第12話
転移先は真っ暗闇だった。
「……おかしな連中だったな」
エンデレはどっと疲れて、立ちすくんでいた。訳のわからない人間たちに訳のわからない場所だった。そもそも、転移の繰り返しで、エンデレの精神と肉体はとてつもなく疲労していた。
「……はあ。ここは、どこだろう……」
目を凝らすが、暗闇で何も見えなかった。
エンデレの左手の甲だけが煌々と輝いている。手の光をかざして、周囲を順番に照らした。
どうやら、四角く手狭な部屋のようだった。窓らしきものはなく、ドアノブがあったが、ひねってもビクともしない。出られないし、机もイスも寝具も、なにもかもがない、殺風景なところのようだった。
「……疲れたな」
エンデレは手の甲を見た。しばらく転移はなさそうだった。
エンデレは、ペタンと床に座り込んで、壁に寄り掛かった。
しばらくそのままじっとしていた。暗闇に聞こえるのは自分の呼吸音だけで、狂ってしまいそうなほどにしんとしていた。
「……殺人犯か」
エンデレは膝を抱えて目を閉じた。
「……殺人犯か」
次第に、うつらうつらと、眠りに落ちそうになった。
「……殺人犯」
このまま眠ると、嫌な夢を見そうだとエンデレは思った。しかし、どうにも眠かった。
「……」
自分の呼吸音が聞こえた。自分の心臓の音が聞こえた。自分の腹が動くのを感じた。自分の中の血液が流れるのを感じた。
「……」
エンデレは、いつしか眠りについていた。
案の定、エンデレは嫌な夢を見た。
『過去と決別しないといけないの。それは誰でもなく、あなた自身のために』
『そんなの関係ない。俺は、俺でしかない。過去があろうがなかろうが、俺は結局俺なんだ……』
『人は過去に形作られている。今までに関わってきた、たくさんの人たちが、私たちを形作っている』
『……』
『それが良い影響であれ、悪影響であれ。あなたが望もうが、望むまいが。あなたは、出会った人たちに影響されて生きている』
『……』
『そういうものでしょ?』
エンデレは、次第に近づいてくる騒ぎ声に眠りを妨げられた。
目を開けてもそこは暗闇で、エンデレは自分の状況を思い出すのに少し戸惑った。
体の節々が痛くて、エンデレは体を伸ばそうと立ち上がった。地面に手を突くと、冷たくて固い感触だった。
辺りを見回しても、暗闇で何も見えない。自分の左手の周りだけが煌々と光を放つ。
左手の甲を見ると、針が半分を回っていた。どれだけ眠っていたのだろうか。
「とっとと歩けこのガキ!」
先ほどからエンデレに聞こえていた声が大きくなっていた。
エンデレは、この部屋が開けられてもドアの扉で隠れられるように、静かにドアの横の壁に張り付いた。光る左手を服の中に入れて隠す。
「……う、ひょぐ。ひご」
妙な声が聞こえた。子供の声で、しゃくり声を無理に抑えているようだった。
「……気持ち悪いガキだな。ま、ビービー泣かれるよりはマシか」
子供の他に、男が一人いて、エンデレのいる部屋へ段々と近づいてくるようだった。
エンデレは、息をひそめて、二人の動きをうかがった。
男たちはエンデレのいる部屋の、一つ隣で止まった。
そこの鍵を回して、ドアが開かれた。エンデレは、少しだけホッとした。
「うぅ!」
誰かが転び倒された音がした。男に子供が蹴飛ばされたらしい。ドアがすぐ閉まり、外から鍵を閉める音が響いた。
男の足音が遠ざかって行った。
「ひぐ、ふー、ふー、うぐっ」
奇妙な声だけが隣の部屋に残った。
エンデレは、足音を立てないように、また元の位置に戻った。
「ふぐっ、ぐぐ」
一人になっても、子供はまだ奇妙な泣き方を続けている。
その泣き方を聞いて、無理に我慢しないで普通に泣けばいいのにとエンデレは思った。
事実として、子供は人攫いに捕まって、ここに連れてこられた。エンデレも、先ほどの男らしき人間と子供のやり取りを聞いて、そのことを薄々と感じていた。ここは人攫いが牢屋として使っている空き家なのだろうと考えて、エンデレは少しうんざりとした。
「ぐっ……ぐー」
「……」
エンデレは左手の甲を見た。まだ針は下を指している。エンデレはつい溜息をついた。
「ふう……」
「あっ……! ひっ……」
「あ……」
溜息の音でエンデレの存在に気付かれたようだった。薄い壁で仕切られていた。
エンデレは少し迷って、壁に近づいて、コンコンと拳で叩いた。
「あー……少し、静かにしてくれないか? このままじゃ眠れない」
「……」
「俺は……きみの先輩だ。俺も捕まってここまで連れてこられた」
「……」
「……きみの気持ちはわかる。心細いだろう。さっきの男が憎たらしくてしょうがないと思う。でももうどうしようもないんだ。だから静かにしてほしい」
「……」
「……」
エンデレはそのまま静かに元の位置に戻ろうとした。
「……先輩? どうして大人の人が捕まってるの?」
戻ろうとして、止められた。
子供の声はゆらいでいて、今にも泣き出しそうな調子だった。
エンデレは、そのまま無視しようと思ったが、なんとなく会話を続ける気になった。
エンデレは壁に再び近づいた。
「俺はこう見えて君と同い年なんだ」
「うそ。そんな声が低い子供なんているわけない」
「そう。うそだ。本当は君よりも結構年が上だ」
「……バカにしてるの?」
声にムッとしたような調子が混ざった。
「いやいや。自己紹介をしようか。俺はエリンギ。17歳だ。君の名前は?」
「……こんなとこでいうわけない。バカじゃないの」
「……そうだなバカだな。だが俺がバカなら、きみはアホだ」
エンデレは性格が悪く、拗らせていた。
「……大人のくせにつかまって、バーカ」
「あいにく、俺は希少価値が高くてね。瞳の色は地獄色で、身長は熊より大きくて、鼻がやられるくらいに美味しい匂いがする。だから、大がかりで狙われてしまうんだね」
「バカじゃないの」
子供は、鼻をスンスンと鳴らした。
エンデレは、壁の向こうにいる子供は生意気な顔をしているのだろうと思った。
「泣きたかったら泣いてもいいんだぞ。ここなら、泣いてもしばかれない」
「は? 泣くわけない。バカかお前」
「必死に我慢してるくせに。体に毒だぞ。泣いとけ」
「バカは、喋るな。バカ!」
「捕まっている同士、俺らは同レベルなんだが? 俺がバカならお前もバカだということになる」
「は、はあ? い、一緒にしないで!」
「いいか? 人間にはレベルが存在する。俺とお前は同じ下位者だ。それを自覚しろ」
「もう、黙れ! 黙れ! バカ!」
子供はそう震えた声で叫ぶと、黙った。ぐしゅぐしゅと鼻をすすって、またしゃくり上げるのを我慢するような、奇妙な泣き声をするだけになった。
エンデレは、今度こそ元の位置に戻って、膝を抱えて、また眠ろうとした。
「……俺はバカなのだろうか」
子供はしばらく奇妙な声を出し続けて、疲れたのかやがて静かになった。
かなりの時間をうとうとして、不意にエンデレは目を覚ました。
目をこすりながら左手の甲を見ると、針は左斜め上を指していた。
エンデレはあくびをした。すると少しだけ頭が痛みだして、眉をしかめた。
「……ねえ。ねえ、いるの?」
隣から声が聞こえる。エンデレに呼びかけているようだった。
「……ああ、いるよ」
「寝てたの?」
「……まあな」
子供の声は、さっきよりも震えが取れていた。その代わりに、ハッキリとした心細さが前に出ていた。
「……ねえ、ここどこだか知ってる?」
子供が不安げにエンデレに尋ねた。
「そんな事を知ってどうなる?」
「どうなるって……」
「俺も知らないよ。そもそも奴らが知らせる訳ないだろ?」
子供は、しばらく黙って、ごそごそと部屋の中を歩き始めた。
「……ねえ、そっちに、窓ってある?」
「……ない、と思う」
エンデレは手の甲の光をあちこちに当てて、改めて部屋の様子を探った。
「……そっか。こっちもないや」
「見えるのか?」
「ううん。手探りだけど……」
「こっちに、他に出られそうなところはないな。そっちは?」
「……無いと思う」
隣の部屋でしばらく物音がした後、小さく不安そうな声が答えた。
エンデレは、扉をガタガタと叩いたり、ノブをガチャガチャと捻ったりした。
「……頑丈な扉だ。これは無理だな」
「……あまり音を出さないで。気付かれちゃうよ……」
「見張りもいなさそうじゃないか? それに、多分、地下室だろここ」
「……そうだね。この部屋を出ても、意味ないか……」
子供が、ぺたんと座りこむ音が聞こえた。エンデレも座りなおして、なんとなく、隣の部屋に喋りかけた。
「不安か?」
「……そっちは不安じゃないの?」
子供は、またぶるぶると震えた声をしていた。
エンデレは少し考えて、喋りかけたのを後悔した。手の甲を見ても、まだ少し時間があった。
「まあ、落ち着けよ」
「……どうしてこんなことに、ぐ、ぐぐぐ……」
子供は、また変な声を出し始めた。
エンデレは、溜息をつきかけて、なんとか思いとどまった。
「長い人生、いいことあるさ」
「……はあ、フン。エリンギは馬鹿なんだね。そんなのあるわけないのに」
余裕の無い、心底人を馬鹿にするような声色に、エンデレは大人げなくイライラした。
「……そうだな。俺は、人生の下位者だからな」
エンデレは意識的に暗い声を出した。
「……エリンギ?」
「おっしゃる通り、俺は底辺のゴミ屑さ。人はな、上位者と下位者に分けられる。俺はあの男たちより下位者で、あの男たちは雇い主や取引先よりも下位者だ。俺は一番底辺」
「……そこまで言ってない」
「下位者は、上位者に逆らえない。なぜなら、上位者は下位者よりも豊かで、人間性が優れているからだ」
「……あんな奴らの人間性なんて」
子供はエンデレの様子に戸惑うような声色をしていた。エンデレは構わず続ける。
「俺は、こうして家畜のように這いつくばっているからな。事実として、俺はあいつらに生かされている。だから、人間として劣っているのさ」
「……あの」
エンデレは本当に気分が暗くなってきて、声の調子も更に暗くなった。
「……劣っている人間には何をしても良い。それが、上位者の下位者に対する権限だ。ぼこぼこにして、下位者はさらに人間として格が下がって行く。雪だるま式にな」
「……」
「俺は、どん底の下位者で、ボロボロにされるのを待つだけ。この先の人生、一体何が待ち受けているのだろう? 確かに、もう捨てた方がマシな人生さ。仰る通りだ」
「……ごめんなさい」
とても小さい声だったが、エンデレは辛うじて聞きとった。
「……」
「……ごめんなさい、ごめんなさい」
心細くなったのか声がとても震えていた。エンデレはさすがに罪悪感で血の気が引いた。子供は泣くのをこらえている。
「ぐ……ぐぐ……ぐぐ、ぐぐ」
エンデレは慌てて言葉を付け足そうとして、四苦八苦した。
「……いや、いや。なんて、なんてな。だからお互い頑張ろうって話なんだ」
「ぐ、ふぐ、ぐぐ……」
「……ごめんなさい。あの、寝る前も言ったが、そんなに我慢するなら泣いた方がいい。それだと辛い」
「ぐ、ぐ……」
子供は自分の調子を整えるように、音を立てて意識的に呼吸をした。出てくるしゃくり声も涙も、それで誤魔化そうとしていた。
「う、はぁ……はぁ……」
「……」
「泣いちゃダメって言われたから……」
「……誰に?」
「お母さんに……絶対に泣いちゃダメって……」
「ふーん……」
しばらく鼻をすすっていた。エンデレも特に声をかけなかった。
針が真上を指そうとしていた。
「……」
エンデレは、口を開きかけたが、やめた。
子供は出てくるしゃくり声を、我慢していた。
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