ⅩⅩ 挿話 ~紅と赫~
「それでは、失礼致します。ミカエル様。」
「ああ。頼んだよ、オニキス。」
大きな屋敷の玄関。恭しく膝をついた騎士に、貴公子は重々しく頷く。二人の真剣な視線。その後ろに控えていた少女は、そんな空気を少しでもほぐそうと顔を上げて明るく笑ってみせた。
「こちらは私にお任せ下さいませ、お兄様。ノエルお嬢様をお迎えするため、全て完璧に整えてみせますわ。」
騎士オニキスが立ち去る後姿を見つめて、少女――ガーネットは小さく肩をすくめて呟いた。
「兄も本当に心配性ですわね。イリスもちゃんと付いているのですし、わざわざお迎えに上がらなくても良いでしょうに。」
「オニキスは優れた騎士だ。その彼の騎士としての勘を何か刺激するものがあったのだろう。私はそういった鋭さなどにおいても、君の兄上を信頼しているんだよ。」
目を細めて親友を見送るミカエルの横顔と優しい眼差しに、ガーネットは思わず見惚れた。
そして気付いた。自分が、意中の男性と二人きりであることに。
(わあっ、大チャーンス!)
ガーネットはずっと昔から、ほんの子供であった頃から、この爽やかで優しい貴公子に夢中だった。強く美しい兄に憧れたのが騎士になった一番の理由だけれど、この主の傍にいたかった気持ちも大きい。今は、身分が違い主従関係にある彼への恋心が実る可能性など殆どない事だって解っている。けど諦めちゃいない。女だてらに騎士として剣を取ったガーネットという少女は、相手の完璧すぎるほどの輝きにも恋敵の多さにも怯むような性格ではなかった。
廊下を黙って歩く二人のもとにやって来た執事が来客を告げた。時間はあまりない。居間へと足を踏み入れたところで、ガーネットは思い切って話しかけた。
「あの、ミカエル様。明後日のダルレ子爵様のパーティーには、ミカエル様もいらっしゃいますか?」
ミカエルは足を止め、ため息まじりに答える。
「出るよ。あのような人の集まりは苦手だし、気が乗らないけどね。仕方ない。しかしダルレ子爵なら、確かオニキスも知り合いだ。招待されているのだろう?」
「ご招待頂きましたし、お受け致しましたわ。でも……急に他の用ができて、私が兄の代わりに出席することになったんです。私は他に一緒に行くようなお友達もおりませんし、ミカエル様にお供出来たら嬉しいのですけれど。」
ガーネットは期待に満ちた眼差しで彼を見上げた。この優しい青年は、滅多な事でなければ人の頼みを断ったりしない。彼女の思った通り、ミカエルは頷いた。
「そうだね、私も一人で行くよりその方が良い。それに君のような女性と一緒なら、」
「伯爵様!」
しかし唐突な乱入者の所為で、ミカエルの言葉は途切れてしまった。
(なんてタイミングの悪い! 今の、絶対に褒め言葉だったのに!)
ガーネットは心の中で舌打ちをして、その乱入者を思い切り睨み付ける。
「ローズ、何だってあなたなんかがここにいるのよ。」
乱入したドレス姿の娘は、女騎士の睨みを挑発するような微笑で受ける。
「あら、あなたは良くてあたしがここにいてはいけないの?」
「当然よ! 私は騎士として、仕事でここにいるのよ。あなたは何だと言うの?」
本当はローズがここに来た理由など聞くまでもなく分かっている。ローズはガーネットの数多いる恋敵の一人、つまり狙いはミカエルの気を引くこと以外に有り得ない。
「あなたには関係ないでしょう? あたしは伯爵様に、ミカエル様にお話があるのよ。あなたはそのお仕事とやらに行ったらいいわ。」
思い切り皮肉を込めた口調に、ガーネットの眉がピクリと動く。わざわざ馴れ馴れしくもお名前で言い直しやがって、挑発する気ね。それなら受けて立ってやろうじゃないの。
「あーら、それは申し訳ありませんでした。邪魔者は退散いたしますわ。どうぞごゆっくりなさいませ。」
出来るだけ皮肉に聞こえる口調でガーネットも言い、丁寧に頭を下げる。そして立ち去りかけ、足を止めて振り向いた。
「あ、そうそう。明後日の子爵様のパーティーにはあなたも出席なさるのかしら?」
「ええ、もちろん。」
「それならそこでまたお会い致しましょう。私もミカエル様にご一緒して参りますから。」
「なっ……!」
ローズの顔が引きつった。ふん、ざまみなさい。
「どうしてあなたなんかが! ミカエル様、あたしとご一緒してくださいません? いいえ、せめてダンスだけでもご一緒に。」
「ダンス?」
今度はガーネットが焦る番だった。貴族の集まるパーティーで、ダンスはとても大きな意味を持つ。
世話焼きの貴族たちは、年ごろの若者がいると次から次へと縁談を持ち込み、自分の仲介で話を進めたがる。要はそうして恩を売り、少しでも力のある者と関係を持ちたい訳だが、彼らは自分の娘などに見込みがないと親戚でも知り合いでも
しかし、いくら傍らに付いている時間が長くても、騎士装束でじっとしていたのでは「見込みがある」アピールにならない。一、二曲だけでも一緒に踊った方がよほど目立つ。ローズはそこをよく心得ているのだ。勝ち誇った上から目線がガーネットを刺す。
「まさかあなた、ダンスの間もへばり付いている訳じゃないでしょうね? 邪魔にならない隅で待っていらっしゃい。」
「っ……! 馬鹿にしないで頂戴! ダンスくらい私にだって出来るわ!」
「それはどうかしら。それに、そんな騎士装束で踊っても華がないじゃない。」
途端に、ガーネットの胸の中がカッと熱くなる。己が誇りを持っている騎士装束を、騎士という生き方を見下されたような気がして、小柄な女騎士は猛然と反撃した。
「華やかでなくて結構よ。これが私の正装だもの、文句ある? あなたこそ、あの時みたいにドレス踏んで転ばないようにお気を付けあそばせ。」
「あっ、あの時は初めてだったからよ! いつまでも昔の失敗を持ち出さないで!」
言い合っていた二人は、青年がさり気なく扉の方へと移動しているのに気付かなかった。
「「ミカエル様! どちらへいらっしゃるの!?」」
扉を開ける物音にやっと我に返った二人の娘は、同時に叫ぶ。青年は爽やかに微笑んだ。
「すまないが仕事の時間でね。お茶を持って来させるから、どうぞごゆっくり。」
「「待って!」」
「では失礼。お嬢様方。」
扉が閉まる。
しかし一瞬後にはその扉は再び勢いよく開き、二人の娘たちは並んで部屋を飛び出した。
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