ⅩⅩⅩⅤ  淡い夢

 その夜。ノエルは、夢を見た。


 色とりどりの花が咲き乱れる、明るい光に満ち溢れた美しい庭園。その花たちの中に、紛れ込むようにしゃがんでいた小さな令嬢がふと立ち上がる。令嬢は、自分が手にしたものを満足そうに眺めてから、辺りをぐるりと一度見回した。その顔がぱっと輝く。

(かあさま!)

 そう叫んで駆け出す。その視線の先に、テラスに静かに佇む母の姿があった。令嬢はテラスへの階段を上がり、大好きな母に駆け寄る。

(かあさま、はい! プレゼントよ!)

(まあ、素敵な花束ね! ありがとうノエル、母様のために作ってくれたの?)

 小さな花束を受け取った母は嬉しそうに微笑み、幼い愛娘の頭を優しく撫でた。

(喜んでいただけて良かったですわね、お嬢様。)

 令嬢の遊び相手をしている少女も笑いかけてくれて、令嬢は満面の笑顔で頷いた。ちょうどその時、室内からテラスに出てきた兄と二人の少年に、気付いた令嬢は声を掛ける。

(にいさまとオニキスのぶんもあるわ。)

 少女に持たせていた花束を、令嬢は二人に差し出す。兄は優しい笑顔で、騎士装束の少年は少し驚いたように、その贈り物を受け取った。

(ありがとう、かわいいノエル。お部屋に飾るね。)

(わたしも頂けるのですか? お嬢様、ありがとうございます。)

 小さな花束を手にした三人の嬉しそうな顔を満足気に眺めていた令嬢は、三人目の少年に目を止めた。その初対面の少年に、令嬢はぺこりと頭を下げる。

(はじめまして。あなたはだあれ?)

 幼い令嬢のまっすぐな視線に、見慣れぬ服を着た黒髪の少年はおどおどと騎士の後ろに隠れる。騎士が彼の代わりに答えた。

(わたしの友人です。)

(オニキスの? じゃあ、あなたも騎士なの?)

(いいえ、異国から来た商人の子です。)

 その言葉に、令嬢は目を丸くする。綺麗な濃紺の瞳を好奇心に輝かせた。

(すごいわ。いこくって、とても遠いのでしょう? ねえ、いろんなお話聞かせてちょうだい!)

 異国の少年は驚いて、でも嬉しそうに頷いた。令嬢は彼の姿を物珍しそうにじっと見つめる。

(まっ黒な目って初めて見たわ。オニキスの目より黒いのね……きれい。黒い髪がまっすぐなのは、ガーネットと少し似ているわ。あたしの髪も同じ色よ、ほら。)

 あどけなく笑う令嬢を、兄が優しくたしなめる。

(こら、ノエル、少しぶしつけすぎるよ。)

(ミカエル様、大丈夫です。)

 令嬢が初めて聞いた少年の声は、か細くも澄んでいて流暢だった。

(まずあなたにもお花をあげるわ、にいさまやオニキスと同じに。ほら、こっちよ。いらっしゃい。)

(はい、お嬢様。)

 令嬢は少年の手を引いてまた庭へと、花の中へと歩いてゆく。もう一人の少女もテラスからぴょんと飛び降りてそれを追う。母と少し年嵩の少年たちは、そんな子供たちの微笑ましい様子をあたたかく見守っていた。


 これはきっと、幼き日の記憶。淡い光に満ち、明るく、幸せな夢。

 それなのに、何がこんなに哀しいんだろう。

 光あふれる花園と令嬢たちの平和な光景を、少し離れて見ているような不思議な感覚の中、ノエルは何故か涙が止まらなかった。

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