ⅩLⅦ 少年の後悔
「エディ様。如何なさいましたか?」
声を掛けられて、少年はハッとして顔を上げた。柔和な表情を浮かべた騎士が、窓から射す明るい光の中から彼を見ていた。少年は表情を隠すように俯き、窓枠に軽くもたれた。
「……別に。」
呟く声に力がない。騎士――オニキスは重ねて尋ねた。
「誰かを探していらっしゃるのですか?」
あえて「何か」ではなく「誰か」と尋ねる。
案の定、エディの肩がビクリと動いた。頬を動揺に引きつらせたまま、彼は何も言わない。オニキスも何も言わずに待つ。やがて、少年はゆっくり口を開いた。
「ノエルを探してるんじゃないんだ。いや、探さなきゃいけないんだけど、今はまだ……。」
エディは相手にというより自分自身に言い聞かせるように呟く。ただしその後半は、はっきりした言葉にはならずに口の中に消えた。そのまま口をつぐんでしまった少年に、オニキスは問いかけるような視線を向けて続きを待つ。暫しの間の後、もう続きは無いと判断したのか、彼は微動だにしない少年に軽く頭を下げて歩き出した。
「待って。オニキス。」
その背をエディが呼び止める。騎士はそれをまるで予想していたかのようにスムーズに振り向いて、表情の読めない笑顔を見せた。
「あの……、お願いがあるの。」
「何でございましょう?」
エディは思い詰めた表情で彼を見つめ、言った。
「ノエルのこと……絶対に守って。ノエルは弱いんだ。女の子なんだ。だから……だから、守ってあげてほしい。」
少年は苦しそうに俯く。
「僕、ノエルに酷い事を言った。ノエルが傷付いているの、ちょっと考えれば分かる事だったのに、考えようともしないで。僕だけが酷い目に遭ったような言い方……ううん、もっと悪い、それが全部ノエルの所為だって言った。……一度言った言葉、無かった事にはできないんだね。」
そのエディの言葉は、オニキスの心をひどく揺さぶった。
取り消せない言葉――戻せない時間。過ちと後悔の記憶が蘇る。ただしオニキスのそれは言ってしまった後悔ではなく、言えなかった後悔。
(君は僕を信じてくれるよね?)
泣いて訴える友にたった一言だけ、言ってやれば良かったのだ。君を信じる、と。
でも、言えなかった。
絶望した表情、去って行った背中は今でも目に焼き付いている。仲違いどころか、それ以降消息も分からなくなってしまった大切な友人。幼き日の後悔は今もふとした拍子に彼の心を苛む。
エディはそんなオニキスの心など知る由もない。ただ、うっすらと涙を浮かべながら続ける。
「ノエルにちゃんと謝らなきゃ……だけど、怖いんだ。僕がノエルだったら、絶対に僕を許さないもの。それくらい酷い事だ。だから、せめて、ノエルはもう二度と傷付かないでくれれば良いと思って。」
言いたかったことはこれで全部だとばかりに、エディは騎士に背を向けて屋敷の奥へと足を向けた。
「お待ちください。」
それをオニキスが呼び止める。
「その〈お願い〉を叶える事は、私には出来かねます。」
「えっ?」
思いもかけなかった返答にエディは呆気にとられた。
「私はこの伯爵家にお仕えする騎士です。奥様、ミカエル様、ノエルお嬢様のお三方を、そしてこの家そのものをお守りするのが私の仕事。故にノエルお嬢様をお守りすること自体はお願いされるまでもございませんが、エディ様のおっしゃる意味でお守りすることは、私には不可能です。」
「どういうこと? 僕の言った意味って……。」
「あなたがおっしゃったノエルお嬢様の『傷』『弱さ』は、身体ではなく心のことでございましょう? ……それは、どんなに剣の腕が立つ騎士にもお守りできる保証のないものです。私は騎士ですから、この剣に懸けてノエル様のお命をお守りいたしましょう。しかし、私に出来るのは、ただそれだけです。」
「……。」
エディは俯いた。彼の顔がくしゃくしゃに歪み、涙を堪えているのがオニキスにも見えている。もう、どうすればいいのか分からないのだ。嗚咽を抑え切れずに変な音がもれる。
オニキスは、彼に言うとも独り言ともつかぬ口調で呟いた。
「ノエル様のお心の傷を癒し、お守りできる方はいます。」
嗚咽が止まった。少年は涙まみれの顔でオニキスを見上げた。
「誰?」
オニキスは微笑み、はっきりと答えた。
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