第3話 真野


 人目がないのをいいことに、そいつらの嗜虐の度合いは先日を大いに凌駕していた。

 真野は例によって荷物を薄汚れたアスファルトにぶちまけられ、にきびの浮いた頬を腫らして唇から血をにじませている。制服も、かなり乱れて汚れた状態だった。


「な~んだ、またアイキドー君かよ」


 こちらにいち早く気づいたリーダー格が、頬を気味の悪い形にゆがめてせせら笑った。もちろん名前は知っているが、相手もこんな調子なのだからお互い様だ。

 なかなか整った顔だちで、いわゆる「イケメン」と呼んでもいいほどなだけに色々と残念な感じもする。が、中身がこうでは、どんなにも意味はない。

 親はどこぞの代議士だとかいう話だったが、その親は自分の子供がこんなところでこんなことをしていることを果たして知っているのだろうか。まあ、そんな訳はないか。

 と、リーダー格の隣にいた奴が、ぐいとスラックスのポケットに何かを突っ込んだのが見えた。恐らく真野から脅し取った金かなにかなのだろう。


「……返してやれ」

「はあ? なにい? 聞っこえませ~ん」

「今、真野からとったものだ。返してやれ」


 唸るように言ったが、相手はなんら動じる風もなかった。

 リーダー格がへらへら笑う。もちろん、俺の言葉が何を意味しているか、十分にわかった上での嘲笑だ。


「聞こえねえなあ、アイキドーくうん?」

「俺ら、別になにもとってねえし?」

「ちょっと真野君からをもらっただけじゃんよ。なあ、真野くうん?」

「…………」


 問われた本人はうつむいて、殴られたのであろう頬のあたりをぐいと袖口でこすっただけだった。

 その目がぎらっと光って俺を睨む。その目は彼を囲んでいる奴らより、俺のほうがよほど憎いと言わんばかりにも見えた。彼のそんな目つきを見て、周囲の奴らはげたげた笑い出した。


「ほらぁ、まにょんちゃんだってそう思うってよ。だろ?」

「俺らのに水をさすんじゃねえよ、ヒーロー君はよ」

「言ってやんなよ。『迷惑だ』ってよ」

「返してやれ、と言っている」


 俺の声はさらにトーンを下げた。相手の連中には、もはや唸り声としか聞こえなかったかも知れない。


「うるっせえんだよ! てめえはいつもいつも!」


 突然、リーダー格がキレたようになって大声をあげた。その目は奇妙なほどに白く光って、鈍い色で俺を睨みつけている。それは人間の目と言うよりは、卑しく死肉をあさるような獣や昆虫のようにも見えた。

 ……いや、それでは獣や昆虫に失礼だな。かれらは決して、単純に自分の嗜虐心を満たすためだけに獲物を狙ったりはしないのだから。そういう意味ではかれらの方が、こんな奴らよりはるかに崇高な生き物だろう。

 無意識にそんなことを考えているうちに、中の一人が無造作にポケットに手をつっこんだ。


「そーんなに返して欲しいんなら、返してやんよぉ!」


 ぴらぴらとこれ見よがしに頭の上でそれを振って見せている。真野の表情がさっと変わった。それは、先日俺が拾ってやった、あのキーホルダーだった。

 彼にとってはとても大切なものなのだろう。良介も言っていた。「限定品とかレアものってのは、オタクにとっては宝物。とくに一個しか手に入らなかったやつなんかは、命より大事かも」と。

 ふざけたことを。さすがに命と比べるのは行き過ぎだろう。

 

「かっ、返して……!」


 裏返った声でそう叫びながら、彼らより頭半分ほど背の低い真野が、必死でそっちに手をのばす。が、相手は真野をいたぶるように、小柄な彼の頭のずっと上でひらひらとそれを泳がせ、他の奴にパスした。そっちの奴も同様にして、へらへらと笑いながら真野の手から遠ざける。


「ほ~れほれ、取ってみなぁ?」

「がんばれがんばれ~。ちったあ背も伸びるかもよ~?」


(こいつら──)


 俺は見かねて足を踏み出した。


「やめろ、と言ってる──」

「おおっと! 手がすべったぁ!」


 次の瞬間、へらへら笑いながらリーダー格が、ちょうど野球のピッチャーのフォームを真似て大きくふりかぶって見せた。

 ぴゅん、とキーホルダーが宙を舞う。


「あっ……あ!」


 真野が躓きながらも必死に駆け出す。

 そちらは車道の方向だ。

 キーホルダーは大きな弧を描いて車道をとびこえ、そのまま川へ落ちるコースをたどっている。

 川だけならいい。だが、手前は車道だ。

 そのまま何も考えずに飛び出したら──。


「まて! 真野……!」


 俺も瞬時に飛び出した。いじめっ子連中のそばを駆け抜け、真野に追いつく。

 すんでのところで真野の襟首をつかんだ時には、俺たちはもう、二人で車道へ飛び出ていた。

 真野だけでも歩道の方へ投げられるかと思ったが、間に合わなかった。

 

(……!)


 急ブレーキの音。

 迫ってくる大きな物体。

 トラック、と思う間もなかった。

 全身を襲う、激しい衝撃。


 それが俺の、意識の最後の明滅だった。


 俺の意識はブラックアウトし、

 あとは何も分からなくなった──。

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