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2018年12月1日 09:05
資治通鑑でも調べてみました。ここのサイトなら簡略に検索できて、かつ、故三省音注も載っています。https://zh.m.wikisource.org/wiki/%e8%b3%87%e6%b2%bb%e9%80%9a%e9%91%92_(%e8%83%a1%e4%b8%89%e7%9c%81%e9%9f%b3%e6%b3%a8)/%e5%8d%b7086劉霊に詳しく載っているのは、初,陽平劉靈,少貧賤,〈少,詩照翻。〉力制奔牛,走及奔馬,時人雖異之,莫能舉也。靈撫膺歎曰:〈膺,胸也。〉「天乎,何當亂也!」及公師藩起,靈自稱將軍,寇掠趙、魏。會王彌爲苟純所敗,靈亦爲王讚所敗,遂俱遣使降漢。〈敗,補邁翻。《考異》曰:《彌傳》曰:「彌逼洛陽,敗於七里澗,乃與其黨劉靈謀歸漢。」按《十六國春秋》:靈爲王讚所逐,彌爲苟純所敗,乃謀降漢。今年春,靈已在淵所,五月,彌乃如平陽。然則二人先降漢已久矣,《彌傳》誤也。〉漢拜彌鎭東大將軍、青‧徐二州牧、都督緣海諸軍事,封東萊公;以靈爲平北將軍。 のところです。現行の十六国春秋も同様の記述ですね。晋書だけでは、なぜ、劉霊があれほどまでの武勇の持主に三国志後伝でされているのか、分からないのですが、「力制奔牛,走及奔馬,時人雖異之,莫能舉也」なら、水滸伝風の豪傑ということで、描写だけなら許褚以上ということになります。酉陽野史さんの出典は、晋書、資治通鑑、捜神記は確実ですね。世説新語は含まれるかは気になりますが。なお、資治通鑑には、同じ頁に、詔以王衍都督征討諸軍事。宮純募勇士百餘人突陳,〈陳,讀曰陣。〉彌兵大敗。乙丑,彌燒建春門而東,衍遣左衞將軍王秉追之,戰于七里澗,又敗之。とあるので、慕容恪のまとめで書いた通り、資治通鑑>晋書なので、北宮純と王秉の評価はあがりますが、王衍はさほど上がりません(笑)やはり、「北宮純、強い!」ってことですね。酉陽野史が晋書だけを参照にしていたら、もっと講談めいた内容になり、歴史好きを楽しませるものにはならなかったでしょう。
作者からの返信
こんばんは。ご教示ありがとうございます!> 「力制奔牛,走及奔馬,時人雖異之,莫能舉也」「力制奔牛」だと許褚っぽいずんぐりむっくり力持ちのイメージですが、「走及奔馬」があると細マッチョっぽくてカッコイイですね(笑しかし、これだけの能力がありながら推挙されなかったとは、どういうことなんでしょうね。武帝の軍備縮小時期だったのかな。> 王衍北宮純と王秉を挙げ用いたから、知人の鑒があったんじゃないですかね。そこは評価してあげてもよいかも知れませんよ(笑人の上に立つ人と人の下で働く人の評価は違いますからね。その前に大きなミスというかアカンとこが多い感じですが、どうなんでしょうね、王衍さん。
2018年8月11日 12:41
王衍つええって思いました。本棚に下敷にされるだけの人じゃなかったんや…
こんにちは。これだけ見ると王衍を見直したくなりますよね。この時の王彌は兗州刺史の苟晞にブッ飛ばされた後、山東から河南を襲って許昌を破り、数万の軍勢を率いていました。許昌で兵器も奪って。しかし、武装食い詰め数万を洛陽で禁兵を率いて退けたとして、果たして評価できるかはビミョーかなあ。超有利。ただ、劉淵の軍勢がその辺の食い詰めとは明らかに違った、と言えそうですね。つーか、山東から洛陽まで攻め進まれんなよ。。。
資治通鑑でも調べてみました。ここのサイトなら簡略に検索できて、かつ、故三省音注も載っています。
https://zh.m.wikisource.org/wiki/%e8%b3%87%e6%b2%bb%e9%80%9a%e9%91%92_(%e8%83%a1%e4%b8%89%e7%9c%81%e9%9f%b3%e6%b3%a8)/%e5%8d%b7086
劉霊に詳しく載っているのは、
初,陽平劉靈,少貧賤,〈少,詩照翻。〉力制奔牛,走及奔馬,時人雖異之,莫能舉也。靈撫膺歎曰:〈膺,胸也。〉「天乎,何當亂也!」及公師藩起,靈自稱將軍,寇掠趙、魏。會王彌爲苟純所敗,靈亦爲王讚所敗,遂俱遣使降漢。〈敗,補邁翻。《考異》曰:《彌傳》曰:「彌逼洛陽,敗於七里澗,乃與其黨劉靈謀歸漢。」按《十六國春秋》:靈爲王讚所逐,彌爲苟純所敗,乃謀降漢。今年春,靈已在淵所,五月,彌乃如平陽。然則二人先降漢已久矣,《彌傳》誤也。〉漢拜彌鎭東大將軍、青‧徐二州牧、都督緣海諸軍事,封東萊公;以靈爲平北將軍。
のところです。現行の十六国春秋も同様の記述ですね。晋書だけでは、なぜ、劉霊があれほどまでの武勇の持主に三国志後伝でされているのか、分からないのですが、「力制奔牛,走及奔馬,時人雖異之,莫能舉也」なら、水滸伝風の豪傑ということで、描写だけなら許褚以上ということになります。
酉陽野史さんの出典は、晋書、資治通鑑、捜神記は確実ですね。世説新語は含まれるかは気になりますが。
なお、資治通鑑には、同じ頁に、
詔以王衍都督征討諸軍事。宮純募勇士百餘人突陳,〈陳,讀曰陣。〉彌兵大敗。乙丑,彌燒建春門而東,衍遣左衞將軍王秉追之,戰于七里澗,又敗之。
とあるので、慕容恪のまとめで書いた通り、資治通鑑>晋書なので、
北宮純と王秉の評価はあがりますが、王衍はさほど上がりません(笑)
やはり、「北宮純、強い!」ってことですね。
酉陽野史が晋書だけを参照にしていたら、もっと講談めいた内容になり、歴史好きを楽しませるものにはならなかったでしょう。
作者からの返信
こんばんは。
ご教示ありがとうございます!
> 「力制奔牛,走及奔馬,時人雖異之,莫能舉也」
「力制奔牛」だと許褚っぽいずんぐりむっくり力持ちのイメージですが、
「走及奔馬」があると細マッチョっぽくてカッコイイですね(笑
しかし、これだけの能力がありながら推挙されなかったとは、
どういうことなんでしょうね。武帝の軍備縮小時期だったのかな。
> 王衍
北宮純と王秉を挙げ用いたから、
知人の鑒があったんじゃないですかね。
そこは評価してあげてもよいかも知れませんよ(笑
人の上に立つ人と人の下で働く人の評価は違いますからね。
その前に大きなミスというかアカンとこが多い感じですが、
どうなんでしょうね、王衍さん。