05

 八幡神社の境内は人でごった返していた。これ以上の混雑を見たことがあるとすれば、それは姉の結婚式のために都内を訪れた時だけだ。


「すっごい人」

「思ったよりは混んでないな」


 ほとんど同時に、反対のことを言った。思わずそれに驚いて、顔を見上げてしまった。涼介さんも驚いていたみたいで、そのまっすぐな瞳が私を射抜いた。自分の頬が急激に熱を帯びていくのを感じた。


「いや、ごめん。そうだよな、この町にしてみりゃあ、こりゃ大事おおごとだ」


 うつむいた私を見て、機嫌を損ねたのだと思われたらしい。あの都会の風景を一度でも見たことがあれば、これがフォローだと言うのはわかる。この人にとって、私はそんなにも幼いのだろうか。


「何食べたい?」


 それでも、少し考えて気持ちの整理をしてみれば、それも悪い気がしなくなった。この瞬間は、私のことを考えて行動してくれる。私の一挙一投足を気にかけてくれるのだ。それは私という存在が、彼の領域に少しでも足を踏み入れられる、数少ないことだった。


「りんごあめ、食べたい」

「おっしゃ、りんご飴な。んじゃいこっか」


 本当はりんご飴はあんまり好きじゃなかった。でも一番夏祭りっぽい気がする。それを片手でもって、もう片方を好きな人とつなぐ。両手を夏の香りでいっぱいにするのが、私の憧れだった。少しでも食べるのに時間がかかる方が、その幸せを長く堪能できる気がした。


「涼介さん」


 慣れない足元と、浴衣。私の足取りはぎこちなくて、溢れる人並みで思うように進めなかった。そんな中、涼介さんは隙間を縫うがごとくスルスルと進んでいって、ほんの数秒で距離が開いてしまった。都会の人。その認識が、私と涼介さんを遠ざける気がして、余計に寂しくなった。


「ちょっと、待って」

「おお、済まない。はぐちまうな、これじゃ。ほれ」


 ぶっきらぼうに手を差し出された。予想外の展開に、またしても私の頬が熱くなった。周りを見れば、隣のクラスの女子が見えた。きっと私のクラスの子もいるのだろう。この町にいて恋人がいたなら、この場所に来ないはずがない。


「手、つないどけば安心だろ」


 躊躇する私を彼が促す。私の右手は、吸い込まれるようにして彼の左手に収まった。すこしカサカサして大きい手が、たくましく、しかし遠慮がちに優しく包んだ。


「りんごあめはーっと、どこにうってるかなー、っと」


 高身長を生かして看板を探す彼を、近くで見上げた。大人の男の香りがした。


「多分、あっちのほう」

「ん、おー、本当だ。少し遠いな。ま、ゆっくり歩くか」

「うん」


 私たちはゆっくりと歩いた。人の波にごく自然に身を任せて。私はもう恥ずかしがるのを辞めようと思った。この瞬間を楽しまなければ、私の夏はきっとあっという間に終わってしまうから。


「しかし夏祭りなんて久しぶりだな。こういう雰囲気も、たまには悪くない」

「夏祭り、行かないの?」

「行かないなー。あんまり都内じゃ、こういう穏やかな祭りってのはそうそうないんだよ」

「そうなんだ」

「伝統とか歴史とか、まぁ、国が絡んでくるような、伝統行事にかこつけて、って感じのやつで。テキ屋は商売根性丸出しだしな。地域で働いているビジネスマンの多くは、煩わしく思ってるだろうな。あ、ちなみにあれだ、そもそも俺たち社会人には夏休みがないんだよ」

「そうなの?」

「そうだよ。学生が羨ましいな」

「じゃあ―――」


 今日はどうしたの。休みなの?

 そう聞こうとして、辞めた。そこにはきっと姉の影があるからだ。


「えっと」


 言いよどんだ私に、涼介さんのまっすぐな瞳が向けられる。しばらくして、ふっ、と大人っぽい笑みに変わった。


「まぁあれだ、サボりだよサボり。大人になると、有給っていう便利なシステムがあるんだよなー、これが」

「有給?」

「そう。働いてないのに金が貰えるっていう、素晴らしいシステムだ。と」


 そんな他愛も無い話をしていたら、りんご飴のお店の前についてしまった。眼の前でりんごあめを買っていたのはクラスの女の子だった。立ち去り側に目が合った気がする。私は何かの衝動にかられて、気がつけば涼介さんの腕にしっかりとしがみついていた。


「おっちゃん、一つくれるかい」


 そう言ってポケットから100円玉を取り出して無造作に渡していた。そう言えば涼介さんは手ぶらで、財布も持っていなかった。事前に準備してくれていたのだろうか。こういう所が、大人でかっこいい。


 そう。大人で。

 そして私は―――


「サンキュ、おっちゃん。商売繁盛してるね」

「そうでもないさ。それにしても随分仲が良いんだねぇ、お二人。腕なんか組んじゃって」

「お、羨ましいかい」

「ああ、ああ、羨ましいとも。その歳で娘さんとそこまで仲が良いのは珍しいよ」


 ―――子供だった。


 私と涼介さんは、親子ほども歳が離れていた。

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