ。


「……おイヤ、なんですね。あたしなんかがそばにいるの……」

「いや。そういうことを言ってるんじゃない」

「でもっ。そ、そりゃあ、あたしなんか……チビだし、別に美人でもないし。なんの取り柄もない、ただの田舎者だけど──」

「そういうことを問題にしてるんでもない」


 いや、ライラは十分可愛い。むしろ気取ったところや、やたらに着飾ったり化粧をしたりして男の気を引こうというそぶりがないだけ、よほど好感が持てるぐらいだ。

 と、そこまでここで言う度胸はなかったが。


「でもっ、おイヤなんでしょう……!」


 急にライラがぴたりと立ち止まった。そして、今までにない瞳の強さで俺を下からにらんでくる。小さな拳をぎゅっと体の横で握りしめ、それが震えているのが見えた。


「勇者様に奴隷がついて、自分の気持ちじゃなしにお仕えするなんて、変だと思ってらっしゃるんでしょう。……ライラじゃなかったらいいのかもしれないけど、少なくともライラはイヤなんだ。ヒュウガ様はそう思ってる……!」


 言っているうちにその大きな目にどんどん涙が溜まっていく。

 ひくひくと頬が震えて、堪えようとするのに表情が歪んでいく。

 俺は困ってライラを見下ろした。


「落ち着いてくれ。そうじゃない。ライラだから嫌だという話じゃないんだ。そこはどうか、分かって欲しい」

「でもっ……。でもっ!」


 とうとうライラの両目から、ぽろぽろ雫が落ち始めた。

 俺はぐすぐすしゃくりあげ始めた少女を前に、困り果てて額に手を当てた。

 俺の家には、母親以外の女がいない。一応は共学なのに、学校でもほとんど女子と絡んだこともない。これまでの十七年、大抵の女子は俺を遠巻きにしてほとんど関わろうとはしてこなかった。

 自分ではそこまでだとは思わないんだが、どうも「硬派」だとか「女嫌い」だとかいう噂が勝手に独り歩きをしているらしいのだ。

 だからこういう場合にどうすればいいのか、俺には皆目わからない。絶対的に、経験値というものが足りなかった。


 だが、ひとつの希望はある。

 ライラがこうして自分の気持ちをはっきりとぶつけてくれたことは、俺にはひとつの光明こうみょうに思えた。


「ライラ。……聞いてくれ」


 ひくっと喉を鳴らして、ライラが真っ赤になった目をあげた。

 俺は少し腰をかがめて、ライラの目線に自分のそれを合わせて言った。


「ライラは、ライラのままでいい。『勇者の奴隷』なんかになる前の、もとのままのライラでいればいい」

「…………」

「そもそも俺は、無理に声や動きを作ったり、派手に着飾ったりして男に媚びるタイプの女は苦手だ。いわゆる『虫唾が走る』というやつだ」

「…………」

「ライラがそういう子じゃなくて、本当に助かっている。むしろ好感を持ってるぐらいだ。……これは嘘じゃない。信じて欲しい」


 泣いている少女に向かって、何をどう言えばいいものか。どう言ってやればその心に届くのか。やっぱりなにひとつ確信はもてなかった。

 ただ誠心誠意、正直に気持ちを話すことぐらいはできる。だから俺は俺なりに、なんとかわかりやすい言葉を選んで、彼女を説得してみたつもりだった。


「ご家族と暮らしていた時そのままの、自然で明るいライラでいてくれればいい。泣きたいときには泣けばいいし、わがままだって言っていい。『勇者』が相手だからと言って、なにも遠慮する必要はない」

「え、でも……」

「それを守ってくれるなら、旅の同行は是非ともこちらからお願いしたい。もちろん、危険な場面では決して表に出ないことを誓ってくれたら、だが。……どうだろうか」

「…………」


 ライラはしばらく、ぼうっとしたように俺を見上げていた。そのうちにまた、だんだんとその目が輝きだした。

 不思議なことに、先ほどまでよりもずっとその頬が、いや耳までも真っ赤に染まっているような気がした。


「はい……。はいっ! ヒュウガ様……! お約束します。きっと、きっと守ります……!」


 ライラがこれまでで一番光り輝くような笑顔になって、俺はようやくほっとした。

 周囲はすっかり夜の世界に入っている。

 どこかでなんの虫かは分からないが、リーリーと涼やかに鳴き交わす、静かな声が聞こえていた。


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