第4話 修道女(シスター)マリア

 そういう訳で、話は現在へと戻る。

 俺は目覚めてはじめて会ったその少女──ハイド村のライラ──と共に、丘から村へ向かう小道を歩いている。

 彼女がまずは、村はずれにある「教会」で、そこにいる修道女シスターマリアに俺を会わせたいと言ったからだ。


「シスターは、とても清らかな方なのです。わたしたちの代わりに神に祈りをささげてくださり、村を災厄から守ってくださる尊いお方──」

 うっとりした目で語り続けるライラには悪いのだが、俺はほかのことが気になっていた。

「『シスター』や『教会』と言うからには、ここには宗教があるということだな。それはキリスト教なのか?」

「えっ。『きりすと教』ってなんですか?」

 純真そのものの瞳で見上げられて尋ねられ、俺は一瞬、返す言葉をなくす。

「……いや。そうでないならそうでもいい。なら、あんたらの崇めている『神』とは何だ? 教会があるからには宗教があるはずだと思うんだが」

「あ、……はい。わたくしたちが奉ずるのは創生神さまです。この世をつくりたもうた原初の神だと聞いています」

「『創生神』……。この世界を創った神、か」


 それは何者を指すのだろう。


「左様です。マリア様はその教会で、私たちの代わりに創生神様へのお勤めをしてくださっているのです」

「……なるほど」


 俺はこの少女と話して何度目かになる顔をした。つまり、眉をひそめた。

 このことに限らないが、どうもこの世界はしっくり来ない。ひと言で言ってしまえば、何もかもが曖昧、かつ都合が良すぎるのだ。主に、俺自身に対して。

 見た目は派手で重々しいのに、さして重量を感じないこの甲冑かっちゅう。大剣も同様だ。見たところ金属のようなのに非常に軽く、ほとんど動きを妨げない。なんの素材でできているのだろう。

 また、あまり一般的な日本人にはない色目や顔立ちをしたこの少女が、すらすらと日本語を話すこと。とは言え文化は明らかに日本のものではないように見える。

 そして、一番疑問に思うのが──。


「……すまん。なんでそんなにくっついて歩くんだ」

「えっ? ご、ご迷惑でしたか? すみません……」


 ライラがぱっと赤くなり、慌てて跳びすさる。これも何度目かのことだ。

 さっきからこの少女は、頬を赤く染めたまま俺の腕にすがりつくようにしてぴたりと体を寄せ、ずっと恥ずかしそうに歩いている。周囲に危険な野生動物でもいるというなら分かるが、どうやらそういうことでもないようだ。

 彼女の身長は、俺の肩あたりまでしかない。気のせいなのかもしれないが、気が付くと俺の腕にしがみつき、手甲をつけた腕にその胸をぎゅっと押し付けてくるのだ。

 ……それは普通、年頃の娘が初対面の男に対してするようなことじゃない。いや、ここでの文化を知り尽くしたわけではないから断言はできないけれども。

 幸いにもと言うか、硬い装備や手甲のお陰でその体の柔らかさがこちらにじかに伝わってくることだけはない。そのことにはほっとした。


 そういえばさっき、この少女は「自分はあなたの奴隷です」と言わなかったか。

 意味が分からない。そのことについても何度も訊ねてみたのだったが、彼女はひたすら「今日ここに現れる勇者さまの奴隷になること。ずっと前から私はそう決められていたのです」と言うばかりだった。その「お告げ」とやらをしたのが、これから会うシスター・マリアであると。

 そいつに会えば、なにがしかのことがはっきりするのだろうか。むしろ失望するのだろうか……?

 三十分ほど歩いたところで、ライラが木立の先を指さした。


「あれです。あれが、ハイド村の教会です」

「教会……。まさに、『教会』だな」


 白い壁に尖った屋根を持つ建物。映画や何かでよく見るような、ごくありふれた外観。ご丁寧に、そのてっぺんに十字の意匠の屋根かざりまで見える。これでキリスト教でないとなったら、いったいどういうことなんだ。まったくわけが分からない。


 分厚い木でできた粗末な扉をライラがノックすると、すぐに「いかにも修道女です」といういでたちの、これまた若い女が出て来た。「女」と言うよりは「少女」とでも表現したほうがいいぐらいの顔立ちだ。

 「修道女」と聞いて誰もが想像するであろう髪を隠すヘッドベールと、足首まで隠すほどの長い灰色の修道着。品よくおっとりとした風情。瞳は青く澄んでいて、肌はライラのそれよりもずっと白い。その姿は神々しいばかりに美しかった。髪はベールに隠れて見えないが、睫毛が金色に輝いている。

 不思議だったのは、その耳だった。

 ライラのそれは自分と同じ人間のものとそっくりだったが、ヘッドベールの陰からのぞくマリアの耳は先がすっと細くて長く、かなり尖って見えたのだ。


「シスター。こちら、青の勇者様のヒュウガ様です。ヒュウガ様、こちらが修道女マリア様。シスター・マリアはごらんのとおり、ハイエルフ族でいらっしゃいます」

「ハイエルフ……?」


 知らず眩暈めまいを覚えた気がして、俺は足を踏ん張った。

 「ハイエルフ」。弟の好きなゲームでは、さんざん目にした一般的な種族でもあり、これまた目新しいとは思わない。思わないが、現実にそういう種族が生きて目の前にいるというのは新鮮すぎた。

 弟のやっていたソーシャルゲームでは、他にもダークエルフやハーフエルフ、ヒューマン、ゴブリン、ドワーフ、オークといった様々な種族が存在していた。

 初対面の挨拶をしてからそのことを確認すると、二人は目を丸くした。


「ええ、はい。そういう種族もおりますわね」

「よくご存じなのですね、ヒュウガ様……」


 それはさも、「当然ですがなにか?」と言わんばかりの顔に見えた。


(やっぱり、そうなのか……)


 さしづめライラは「ヒューマン」ということになるらしい。

 弟の良介によると、そもそもこれら種族の設定は、古典ファンタジーの名作と言われるトールキンの「指輪物語」の世界観を流用したものだという。

 俺自身は大して詳しいわけではないが、こうした現在のゲーム事情を知ったなら、本家のトールキン氏は卒倒するのではないかとひそかに思う。彼が地図や文化のみならず、まずはそこで使われている言語体系までを一から作り上げ、精魂こめて構築したはずの世界には、すでにあまりにもこの世の手垢てあかが付きすぎてしまった。それを思うと、少し気の毒になるほどだ。

 俺の反応を見て怪訝な顔になった二人の少女を見て、俺は気を取り直した。

 なんであれ、そんなことはいま目の前にいるこの二人には関係のないことだ。


「……申し訳ありません。なにしろ違う世界から来たもので、事情がよく呑み込めておりません。今の自分は迷子の子供のようなものです」


 一見すると自分と同年代に見える相手だが、一応はこの地域で尊敬される立場の人だ。それで俺は一応は、シスター・マリアに敬意をもって当たることにした。


「お手数を掛けますが、少しご教示をお願いしたく──」


 そう言って頭を下げれば、マリアはにっこりと清純そのものの笑みを浮かべた。


「もちろんです。さ、ここではなんですので。どうかお入りください、ヒュウガ様」


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