Ⅱ 薄紅の令嬢
「お願い、助けて!」
そう叫んだ相手を、ノエルは呆気にとられてまじまじと見つめてしまった。
華やかなドレスを纏った少女。年はノエルより少し上、十六、七歳といったところか。長い髪を高く結い上げ、ドレスにも髪にも飾りがふんだんに散りばめられている。このいかにも良い家の令嬢といった娘が何故こんな所にいるのかは知らないが、こんな格好で走っていてはさぞ注目の的になっただろう。
「あたし、追われているの。助けて! 早く!」
娘のあまりに必死な様子に、ノエルはとっさに近くの物陰に彼女を押し込んだ。その前に立ちはだかるように、さり気なく壁に寄り掛かる。丁度そこに一人の男が走ってきた。ノエルを見ると足を止め、ゆっくりと近寄る。
「少年、この辺りでドレス姿の令嬢を見掛けなかったか。お嬢様を探している。」
「知らないね。」
素っ気なく一言で答える。男はしばらくノエルを見つめていたが、やがて何も言わず立ち去った。たっぷり間を空けてから、少女はノエルの背後から恐る恐る顔を出す。
「あいつ、行った?」
「行ったよ。」
ノエルはそれだけ言い、さっさとその場を立ち去ろうとする。人助けはいいが、厄介事に巻き込まれるのはごめんだ。しかし、相手がそれを許さなかった。
「待って。助けてもらったんだもの、お礼をしなければならないわ。」
少女はノエルの手をしっかりと握って離さない。苦い顔をしているのにも気付かない様子で、強引に手を引いて歩き出した。
「あたしの名はローズ。あなたは?」
「……ノエル。」
彼女の勢いに押されて答えると、ローズはとても嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ノエル。本当に助かったわ。さ、こっちよ。」
仕方なく手を引かれるままに歩き出す。と、その先にさっきの男が見えた。ローズも気付いたらしい。
「あ、やば……」
「お嬢様!」
男がこちらを見付けた。瞬間、ローズは素早く踵を返し、ノエルの手を掴んだまま走り出した。表通りへ飛び出し、娘の派手なドレスに呆気にとられる人々の間を駆け抜けていく。
「お嬢様! お嬢様、待……!」
人混みに阻まれたのか、追手の声はあっという間に遠ざかる。相手の姿が見えなくなっても、ローズは足を止めることなく走り続けた。どのくらい走ったかも分からなくなってきた頃、彼女は楽しそうに声をあげて笑い出した。
「素敵! 素敵ねノエル、まるで逃避行だわ。とってもロマンチックよ! そう思わなくって?」
「……。」
呆れ果てて何も答えられぬノエルを引きずって、少女の暴走は止まりそうになかった。
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