ⅩⅩⅩⅣ 過去の憎しみ
「今までに改めて尋ねたことはなかったが……。お前は、このように過去の出来事や恨みに憑りつかれた私を愚かと思うか。」
「いいえ。」
「では私を理解し、私の考えに共感していると言うのか。」
「いいえ。」
リーはどちらもはっきりと答える。アレスは興味深そうに、その先を促した。
「私はただアレス様にお仕えし、御命令に従う身。お考えを理解するなど差し出がましい事。それにアレス様が私の過去を何もお尋ねにならぬように、私もアレス様のことを何も存じ上げません。故に、それに対する何も御座いません。」
「賢明だな。私はうわべだけの共感も憐れみも嫌いだ。」
アレスは吐き捨てる。そしてリーの黒い瞳を鋭くじっと見つめた。
「知りたいか。私が何故このような事をしているのか。」
「お聞かせ願えるのであれば。」
きちんとひざまずいたまま答えたリーに、アレスは何が可笑しいのかふっと笑う。おもむろに立ち上がった彼の視線の先には、先刻まで彼が身に着けていた剣が無造作に置かれていた。
「私が父から受け継いだ、数少ないものの一つだ。」
彼はそれを手に取り、抜き放った。窓から射す月光に反射して煌めく刃。
「この刃が、父の命を絶った。」
その言葉に、リーは驚いたように目を見開く。その反応に、愉快そうにくくっと喉を鳴らして笑ったアレスは、剣を軽く振ってから鞘に収める。
「父は友と、その主であったあの伯爵家に裏切られて死んだ。その死の為にこの家族は壊れ、私は最も大切なものを失ったんだ。」
失ったものは大きく、傷はいつまでも癒えない。あの面影が心から消えない限り、この痛みも続くだろう。
「母は……心労で倒れた母は私に言ったよ、辛い事は忘れろと。復讐などで失ったものを取り返すことは出来ない、諦めて全て忘れ、幸せになれと! ……忘れられる筈がない。彼女を失ったまま、幸せになれる筈などないではないか。母は、私が得られる筈のない幸せを願いながらこの世を去った。」
アレスは歯を食いしばり、拳を強く握る。そして不意に、その拳を壁に叩きつけた。
「復讐は何も生み出さない、取り返せない……? 分かっているさ、そんな事。しかしそんな綺麗事は沢山だ。私は、全てが憎い。私から私の大切な存在を取り上げた全てが憎い。父を殺した伯爵家も、あの騎士も、裏切られた愚かな父も、この世の
苦しそうに吐き出される言葉を、傍らに控える黒目黒髪の男は何一つ口を挟まず黙って聞いていた。アレスの言葉が途切れ、沈黙が訪れる。と、リーは口を開いた。
「一つお伺いしても宜しいでしょうか。」
「何だ。」
「妹御が例のアンヴェリアル伯爵に何かと近付いていらっしゃる事は、アレス様もご承知の通り。ローズお嬢様はこの事をご存知ないのですか。」
妹の名が出ると、アレスはふっと笑った。
「あの娘は何も知らないよ。あの伯爵家の事も、自分がかつて失ったものの事も……。もっとも伯爵たちもあの娘の事は何も知らないさ。念の為、ローズには母方の姓を名乗らせているからな。」
アレスは椅子に座り、宙の一点をじっと睨み据えた。その瞳に、先刻の激しい憎しみの感情はもう殆ど窺うことは出来ない。ただ暗い、冷酷な光が浮かぶ。
「もう遊びは終わりだ。あの伯爵家と、私の過去とけりを付けてやる。リー、手筈は良いな。」
「はい。」
凍り付いたように冷たい瞳は美しく、恐ろしく、同時にとても哀しく煌めいた。
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