第7話 スレイヴ・テイム
とうとう、俺は絶句した。
まったく、「勇者」の欲望には相当に限度がないと見える。
「その場合、勇者さまご自身で気に入った者にお命じになり、その者をご自分の奴隷として『
「テイム……」
「勇者様は普通<
「…………」
詳しくは知らないが、確かに弟のやっていたゲームにも「テイマー」と呼ばれる職種のキャラクターがいたような気がする。彼らは野にいる様々な動物を「説得」して、自分の騎獣にしたりペットにしたりすることができるのだ。
(始末が悪いな──)
なにしろこの場合の相手は人間だ。動物ならいいとは言わないが、理性のある人間の意思すらねじまげて<テイム>してしまうとは。
いったい勇者とは何様なんだ。
眉間に皺を入れて不快げになっただろう俺の顔をちらりと見て、マリアは苦笑顔になった。
「先ほどの畑の作物と同じですわね。まさに問答無用です。あなた様がそう命じれば、彼、彼女は即座にあなた様の
「…………」
俺は遂に停止した。
「どんなことにも」。
それに何が含まれるのか、さすがにこの年になっていればうっすらと想像はつく。いや、想像なんてしたくもないが。
それがかなり
俺の目が険しくなってきたのを察知したのか、マリアはまた柔らかく微笑んだ。それはいかにも「まあまあ、落ち着いて」と言わんばかりだった。
「ひとたびそうなってしまったら、もはや『
「…………」
「相手がたとえ、すでに誰かと結婚しているような場合であっても同じです。彼らはもとの夫、あるいは妻のことも忘れ去り、一途にあなた様を愛するように変貌してしまうのです」
「勘弁してくれ……!」
俺はとうとう、拳でテーブルを叩いて頭を抱えた。
なんなんだ、その腐った仕様は。
この世界は、人の自由意思すら捻じ曲げるのか。「勇者」が何様だか知らないが、そんな不遜な真似が許されることがそもそも俺には許しがたい。
次第にぐらぐらと煮えて来た俺の腹のことに気づいたのかどうか、マリアは少し目線を落とした。ライラはと言うと、さっきからずっと不思議そうな顔だ。
「どうしたの? ヒュウガ様。あたし、ちっともイヤじゃないですよ? あたしは勇者さまにお仕えできることになって、とってもとっても嬉しいもの。一緒に旅ができるの、とっても楽しみにしてるもの!」
「……そういうことじゃ、ないと思う」
唸るように言ったら、ライラは途端に悲しそうな顔になった。
「イヤですか? ヒュウガ様。あたし……あたし、とっても嬉しかったのに。勇者さまの奴隷になれて、すっごく、すっごく……嬉しかったのに」
肩を震わせ、少し泣き出しそうになったライラを見て、思わず何も言えなくなる。
だから、そういうことじゃない。
その「嬉しい」という感情すら、恐らくは根本から操作されている。
誰にかと言われれば、恐らくそれはこの世界を創った者に、だろうが。
(『創生神』……か。なんて世界を創ってるんだ)
いったい、この世界の目的はなんだ。
その創生の神とやらは、何を求めてこんな世界を造り上げた……?
マリアがしばらく、俺とライラを見比べるようにしてから自分の胸に手を当てた。
「もちろん、すべてのことには例外があります。たとえば私。こちらに訪れた勇者様に、こうしたことをご説明さしあげる使命がありますので、<
(なに……?)
俺はそこで目をあげた。
「ほかに? ほかにも同時に、『勇者』がここに来ているのか」
「左様です。こちらはそういう世界なのです。訪れて来た勇者さまたちにそれぞれに複数の『奴隷』をあてがい、期限内に『魔王』を倒していただく。魔王が倒されれば、この世界そのものが終わるとも言われております」
「え? 終わる……?」
「そうです。どのように『終わる』のか、そのことを知るものはおりませんが。……なにしろ、今までに成功したことが一度もないものですから」
マリアは静かに微笑みながら、一度目を伏せた。
「勇者様たちは、どんなに多くの『奴隷』たちに誘惑されようとも、決して『闇落ち』だけはしてはならない。そうなれば、もはや魔王を倒す力を得られなくなるからです」
「闇落ち……? それは、なんだ」
「『奴隷』たちとの愛に
マリアの声は、そこだけ冴えざえとして冷たく響いた。
なんとなく、美しいその青水晶のような瞳さえもが凍てつく冷気を放出しているかのようだった。
「奴隷のだれか、あるいは全員と一緒に『ずっとここで、このまま平和に暮らしたい』と願う。『自分を慕ってくれるこの者たちと一緒に、おもしろ可笑しく生きていたい』と。その瞬間、その者は『勇者』ではなくなります。それが『闇落ち』。勇者としての存在意義の喪失、ということです」
「『闇落ち』した勇者はその後、どうなるのですか……?」
「簡単なことです。単なるこの世界の一部になって、いつか誰かの『奴隷』になるかもしれないと恐れながら暮らすだけの、この地の居住者となり果てる。そういうことです」
「な……」
さらさらと彼女の唇から流れてくる言葉たちも同様の冷たさだった。それは床を、テーブルの上を静かに這って、やがて俺の体を這いのぼり、じわじわと体全体を凍らせるかのように思えた。
「つまりこの世界には、『もと勇者』と呼べる人たちが一定数いる、ということになりますわね……」
と、ぎゅっと腕を握ってくる手を感じて俺はハッとして隣を見た。
さっきまでにこにこ笑っていたはずのライラまでが、見たことのない人を見るような目でじっとマリアを見つめて震えていた。
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