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2018年12月2日 21:43
>その筋の専門家、まめさん専門家というのは、アレですが、通俗続三国志や通俗続後三国志、三国志後伝を小説として筋道が立つように分析した視点で読んでいた人は、日本どころか、世界でもただ一人だったかもしれませんね(笑)劉柏根は資治通鑑でもそれぐらいの記述しかありませんね。>王彌は洛陽で劉淵と知り合っています。>二人はどこで知り合ったでしょうかね。どうなのでしょう。洛陽には、武術同好会みたいなものがあったのでしょうか。劉淵は張華が推薦しているので、王彌もその系列に入っていたかもですね。王彌は、賈充や楊駿の派閥に入られないし、入らないでしょう。三国志後伝では、以前、申し上げた通り、劉曜が斉万年の乱(296~299年)の時に成人しておらず、蜀漢滅亡から呉滅亡(280年)までの期間か、司馬炎の死去(290年)までは時間が経過していないものと考えています。仮に蜀滅亡が285年とすれば、304年で劉曜が数えで20歳、310年で26歳ですから、イメージにはあうでしょう。現代的にリアルに変えるなら、1世代、劉淵の世代を下げないといけませんね。ここは、酉陽野史も悩みどころだったと思われます。
>その筋の専門家、まめさん
専門家というのは、アレですが、通俗続三国志や通俗続後三国志、三国志後伝を小説として筋道が立つように分析した視点で読んでいた人は、日本どころか、世界でもただ一人だったかもしれませんね(笑)
劉柏根は資治通鑑でもそれぐらいの記述しかありませんね。
>王彌は洛陽で劉淵と知り合っています。
>二人はどこで知り合ったでしょうかね。
どうなのでしょう。洛陽には、武術同好会みたいなものがあったのでしょうか。劉淵は張華が推薦しているので、王彌もその系列に入っていたかもですね。王彌は、賈充や楊駿の派閥に入られないし、入らないでしょう。
三国志後伝では、以前、申し上げた通り、劉曜が斉万年の乱(296~299年)の時に成人しておらず、蜀漢滅亡から呉滅亡(280年)までの期間か、司馬炎の死去(290年)までは時間が経過していないものと考えています。
仮に蜀滅亡が285年とすれば、304年で劉曜が数えで20歳、310年で26歳ですから、イメージにはあうでしょう。
現代的にリアルに変えるなら、1世代、劉淵の世代を下げないといけませんね。ここは、酉陽野史も悩みどころだったと思われます。