応援コメント

2018.8.20ユーラシアの端っことしての中原」への応援コメント


  • 編集済

    【追追記】

    先日神保町をさ迷い、いっちーに出会えたので購入しました。史記の方は、お値段を見て即退散…あれは母校の図書館をどうにか使えるようにした上で接したい、と思いました。あるいは次の次のボーナスかな…

    いやはや、興味ある本を買うと、すごい勢いで諭吉が別れを告げてきて恐ろしいです。



    自分の狭い観測範囲からしても、あの豊かなエリアはみんなほしいし、一旦手に入れたら豊かになるので柔弱になる→周りの強い奴らにもれなくボコされる、みたいな流れを妄想してしまいます。そして、そういう原則ってどこまでもついて回るんじゃね? と、北魏、遼、元、清を見ていたら思わざるを得ず。

    「殷と周は強かった」。

    これだけでも、外部からの侵略の証左とみなしていいんじゃないか…という暴論を今思いつきましたw



    おお、ここでいっちー!w
    かの御大の名前は、ちょっとかじった程度の人間が手を伸ばせるあらゆるエリアにいらっしゃりそうですw

    周の放伐については、何やら突然伯夷叔斉がすとんと腑に落ちました。紂王が無道なら、なんであの二人リスペクトされとんねん、って。

    まあそこを考えてみたところで、結局歴代的に「無道の紂王の息子が抱いていた旧国への忠誠」がリスペクトされてきた事実は変わらないんですよね。うーん、自分のこの現代人的観点が煩わしい。

    作者からの返信

    【追記を受けて】

    〉いっちー!

    宮崎市定センセイは巨大ですよね。
    『鹿洲公案』(東洋文庫)は清代の裁判記録ですが、メチャクチャに面白い。特に冒頭は、雍正帝が名知事となる藍鼎元を潮陽県に遣わすまでを小説風に描いており、そのまま行くと中国官僚版の半沢直樹になりそうなクオリティ。
    筆が立つとはこういうこと、多作な方ですが、もっと一般書を書いて欲しかった。。。
    聞くところ、院生や若手研究者が一般書を執筆するのはよしとされていなかったそうです。やはり、一般向けでは調査や論述が甘くなるからでしょうね。
    たしかにそうなんですけど、これほど学界と一般教養が乖離するとはセンセイの慧眼でも見通せなかったんでしょう。。。当たり前か。

    〉伯夷叔斉

    殷と同じ子姓ですが、支族である孤竹国の王子、歴世に渡って節義の人とされています。

    殷の王子は箕子と比干ですね。

    轡を捉えて周の放伐を諌め、その禄を食むことをよしとせず首陽山に隠れて餓死したとされる二人。『史記』のテーマ「天道、是か非か」を象徴する人物です。

    〉「無道の紂王の息子が抱いていた旧国への忠誠」

    この理解では単なる守旧派になるので、紂王を含む同族への強い帰属意識が称揚されたのではないかと思います。
    それは時代が下るにつれて細分化され、理解できない部分が忠義という国家に対する概念にすり替わっていったのかなあ、という妄想ですね。

    〉紂王が無道

    『論語』の時代から疑義が呈されており、また、夏の最期の王である帝辛の逸話との類似性から流用も疑われていたりするみたいです。
    亡国の王はテンプレ化が進んでおり、日本では『日本書紀』武烈天皇の記事にも流れ込んでいますね。
    武烈天皇の後は福井県から来た継体天皇ですから、言わんとするところはうっすら伝わりますね。
    不敬罪。。。



    こんにちは。

    〉あの豊かなエリアはみんなほしいし、一旦手に入れたら豊かになるので柔弱になる→周りの強い奴らにもれなくボコされる、みたいな流れ

    そんなアナタにこの本を。
    宮崎市定『東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会』(東洋文庫)
    こちらが限りなく近い内容になっております。

    触発されますよ。


    〉「殷と周は強かった」。

    殷は河東解の塩池を握って勃興した、というハナシも聞きますが、はてさて。

    周はどう見てもバイオレンスなんですよね。
    放伐。

    しかも場所が当時の辺境。。。妄想しますよね。