第4話

「ああしつれい。ついモンティポァジゥ神のことばが出てしまった」

 玉井先生は例のナントカ語で話してしまったことを謝罪した。結局どれが本物なの、その神様の名前。どうやら語頭が「ヌ」で始まるとは限らないようだ。これじゃもうヌ神とすら呼べないじゃない。

「来客があったとき、わたしが急いで呼びに行きました。どうやら先生の出番ではないかと思って」

 先生のものではない高めの声がしたと思うと、先生の後ろから女子生徒が現れた。元テニス部で同じクラスのミヨだった。

「話はここでぜんぶ聞かせてもらった。彼女によばれて秒できたからな」

 び、秒で!? 最初から近くにいたのこの人? 全然気づかなかった! 超然とした様子でそう話す玉井先生に私は驚く。この学校には隠し通路でもあるのだろうか。

「玉井先生はギミュキィユュト神の加護により瞬間移動能力を授かっているのよ。一瞬で来ることなんかわけないわ」

 ミヨはそう解説する。やっぱりこの部は元から普通じゃないんだろうな、と改めて思う私だった。


「で、何が聞きたいのかね? かんたんに答えられるものを頼むぞ」

 玉井先生は言った。わからないことばかりだが、一つずつ順番に質問することにしよう。

「では質問させていただきます。どうしてその……なんとか神が」

「ヌギィクロウェイ神だ」

「ヌ神様が急に校庭に現れたりしたんですか?」

「かんたんに答えられるものと言っただろ」

「そんな難しい質問でした!?」

 どうやらこの質問の答えは長くなる話のようである。少々困った様子ではある、先生の表情は依然変わりはなかった。

「仕方ない……。端的に言えば、部員のミスでこうなった。この部ではエィキゥチォン神の神託をうけるため、神のことばをきく練習をしているのだが……」

 学校の予算を使って何してんのこの部は。新興宗教か、ここは。そんなことを思う私には一切気にかけず先生は話を続ける。

「月曜日に新入部員の一人が呪文をまちがえて、ことばをきく呪文ではなく、ポンルットォ神を召喚する呪文をとなえてしまったのだ。あれほど「アゥウヴゥ」のところを「アゥウブゥ」といいまちがえないようにと何度もいったのに」

「それだけのミスで呪文変わっちゃうの!?」

 アブない呪文だな、オイ。ささいなミスで大ごとなのに、長い間やっててよくこれまで事故らなかったな。私はある意味感動した。

 先生の言葉はまだ続く。

「その報を受けたとき、私は真っ青になった。部設立前の惨劇を思い出したからだ。そう、それは今のような晴天の広がる夏の出来事で……」

「あの……その話長くなりますか?」

 私は口を挟んだ。自分で手短にと言っておきながら、一番話したいのは先生じゃないの。


「おっと、時間がないな。これから急いでミンピクョウィラァ神から神託を受けなければ。そこから解決方法を見出す。そして君たちに提示しよう」

 玉井先生は言った。そして、返事を待たずに部室の奥に行き、祭壇みたいなものにひざまずき祈りを捧げ始めた。

「うぃーうぃうぃ……う……う……ぎえええええええ!!!」

 え、何!? これが祈り? 悪魔に憑かれたみたいになってる。いろいろヤバそうだ。この件が終わったらもう近寄らないでおこう。

 しばらくの間静寂が訪れる。私もケースケも固唾かたずを飲んで先生を見守る。そしてアブラハムは……こら、鼻提灯つけて寝るな、こんなときに。緊張感のかけらもないおじさんだ。

 そして、突然玉井先生は目をカッと見開いてまた先程と同じ奇声を上げ始めた。それが落ち着いたらすっくと立ちあがり、こちらに向き直った。

「ふう。……神託がおりました」

 玉井先生は死んだ魚のような目でこちらを見据え、死にかけの蝉のような声で言った。そういえば、玉井先生は生気をあまり感じさせない。神の声が聞こえる(真偽はともかく)ということは、それだけ神の世界に近いのかな、と私はそんな気がしてきた。いけない、少しずつ理解しつつある。この変人の巣窟のことを。

「そう、これはあのときとおなじだ。解決方法もおなじ。私が経験したあのときと。あなたがたはにとってはもしかしたら厳しい試練かもしれない。聞く覚悟ありますか?」

 玉井先生はもったいぶって言う。結局戻るにはそれを試すしかなさそうなんだから、さっさと言ってほしいと私は思う。

「俺は覚悟できてます。荻原もできてるよな?」

「うん」

 私はケースケの声に頷いた。餅は餅屋で、変なものには変なものの専門家で。さあ、来い。

「それでは言うぞ……あなた方がこれから成すべきこととは……」


 そのとき、横でガタリと椅子が倒れるような音がした。それと同時に玉井先生は言葉を切った。

「うっ……ぐああ……」

 うめき声が上がった。アブラハムが急に苦しみだし、椅子から転げ落ちたのだ。

「大丈夫ですか、アブラハムさん!」

 優しいケースケは彼に駆け寄って介抱する。アブラハムは息を切らし、額は汗でびっしょり濡れていた。深々と被っていた帽子が床に転げ落ちた。

「はぁ……はぁ……玉……井……」

 うめき続けるアブラハムに玉井先生がゆっくりと近寄り、冷静な様子で脈をとった。その後額を触り、体温を確かめた。

 これはもしかして想像以上に大変なことが起こっているのではないかと私は思った。学校中おかしなことになっているのは何かの呪いで、それに抗おうとして報いを受けた。となると、私たちもこのおじさんのように苦しむ羽目になるのでは、という気がした。もし本当にそうなら、私たちはどうすればいいのだろう。対抗手段はあるのだろうか?

「ううむ……これは、熱中症だ」

 やっぱり全然関係なさそうだ。そんな暑い恰好してたらそりゃ熱中症にもなるわ。熱中症って外だけじゃなくて暑い室内にいても起こるんだから。夏なめんなよ。

「うう……頭が……痛い……み、水……」

「これはまずいな。伊村いむら八島やしま。アブラハムを保健室につれていってくれ」

 男子部員(伊村というようだ)とミヨが立ち上がり、「はい、わかりました」と声を揃え、二人で汗だくのおじさんを保健室まで運んで行った。

 なんてことだ、おじさんが消えてしまった。でもこの人は結局何にもしていない気がするので、まあいいやと私は思った。

「さて、事態は一刻をあらそう。じゃまがはいってしまったが、手短に話そう。この状態を脱するためには……」

 玉井先生は一呼吸置いて、話を続ける。

「モェンケィピゥ神の前で、恋人同士でキスをすることだ」


 キス、か。はいはい、キスね。キスなんてまともにしたことないな。お父さんに小さいころ「ちゅーして、ちゅー」とか言われてじょりじょりの髭が生えたほっぺにちゅーさせられたくらいかな。アレは当然ノーカンだから。キスしたうちに入らない。それにしてもキスか。うん、キス。……キス? え、キス? ええええええええ!? 愛する人とキス? 私が? いやいやいやいやちょっと待ってよ、唐突すぎない? 私は口には出さなかったが明らかに動揺どうようしてしまった。

「キキキキキキキスですって!? 俺が?」

 流石のケースケも動揺していた。まさかこんなおとぎ話みたいな展開になるなんて、私も彼も思いもしなかったのだ。

「さよう。かならずビォンビォンミゥ神の前で、愛する者同士でするのだ。この学校が今おかしくなっているのは、チミゥモゥリョゥル神が降臨する前触れなのだよ。夕刻六時、校庭に神が降臨される。実際に出てくればこの学校だけではない、世界中がこうなる。だから世界を救うにはキスをするしかない。もとに戻りたければ校庭へいそげ」

 これまでも急展開だったけれど、もっとすごい展開になって流石の私もわけがわからない。私たちの唇に世界の命運がかかっているというの?

「とにかく、そういうわけでヴィェクロァプ神が降臨される。見ろ、外の様子を」

 玉井先生は締めきっていたカーテンを開けた。今は日が長く、まだ沈みそうにない太陽が煌々と輝いており、そこから放たれる光が部室を黄色い光で満たした。

 急な光に一瞬ウッとのけぞった私だが、すぐに前に向き直り、外の様子を見た。

 校庭の上空に空間の歪みがある……。そしてその中から巨大な何かが覗いている。……これは足の裏? 神様の足の裏だ。よく知らない宗教の神様ではあるけど、神の足の裏とかある意味貴重な光景だ。

「あれがィァッゥッォャ神だ。敬服せよ」

 いやです。私信者じゃないし。しかも神の名前が小文字だけになっちゃって発音できない私にはもう無理です、はい。

「た、大変だ。早くなんとかしないと……でも、俺恋人なんて」

 ちょっとだけ出てきている神を前にしてケースケは明らかに動揺している。でも、その動揺ももっともなものだ。私たちに恋人なんて……。

「案ずることはない。コェビォラムイ神は必ず一組のカップルを正気のまま残す。慈悲深い神だから、頑張ればクリアできる課題しか残さない。君たちにはもう意中の人がいるのではないか?」

「え……ということは……」

 ケースケはゆっくりと私の方を振り向く。一瞬目が合った。私はそれに気づいてつい目を逸らしてしまった。恥ずかしかったからだ。でも、これはチャンスなのではないか。ケースケに告白したいと思っているのに、その機会を逃し続けてずるずると「幼馴染」という枠に収まり続けていた。今こそこれを脱して、想いを伝えるべきなのではないか。これがなんとか神が私たちに与えた試練なのか……?

 私は逸らした目をもう一度彼に向けた。

「荻原……」

 ケースケは張り詰めた声を出す。真剣な眼差しだ。折角神様が背中を押してくれたのだ、私もそれに応える義務がある!

「うん、そうだよ、ケースケ。私、ケースケのこと好き。ずっと前から。だから、もしあなたが良ければ……こ、恋人に……」

 言っているうちに恥ずかしくなってきて、言葉が尻すぼみになってしまった。でも、言う。最後まで。私は呼吸を整えてから、今一度叫ぶ。

「恋人になってください!」

 ケースケは私の言葉を聞いて少し固まったかと思うと、一旦深呼吸をして、また口を開く。

「実は、お、俺も……! ごめん、今まで言えなくて……これまでの関係が崩れるのが怖かったから。だから……俺でよければ付き合う」

「……ありがとう!」

 私はぐいと彼に近寄り、両手で彼の手を握って言った。

「ふっ、やっぱりいるじゃないか。さあ、早くいきたまえ。もう五時四十七分、あと十三分でニカォピヴュリ神が降りる」

 玉井先生が言った。心なしか、いつもの無表情な顔に少しだけ笑みが浮かんでいるような気がする。


 空からゆっくりと降りてくる神は、もう脛の部分まで見えている。脛毛がボーボーに生えている……どうやら男神みたいだ。

 そういえば、このとき私はここでふと頭に疑問が浮かんでいたので、それを玉井先生にぶつけてみることにした。タイミングはよくないかもしれないが、これ以降関わる機会もなさそうなので、今しか聞けないと思った。

「先生、最後に一つだけ訊いて良いですか?」

「なんだね?」

「どうしてキスなんですか? 何かキスには不思議な力でもあるのでしょうか?」

 愛する者同士のキスで呪いが解けて幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。という話はよくあるけれど、冷静に考えると謎原理だと思う。愛の力は何ものにも負けないということなのだろうか。でも、何となく呪いが解けるまでのメカニズムをなあなあにされた気がして、この件に限らずなんとなくすっきりとせずもやもやした気持ちがあった。それは今回の出来事にも当てはまることだ。今ならこのもやもやした思いが解消されるのではないか。そう思って質問した。

「興奮するからだ」

「興奮……」

 思ってもみない回答。

「そう、興奮。私も以前きになって神託を聞くついでにォミカンィタィ神にたずねたことがある。そのときに教えてもらった答えがこれだ。神曰く、「純愛は尊い」だそうだ」

「純愛……尊い……」

 私は神の行いを深読みして一瞬でも感謝したことを後悔した。まさに聞き損である。


 とにもかくにも、この騒動に決着をつけることができるのは自分たちだ。武器は揃っている。このヘンテコな世界に終止符を打つべく、私とケースケは神と最後の決戦に赴くのだ。それにしてもこの言い方、かっこよくない?

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