第11話
エンデレは光の中をやけに長く心地よく漂っている気がした。淡くゆったりとした空間の中でたゆたい、そこから急に引きはがされて、地面に投げ出された。
エンデレはバッと目を見開いた。
「エル?」
『くさ! え? 何だこいつ!』
「ん?」
そこはエンデレが知ることのない場所、日本だった。
『だ、誰だこの人……』
『今突然現れなかった?』
『くさいんだけど、てか何かぬるぬるしてるし……』
そこにいる人間たちがざわつきだした。
「……言葉がわからない」
エンデレが見回すと、そこはまるで見覚えの無い場所だった。
エンデレが降り立ったのは、大きなテーブルの上だった。大人数用の長いテーブルで、大人数用の大きな部屋の中央に位置していて、そのテーブルを見知らぬ無数の人間が椅子に座って取り囲んでいた。
エンデレの立っているテーブルの材質は見たことも触ったこともないものだった。木製でも金属製でもない、エンデレには判断のつかない未知の素材でできていた。何気なく拳で叩いたり足で踏んだりすると、硬いような感触と音がする。
エンデレは、テーブルの上でゆっくりと立ち上がって、辺りを見回した。そこにいる皆がエンデレを驚愕の目付きで見ていた。
「……まいったな……」
『やばいよこいつ……なんだよこいつ』
『メッチャ喋ってんだけど……何語だよ』
「ここはどこだ? 誰か……俺の言葉を……」
『どうする? 警察呼ぶ?』
『ここ船の上なんだって……エイリアン? 無力化しないと……』
「……」
エンデレが周囲をさらによく観察すると、部屋の中の装丁も見たことの無い奇妙なものだった。見たことのない器具、材質、灯り。綺麗過ぎるし、豪華過ぎるし、のっぺりしているし、奇妙過ぎる。見慣れないどころか、不思議ですらあった。
そこにいる人間の服装も、エンデレには奇妙なものだった。色鮮やかで文字や模様がふんだんについた軽装と小物類。勿論それら文字と模様の意味は読み取れないし、とにかくエンデレはそれらの服類から気持ち悪さと居心地の悪さを感じた。
文化が違い過ぎる。
ここは日本で、正確に言うのであれば、日本の海域上のクルーザの中の一室で、大学の研究室の一員がそこに、ある深刻な事態に関して話し合うために集まっていたのだった。しかし、エンデレにはそれを知る由もない。
エンデレは頭を掻いて、また途方に暮れた。
エンデレは針を確認した。まだ右斜め上を指していた。溜息を小さく吐いた。
エンデレはぐるりとそこにいる人間たちをまた見回した。皆は恐怖と困惑と緊張を混ぜた表情をして、エンデレをじっと見つめていた。
エンデレは人間から少しだけ退化した得体のしれない猿に囲まれているような感じがして、恐怖を覚えた。
エンデレは猿の群れにおそるおそると尋ねた。
「俺の言葉が分かるか? 俺に敵意は無いんだが……」
しかし返ってくるのは、耳障りな鳴き声の応酬だった。
『武器とかある? さっきも確認したけど……』
『包丁いける?』
『待て待て刺激したらヤバくないか? 今のところ喋ってるだけだし』
エンデレは懲りずにまた声をかけ続ける。
「誰か……俺の言葉が、言葉が分かる奴いないか?」
『……あれ? てか、こいつが喋ってる言葉わかるかも……?』
『え? どの国?』
『ほら、あの国』
『あー、えー? いや、微妙に違くないか?』
『どの国だよ……』
『あーでもそれっぽい。滅茶苦茶なまってるっぽいけど』
「誰か……誰か……」
『うーん……どういうことだ』
『何か訴えてるぞ。こんにちはって言ってみ』
『やだよロックオンされちゃうじゃん』
『メッチャ悲しそうこの人。可哀想』
『ふざけたこと言ってんなや。もしかしたらこいつが犯人かもしれないっていうのに』
『犯人どころの存在じゃなさそうだけどな。まあ、それなら、なおさら現状把握のためにコミュニケーション取るべきじゃん』
『現状把握って、何を把握できるんだよ』
『いや、現時点で意味分からんことしか分からんじゃんこいつ。なんかあっちも意思疎通しようとしてるっぽいし、何でもいいから何かしら訊き出した方がよくね』
『確かに』
『それはそうだけど、無力化してからじゃないか?』
『刺激したらあかんて。折角向こうが大人しくしてんのに』
『じゃあ、誰喋る? 言っとくけど、俺やだよ』
『俺元からその言葉喋れねーし』
『俺は喋れるけど嫌だ』
『……私が喋りますよ』
『お、よろしゃーす』
『よろしゃす!』
大人しめの暗そうな女がエンデレに対して喋ることになった。
「……こんにちは」
眼鏡を指先でくいっと掴んで上げた。
エンデレは地獄に仏と言った具合にほっとしてその女を見た。
「あ! 俺の国の言葉だ! こんにちは!」
『フレンドリーだな』
『メッチャ嬉しそう』
「……こんにちは。あなたは誰ですか?」
「俺はエンデレという。グシースという都市の近くで暮らしているのだが、ここはどの辺りだろう?」
「グシース? ここは日本ですけど。ていうか海の上ですけど」
「日本? 聞いたことないな」
『何か雰囲気やばくねこいつ』
『ラリってんじゃねーの? 武器手元に寄せといた方がいいよ』
『あからさまに警戒心を見せるのはよくないよ。落ち着いて、一応会話はできてるから』
「あなたはどこから来たのですか? 突然机の上に現れたように見えたのですが」
「……その辺は説明しづらいんだ。聞かないでくれるか?」
『無理だろ。一番の疑問点だろ。何でそこスルーできるって思えるんだよ』
「いや、一応説明してもらえますか? 大事なところだと思うんで」
「まあそうだろうな……魔法で転移してきたんだ」
「は?」
「あ、いや、冗談だよ」
「……ああ、いや」
日本に魔法の文化は根付いていなかった。
『何言ってんだこいつ。冗談って意味分かんね』
『やっぱり頭ヤバいんじゃないの』
『やべーな。ついに魔法使う奴と邂逅しちゃったわ』
『さっきから何会話してんの? 俺わかんねーんだけど』
「いや、魔法なら知ってますけど。魔法でここに現れたんですか?」
『攻めたぞこの女』
『やべー』
『前からやべ―奴だと思ってたわ』
「うーん。実はそうなんだ。空間転移系の魔法でね。俺自体は魔法を使えないけど、俺の友人の魔法なんだ。腕の立つ魔法使いでね」
『やばいやばいやばい』
『マジで言ってんのこの人』
『ヤバい奴やんけ』
『ラリってるよ確実に』
『ねえ何? なに話してんの? どうなってんの今』
「空間転移ですか。相当高度な魔法だと思いますが?」
『アッハハッハハハッヒー!』
『そこ広げる? 広げちゃう?』
『いやでもさ。あり得るんじゃないの? 異世界の人なんだってこの人』
『ラリってんの?』
『いや急に現れたじゃんこの人。物理法則でありえんくらいに急だったじゃん』
『そこ言われるとそうだけど』
『天井に仕掛けがあって落ちて来たとか?』
『ないし、虚空からいきなり現れたの見ちゃったからな』
『テーブルに仕掛けが』
『ねえな』
「俺も詳しくは知らないんだけどな。相当複雑で緻密な魔法らしい」
『待って待って。俺達今歴史的瞬間に立ち会ってるんじゃない? 魔法発見してない? 異世界人じゃないの?』
『どうする? 捕獲しとく?』
『いや、それどころじゃないから今!』
『人類学的スケールで考えてそれどころだと思うけど』
『現実的に切羽詰まってんじゃん俺達! 愛理もちゃんと真面目に訊いてくれよ!』
「……」
愛理はおほんと咳払いを一つすると、エンデレの底を見透かそうとするかのように眼鏡をくいっして視線を鋭くした。
「エンデレさん……いろいろ言いたいことはお互いにあるでしょうが……まず私たちから言っておきたいことがありまして、実は、今、私たちは問題を抱えています」
『どうでもいいけど変な名前だな。そう言う感じの国なの?』
『いや、違うと思う。別の国にはそれっぽい名前のあったと思うけど』
『やっぱ異世界人なんじゃん』
『やっぱって何。異世界人だったら何でこの言葉通じるのって話になるよね』
『世界の共通点があるのかもしれない』
『言語が? ここまでの一致は偶然にしてもあり得んだろ』
『偶然じゃないんだって』
「……どうでもいいが、彼らを静かにしてもらうことはできないのか? どうも君の言葉が聞き取りづらくなってしまう」
「これは失礼」
『静かにしてくれません?』
『悪い悪い』
『君たち真面目にやってくれ。物事の重要性を理解しているのか?』
『もうさ。縛っちゃおうよ。全員でかかればいけるっしょ?』
『魔法で蹴散らされちゃうぞ』
『この人は魔法使えないんだって』
『誰にも使えねーよ』
『誰かしらは使ったんじゃん。瞬間移動』
『君らさ、説明付かないことをすぐに思考放棄して神秘的なものにすんのやめにしない?』
『ほー、説明してから偉そうなこと言えやタコ』
『究明する心を放棄するなって言ってんだよカス』
『やーめーなーよ!』
『ああもう、愛理。話続けて』
「……すみません」
「まあ、いいよ。それで、問題って?」
「まず、この船は私たちのグループの貸し切りなんです。私たちしかこの船にはいないはずなんです」
「それで?」
「……2時間ほど前に、人が殺されたんです。私たちのグループの中で」
「……」
愛理は、自分たちがゼミ旅行の最中であること、皆で船旅を楽しんでいたところいきなり悲鳴が上がり、現場に駆け付けるとメンバーの死体が一つ転がっていたこと、その死に様は凄惨でそれを発見したメンバーの半数以上が吐いたこと、そして、その場でメンバー確認をし、外部に通信しようとしてその手段が断たれていることに気付き、船の中を軽く捜索した後、この部屋の出口を固めて、状況確認と今後の方針を決めるために、こうしてテーブルを囲って話しあっていたことを説明した。
「状況的に私たちグループの皆にアリバイがありました。外部犯以外に考えられないのですが、しかし、繰り返しますが、この船は私たちの貸し切りのはずで、誰もこの船に乗っていないはずなんです」
「はあ。じゃあ殺人犯が最初からどこかに潜んでいたんだな。もちろん、俺じゃなく」
「……あなたじゃないとして。なぜ、わざわざこの船に? なぜ、これまでずっと潜んでいたのでしょうか? なぜ、そんな事をしたのでしょうか? そこまでして、私たちを殺そうとする理由がわかりません」
「だから、たまたまだろ。異常な殺人鬼に偶然目をつけられたのかもしれない。運が悪かったんだ。何してたって殺される時は殺されるよ。逃げ場の無いこの場所で、一人一人狩りをするように殺そうとしているんだ」
「怖いことを言うんですね」
「……」
『……やっぱこいつヤバくない?』
「……まあ、きみたちの言いたいことはわかった。要するに、要するにだ……」
「……要するに?」
「……要するに、俺が滅茶苦茶怪しいということだな?」
『うん』
『はい』
『そうだね』
「そうですね」
『お前は言うなや』
「なら、俺をどこかに閉じ込めればいい。できれば、見張りを二人くらいつけてな」
『自分から言い出すのか……』
『逆に怖いわ』
『見張り要求って……怖いわ』
『いざそう言われると正しいのかわからん……正体不明過ぎて怖い。目的聞きたくない?』
『聞いてどうなんだよ……もうわけ分かんねえし』
エンデレはちらりと手の甲を見た。
「もちろん、俺がその殺人の犯人だとは言わない。だが、きっと証明も出来ないだろう」
「……」
「だから、ここにいる人たちの安心のために、俺をどこかに閉じ込めればいい」
『簡単に言うよな』
『でも渡りに船じゃない?』
『そんで真犯人こいつじゃなかったらどうなんのよ』
『こいつ縛り上げて甲板に放置して真犯人釣りあげればいいんじゃね?』
『でも状況的にこいつ犯人としか考えられなくね? アリバイ外の人間こいつしかいないじゃん』
『それはミステリの読み込みが甘いな。俺達全員の共謀も考えられるが?』
『自供かな?』
『事件解決だね』
『犯行時刻に異世界にいたなら、アリバイどころじゃないけど』
『異世界なんてないよ……』
『そういう冗談言ってる場合じゃないから』
「閉じ込められることで、俺がその殺人犯に狙われるかもしれない。だから、複数の見張りをつけて欲しい。そっちも俺の監視は必要だろ」
『……どーするよ』
『ていうかまずこの船の捜索をもっと念入りにするべきじゃない? まだ探しきれてない場所あるでしょ』
『それはそうだけどその前にこいつどうするよって』
『一緒に連れてく? 見張りってもこの集団から別行動取らせるの怖い』
『うーん』
『厳重に閉じ込めとけばよくない? それでこいつが狙われたって知ったことじゃないし。実際、うちに割けるリソースはない』
『このUMA連れてくのも怖いよな』
『臭い物には蓋するしかないな』
「……一つだけ」
『ん?』
「何だ?」
「……あなたを閉じ込めたとして……あなたが、さっきの転移魔法を使えないという保証はできるのですか?」
『いやいや』
『んなこと言ってる場合じゃないだろ!』
『いや実際使えたらヤバくね?』
『だったらどうしろってんだよ。完全に無意味な話だろこんなの』
『いや皆目をそらしてるけどさ、こいつ本当に瞬間移動できるってなったら相当不味い状況だからな? こいつ移動したい放題ってことだからな? これは確かに確認すべきことじゃないか?』
『確認出来たらなんだよ。魔法使えるってなったら今ここでこいつ殺すか?』
『こんなのややこしい状況になるだけじゃないか』
『どうしろってんだよ!』
「……できないが、魔法を使える人間の方が珍しいくらいだろ?」
「それはできないことの証明になりません」
「俺にどうしろと?」
『いやここ深めなくていいって。さっさとこいつ縛り上げてどこかに放り込んでおけばいいよ』
『ぶっちゃけそれしかないよな』
『いや、この人が魔法使えたら、それもヤバいんだって』
『魔法なんて使えるわけねーだろ!』
『じゃあどうやってこの場所にいきなり現れたんだよ!』
『知るか!』
『……考えてみれば、自分から閉じ込めろって変な話じゃない? 何か一人になりたい理由があるんじゃない?』
『だからこの人見張り付けろって言ってんじゃん』
『見張りっても二人かそこらじゃん。そいつらの目を盗んで何かをするつもりなのかも』
『何かってなんだよ。ここじゃできないことなのか? もっと言えばここに来る前じゃできないことなのか?』
『それはわからない……不可抗力でここに来たとか?』
『そもそも魔法ってどうなんだよ……』
『だからそんなの無いって!』
『さっきから話についていけてないんだけど……』
「まあ、俺が閉じ込められる必要もなくなったんだけどな」
「は?」
『は?』
『ちょっとちょっと……』
『ヤバいヤバいよこれ』
『何がヤバいのどうしたの何が起きてんのおい』
「時間だな」
エンデレは手の甲を見ていた。
『甲になにかあるのか? あれ、光ってね?』
『時間って!』
『爆弾?』
「あの……」
「最後に言っておくけど、俺はこの件に全然関係ないからな。船の中をくまなく捜し回るか、アリバイの検証を続けるかはした方がいい」
「ちょっと!」
『ヤバいヤバい』
『ちょっ光りだしてるあの人全身から光ってるんだけど!』
『アハハハハハハ!』
『何で光ってんだよこの人!』
『ヤバいって逃げよ速く逃げよ逃げようよ!』
『だから何が起こってんだって訊いてんのにい!』
『うわああああああああああああああ!』
エンデレは転移した。
エンデレは無益な時間を過ごした。
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