Epilogue  未来の光

 綺麗に晴れた、穏やかな日だった。

 いつものように伯爵のもとを訪れた騎士オニキスは、庭先に見慣れた後姿を見付けて声を掛けた。

「やあ、アロン。ここでの暮らしにはもう慣れたかい?」

「オニキス。お陰様で楽しくやっているよ。ミカエル様にも良くしていただいている。」

 以前と変わらぬ長い黒髪に異国の服を身に纏った青年は、以前とは別人のような笑顔を見せた。そんな彼を見て、思わずオニキスの顔もほころぶ。

「それは良かった。」

「皆に親切にしてもらって、僕は幸せ者だよ。何より嬉しいのは、君とまたこうして友人になれたことさ。」

 二人は顔を見合わせて笑い合う。そこに、バタバタと走ってくる足音が聞こえた。

「待ちなさい! 言い負かされたからって逃げるんじゃないわよ!」

「もう、しつこいのよ! それに負けたなんてひとことも言っていませんからね!」

 言い合いながら駆けてきた二人の少女は、それぞれオニキスとアロンの腕に抱きついた。

「リ……アロン! あなたはあたしの味方よね、お兄様の味方だったあなたなら。ねっ?」

「ローズお嬢様。」

「勝手に言ってらっしゃい。あなたがその気なら私にも味方がいるわ。お兄様の方が強いんだから。」

「ガーネット……やめないか、子供みたいに。」

 オニキスは呆れたように窘める。相変わらず喧しく言い合う少女たち。しかし彼には分かっていた。この二人の「口喧嘩」は一種の遊びなのだ。……少々子供じみてはいるが。男どもの中にまざって剣や乗馬の稽古ばかりしていたガーネットがローズと話している時は年相応の少女らしくなり、また天涯孤独の身となり沈んでいたローズが勢いを取り戻したのもガーネットのお陰である。その上、近頃は令嬢ノエルが間に挟まって随分と仲良さそうな姿も見られるようになった。

 そこに、彼らの主人である若き伯爵が顔を出した。

「ずいぶんと賑やかだな?」

「ミカエル様。」

 途端に少女たちの様子が変わる。人の腕を鷲掴みして言い合っていた勢いは何処へやら、さっと身だしなみを整えて淑やかに挨拶する二人。苦笑しつつそれを眺めながら、オニキスはミカエルの手招きに応じ、従って歩き出した。

「お嬢様方にはお茶をお持ちしましょう。どうぞこちらへ。」

「えー、ミカエル様ぁ……。」

 不満そうな様子の〈お嬢様方〉をなだめるアロンの声を背に聞きながらゆっくりと歩く。ミカエルは複雑な表情でぽつりと呟いた。

「時が経つのは、早いな。」

「……ええ。」

 オニキスは少し顔を歪める。彼がそっと胸元に手をやるのを、ミカエルは見るともなく見ていた。長い付き合いの二人だ、互いの考えや想いはだいたい分かる。

(しかし、は見抜けなかったのだったな。)

 ミカエルは微かに苦笑した。

「如何なさいましたか?」

 すぐに気付いて尋ねたオニキスに、彼はちょっと厳しい顔を作ってみせる。

「オニキス、まだ辛そうだな?」

「いいえ。傷はどれもさほど重くありませんでしたから、もうすっかり癒えております。」

「怪我の話ではない、分かるだろう。あの件でも言ったが、主人に隠し事をするのは良くないぞ。」

 痛い所を突かれて、オニキスは黙り込む。ミカエルの言う「隠し事」の意味はもちろん分かった。

「あの件……イリスの事ですか。」

 はぐらかすように、あえて過去の「隠し事」を口にする。ミカエルは少々眉を顰め、しかしその話題には応じた。

「イリス本人が誰にも明かさなかったのは、まあ良い。許せないのは皆が知っていて、私だけ知らなかったことだ。ガーネットも母上も……女の勘というものは恐ろしいな。君も知っていたというではないか。何故私だけ何も気付かず、おまけに誰も教えてくれなかったのだ。」

 ふて腐れた子供のような口調に、オニキスは思わず笑ってしまった。少し寂しそうに笑いながら彼が懐から取り出したものを見て、不敬な騎士を睨んでいたミカエルの表情が変わる。

「……髪飾り? どうして君がこんなものを持ち歩いているんだ。」

「落ち着いたら、イリスにこれを渡して全てを……私が知っている事と私の想いとを打ち明けるつもりでした。もう、叶わぬ事になってしまいましたが。」

「……。」

 髪飾りを仕舞うオニキスの寂しそうな横顔。ミカエルは何も言わず、友の背中をひとつ叩いた。



 どこまでも広い淡く朧な空間。浮かんでは消える面影の一つに、オニキスは微笑んでその名を呼んだ。

「イリス。」

「……オニキス。」

 揺らぐ面影がかたちを結び、恥ずかしそうに笑うイリスが姿を現した。騎士装束に身を包んだ華奢な女性を、オニキスはしっかりと抱き締める。自分の胸に身をゆだねる彼女のぬくもりを確かに感じて、彼は囁いた。

「イリス、会いたかった。会えて嬉しいよ。夢のようだ。」

「夢だよ、オニキス。貴方の声が私を何度も何度も呼んだ。だから私はこうして貴方の夢に来ることができたんだ。生命をなくした私が今在るのは、貴方のその想いのお陰。」

 ゆっくりと身を離すと、オニキスは懐からあの髪飾りを取り出した。イリスが微笑む。

「気に入ってもらえるといいんだけど。」

「きれい。私の好きな色、知っていたんだ。とっても嬉しい。……着けてくれる?」

 彼女の短い髪に金具を留めつける。少し不格好にずれてしまうが、鮮やかな緑色はその明るい色の髪によく映えた。

「よく似合うよ。」

「ありがとう。」

 くすぐったいように笑う彼女は、綺麗だった。

 イリスはふとオニキスの顔を見上げた。

「ねえオニキス。私が女だと気付いていたのでしょう? 何故誰にも、私にも何も言わなかったの?」

 オニキスは優しく微笑んで答えた。

「私は、君を愛しているから。君がその生き方を選んだことも、独りで全部抱えようとする強さも、たくさんの人を想って生きる優しさも、君の全てに私は惹かれた。だから、君の選択に口を挟もうとは思わなかった。それだけさ。」

「オニキス……ありがとう。本当に。」

 他に言葉を見付けられなくてただそう呟き、イリスは自分を優しく包み込む彼の肩に額をつけた。あたたかい手が彼女の頭を撫でる。

 ずっと、こうしていたかった。

「……あ。」

 何かを感じてイリスは顔を上げ、背後を振り向いた。オニキスもそちらを見る。そこには、ぼんやりと寂しそうに佇む黒い後姿があった。

 オニキスの顔を見つめて口を開きかけたイリスに、彼は頷く。

「行ってやれ。」

「……ええ。」

 最後に初めて唇を重ねて、オニキスは彼女を抱く手をおろした。振り返らずに自分から離れ、あの後姿に駆け寄る彼女を見送る。

「アレス兄さん。」

「イリス。」

 振り向いた兄に、彼女は笑顔で手を差し出した。

「いきましょう。約束ですから、ずっと一緒です。」

「……あの男はいいのか。」

「彼は、まだこちらへ来るべき人ではありません。大丈夫、ちょっと離れるだけ。いつかまた会えると分かっていれば、辛くなんかないんですよ。」

 そう言って笑うイリスを、アレスは戸惑ったように見つめる。彼女は彼の手を取り、二人は並んで歩いていった。



 暖かい陽射しと色鮮やかな花に囲まれたベンチに、少年は黙って腰を下ろした。先にそこに座っていた少女が声を掛ける。

「どうしたの? さっきまで読書中だった筈じゃない?」

 顔を覗き込んでくる少女を見ないようにまっすぐ前を向いたまま、少年は肩を竦める。

「外がとても気持ち良さそうで、中断しちゃった。そっちこそ、お勉強のお時間ではないのですか、お嬢様?」

「あんまりに良い天気なんだもの、我慢できなくて抜け出しちゃった。あとで叱られるわ。」

 少女はぺろりと舌を出す。似た者同士ふたりは顔を見合わせて、ふふっと笑い合った。並んでベンチに腰かけて、綺麗な青い空を見上げる。

 エディは隣に座るノエルをちらりと見た。少しだけ上気した頬。微かな風にそよぐ黒髪。空を見つめる優しい瞳。彼はそっと座る位置をずらして、ノエルの肩を左手で掴んで抱き寄せた。驚いて彼を見たノエル。けれどすぐに、あらぬ方を向いた彼の頬と耳の赤さに気付いた。彼女はちょっと笑って、彼の肩に頭をもたせた。

  その時。

「ひゅーひゅー、お似合いだねっ!」

 背後から聞こえた叫び声に二人はバッと振り向く。楽しそうに笑う少年に、二人の顔はみるみる真っ赤に染まる。

「ロビン!」

 ノエルが叫んで飛び出した。ベンチの背を乗り越え、少年へと一直線に走る。笑いながら逃げ回るロビンを、ノエルと一歩出遅れて駆け出したエディが追い回す。

 背後を気にしながら逃げていたロビンは、薔薇園に入ってきた人物に思い切りぶつかった。

「ご、ごめんなさい!」

 追いかけていた二人も慌てて足を止める。ぶつかられた人物はロビンを優しく捕まえ、ちょっとだけ厳しい目で子どもたちを見回した。

「追いかけっこはいいけど、周りにお気を付けなさい。人が来たら危ないわ。それにノエル、長椅子を乗り越えるなんてお転婆が過ぎるわ。はしたないわよ。」

「ごめんなさい、母様。」

 しゅんとしたノエルを、サーヤは今度は優しく撫でる。

「分かればいいのよ。ゆっくり慣れていきましょうね。……さあ、もうお茶の時間よ。おいしいお菓子もあるから、一緒にいただきましょう。」

「はい!」

 嬉しそうに母の腕に抱きつくノエルと、それを微笑んで見つめるサーヤ。彼女の逆の手はロビンが握っている。仲の良い姉弟と母親みたい……エディはそれを少し離れて眺めていた。なんとなく、足が動かなかったのだ。と、サーヤと目が合った。

「どうしたの、エディ。」

 彼女はそう言って微笑んだ。彼の母親と同じように。

「遠慮する事ないのよ、いらっしゃい。あなたも私の……私の大切な子よ。」

「叔母上……。」

 エディは笑顔をみせると、彼女に駆け寄った。そして母親にするようにぎゅっと抱きついた。

「母上、ノエル達もいましたか。」

 屋敷の方からミカエルの……彼らの兄の声が聞こえる。

「今行くわ、兄様。」

 ノエルは大声で答え、母親と三人の子どもたちはじゃれ合いながら屋敷へ向かって歩いていった。

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You're My Lady, I'm Your Knight 神無月愛 @megumi_kamnatsuki

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