04

 理解できない相手を畏怖する。人間に備わった自衛本能が、そうさせるのだ。

 俺は舞依を見て、そう思ったのだ。素直に、恐ろしいと。


「どうして君が」


 あの夏の記憶はとうに薄れかけている。あの企画の成功を受けて出世したのは間違いない。ターニングポイントを思い返すたびに、その姿がよぎる。そんな程度の思い出だ。きっと今頃は素直でいい子に育って、あの町に貢献する職業についているだろう。過疎化が進んだ集落にとって、あの子は希望となるだろう。


「言ったじゃないですか。追いかけますよって」


 そんな風に考えていたはずなのに。


 結局、交際するまではトントン拍子だった。彼女は優秀で仕事が出来たし、職員から可愛がられたが、俺への好意を隠す様子はまるで無かった。飲み会の折、「なぜそんなにこいつに夢中なんだ」と言う上司の問いかけに対して、あっさりと経緯を吐いてしまった。そんなだから、やれ責任を取れだの、色々はやし立てられた事はまだ良い、営業訪問の仕事など二人で組まされたり、余計な気を回されたのだ。一方で彼女は変わらぬ恋慕の情を一心に向けてくる。空きあらば、空いた片手を狙ってくる。


 警戒は徐々に融解していった。その想いが純粋なものなんだと打ちのめされる度、彼女という存在が俺の心に刻まれていった。気がつけば、俺の体の一部みたいになっていた。


「この子が妹の玲依れい。若いでしょ? 肌とかぴちぴち。ほら玲依、挨拶して。こちら、涼介りょうすけさん」


 玲依を紹介された時、あの夏の日々を思い出した。髪型も、肌の色も、話し方も、服装の好みだって全然違う。


「はじめまして。涼介です。これからもよろしく」

「……よろしくお願いします」


 なのに、あの頃の舞依まいに似ていたから。





「おー、やってるやってる」


 八幡はちまん神社で開かれている行事は、祭りというには正直物足りない規模だ。地域の振興会やら何やら年寄りの集いが主催していて、境内けいだいの神木の間に縄を通して提灯ちょうちんをぶら下げ、それっぽい音楽をスピーカーで流し、テキ屋が数軒。焼きそばにしろりんご飴にしろイマイチだ。


「相変わらずしょっぱいねぇー」


 とは言え、ここらへんの祭りといえばここにしかなく、町の規模を考えればこんなもんかと言った感じ。

 学生にとっては格好のデートスポットなのだろう。浴衣を着たカップルが初々しく手を繋いで吸い込まれていき、そして知り合いに遭遇して指を差し合っている。子供の世界というのは、狭いことこの上無い。


「大人になっても、広がんねぇけど」


 ガードレールによりかかって、タバコをふかす。吐き捨てる息とともに一人こぼした。


 都会。アスファルトと排ガスに埋め尽くされた黒き町。鋼鉄に切り取られた空間には、数多の夢が詰まっている。そう信じていた自分が懐かしい。牢獄のように感じるようになったのは、いつの日からだろうか。


「涼介さん」


 振り返るより先に時計を見た。思いの外時間がたっていたようだ。タバコを吸い込んで携帯灰皿に押し込んだ。


「よう玲依。ちゃんとめかし込んで来た―――」


 その時、自分の時間が止まるという感覚を知った。

 見覚えのある姿だった。一瞬、タイムスリップしたのかとさえ思った。網膜に焼き付いたあの日の思い出が、俺を錯覚させているのだ。ここに彼女がいるわけが無い。そんなことはわかっている。


「浴衣、どう、かな」


 その姿は、あまりにもあの頃の舞依まいに似ていた。

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