2018.8.12怪しいから身元調査をやってみた:劉伯根
初手からガチの漢文連発。
ドン引いた方もおられたかも。
しかし、
反省はしていない。
今回もあんな感じ。
※
前回の身元調査により
作者の酉陽野史さんは『晋書』を読み込み、
元ネタをさらっていることが分かりました。
実際にはかなりマジメにやっていたのです。
※
引き続き、
劉霊の身元調査をした中に兄の劉伯根の
元ネタがあったので、片付けておきます。
※
劉伯根はチョイ役?
前半はかなり活躍しました。
劉備の養子ながら関羽を見殺しにして誅殺される、
わりと悲しい末路をたどった劉封の二人のお子様。
兄が劉伯根、弟が劉霊。
という設定です。
※
ちなみに、
原書の設定では劉霊の兄は劉宣、
それは冒頭だけでわりとすぐに
劉伯根にすり替わったくさい、
というご指摘をその筋の専門家、
まめさんから頂きました。
異論がないご指摘でした。
感謝感謝。
同名の劉宣が匈奴五部にも現れるので、
混乱するのですよ。
だから、翻訳の前半に劉宣はいません。
中盤に出る劉宣は、五部の中の人です。
※
さて、その劉伯根さんの元ネタとは?
▼
『晋書』王彌傳
惠帝の末、妖賊の
彌は
柏根の死するに、徒を
彌は權略多く、凡そ
※
モデルとなったのは劉柏根なる人物。
柏は松と並んで墓地に植えられる木です。
柏根という名には霊的な意味がありそう。
山東半島にある㡉の縣令なのに叛乱、
しかも「妖賊」とかDisられています。
民間信仰で百姓を煽ったんでしょう。
張魯を思い出しました。
トンデモ縣令やないか。
※
劉柏根は王浚が遣わした軍勢に殺されます。
王彌もその乱に身を投じておりまして、
劉柏根の死後、群盗に身を落としました。
飛豹はあだ名ですね。
カッコイイ、でも自称クサイ。
ちなみに、王彌はええとこのボンです。
▼
王彌は東萊の人なり。家は世々二千石たり。
祖の
彌は才幹ありて書記を博涉し、
隱者の
※
「亂を好みて禍を樂しむ」って中二ですね。
あだ名といい、王彌はこんなんが多いなあ。
代々の二千石の家柄。
二千石は、俸禄の額。
つまり郡太守クラス。
洛陽には遊学したんでしょうけど、
太学にはまあ入ってないでしょう。
行ってたら、記録すると思うのね。
王彌は洛陽で劉淵と知り合っています。
二人はどこで知り合ったでしょうかね。
太学ではないとすると、
私塾で知り合ったのか。
一番面白いのは、
游俠同士として知り合ったという筋ですが、
劉淵はあくまで匈奴からの人質ですからね。
そんな怪しい行動はしない、、、よね?
※
ちなみに、游俠という熟語の用例は、
『晋書』に三、四例しかありません。
『後漢書』あたりはもっと多いです。
果たして、これは何を意味するのか。
存在がなくなったはずはないですから、
なかなか興味深いところではあります。
※
話を戻して劉柏根。
叛乱は306年に起こりました。
▼
『晋書』孝恵帝紀光熙元年
三月、東萊㡉令の劉柏根は反し、㡉公を自稱して
『晋書』高密孝王略傳
眾は萬を以て數え、略を臨淄に攻む。
略は
※
逃げの司馬略さん。
ちなみに、恵帝紀と高密王略傳では時期が違い、
・恵帝紀=光熙元年三月(306年)
・高密王略傳=永興初め(304年末か305年初め)
となっています。
前者は平定、後者は発生記事で矛盾はなく、
叛乱は1年半ほど続いた、ということです。
※
張方が恵帝司馬衷を長安にドナドナ、
記念に永興に改元、これが304年末。
司馬顒の拠る長安を祁弘たちが落として
疎開していた恵帝司馬衷を洛陽に返品、
改元したのが光熙、これが306年6月。
『続三国志II』では、以下の回が該当します。
「第二十一回 晋帝司馬衷は長安城に行幸す」
「第三十九回 晋帝司馬衷は再び洛陽に還る」
※
このあたりで、
劉柏根や王彌は歴史に現れます。
オマケみたいに劉霊もいたはず。
そういえば、劉柏根と劉霊は同姓。
ありふれた姓ではありますが、
同族だったのかも知れません。
だから、兄弟設定にしてみた。
ハナシの筋が通っていますね。
なんで最初は劉宣にしちゃったのか?
そこんところがよく分かりませんね。
※
それよりも、かなり時期をイジッてます。
蜀漢滅亡って263年ですから、40年ほど。
いやいやいやいや、
ムリがあるだろー。
容貌を描写しないから気づきませんけど、
やったら、漢将は白髪アタマ勢揃いです。
白日に輝く白髪。
天を震わせる咳。
匂い立つ加齢臭。
まさに老将乱舞。。。
※
蜀漢の滅亡は263年、
劉淵の挙兵は304年。
実に41年後。
蜀漢滅亡時に十代でも還暦は目前。
劉淵を劉備の孫にして名将の末裔と
成都から脱出させてしまいました。
この設定であるからには永嘉の乱で
老将が乱舞せざるを得ませんわなあ。
『続三国志』には、
シルバー三国志という一面もあるのです。
実写化不可能。
ってか、あんま見たくない。
※
他にやりようはなかったものかなあ。
匈奴五部に逃れた遺臣たちが
自立を目指す劉淵たちを鍛え、
志を継いで永嘉の乱を起こす、
とか。
劉備の孫が単于の娘を娶って劉淵が生まれ、
蜀漢滅亡を経験した老将から指導を受けて
永嘉の乱を起こす、
とか。
後者なら、
劉淵や相次ぐ老将の死で混乱する北漢の姿と
劉聰以後の史実を重ねられたかも知れません。
血統重視の儒教思想でも、
後者は受け入れ可能かも。
ぶっちゃけ、
前半の時代設定に手を入れてやろうか、
そんなことを考えた時期もありました。
※
劉柏根、王彌、劉霊は群盗として晋に仇をなした。
酉陽野史はそこから発想し、
蜀漢の劉備と王平の同族に
採用したわけです。
これも『晋書』からのインスパイア。
今日はこれまでとします。
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