4. 巫女の恋愛事情

候補生における恋愛の扱いはグレーとなっており、内規によって一応は禁止が謳われているものの、実運用において恋愛や異性交遊によって退学となるケースは稀であった。これが生贄の身分となると運用も厳格になり、異性交遊が発覚した場合は直ちに懲戒・解任とされた。

しかし、建前上は月神と添い遂げることを使命とする生贄であっても、その実態は思春期を迎える多感な少女達である。異性や恋愛に対する興味・関心は人並みに抱いている者が大半であった。多くの者は自身の名誉や家族の生活のため、好奇心や欲求を心の中で抑制しながら生贄の任を全うしていた。それにより常に抑圧され、自分の人生に疑問や虚無感を抱く巫女も少なくなかった。そのような抑圧を常態とする中で長い歴史を重ねれば、柵を振り切って駆け落ちをしたり、脱走を企てる者が皆無ではなかったのもむべなるかな、である。

神殿としては、そのような生贄不適格者を処分したとしても解任までで、それ以上の制裁を科す法は存在しなかった。しかし世間は、公益のために祈りを捧げるべき生贄が不貞を働いたとして、本人のみならずその家族までもが白い目で見られる風潮があった。結局は居づらくなってしまい、一家共々郊外へと居を移すか、不幸な例では心中するケースもあったようだ。


その一方、生贄の側から見た駆け落ちは、世間のそれと全く異なっていた。彼女らにしてみれば、駆け落ちを達成した者は自分達が成し得なかった願望を成就した英雄であり、禁忌を犯して神殿を去る者は憧れの存在だったのだ。自由を勝ち取ることができなかった大半の生贄は、勤めに没頭することで己の欲求をやり過ごすしか無かった。

そうした背景の中、誰からともなくある歌が歌われるようになっていった。その歌は禁忌である自由恋愛への憧憬を秘めたとされる歌で、生贄の間でのみ密かに歌い継がれて行った。一説には、かつて駆け落ちに成功した仲間がモデルになっているのではないかという話もある。物語の中で少女が少年に歌って聴かせたという歌は、正にそれだったのだ。

なお、現在この歌は周辺の集落に民謡として伝わり、広く歌われている。一譲 計という同人音楽作家が採譜し、現代風にアレンジしたものがインターネットに公開されている。興味のある方は聴いてみると良い。

参考URL https://soundcloud.com/hakaruichijo/yamanoanata


(引用元 現地に伝わる民謡「山のあなたにも花は咲く」の歌詞より)

月影 闇に溶けし夜は

円(まる)き産湯の桶を抱く

高嶺に在りし白き花は

衆庶(しゅうしょ)の街に咲き遊ぶ


弓張りいよいよ輝きはじめ

しじまに浮世を眺む

厩に迷いし清らな花は

騾馬(らば)に出会いて淡く色づく


月影 明るく満ちし夜は

金の冠 花嫁衣装

屋根より零れし蒼き光は

薄紅に濡れる花びら映す


金色(こんじき) ようよう闇に沈み

送りの舞の鈴が鳴る

永遠(とわ)の誓いを告げんとすれど

儚き花は露と消えぬ


遥か空を舞う 鳥の云う

山のあなたにも花は咲く

明かりと闇は繰り返す


やがては枯れる

一度(ひとたび)限りの花ならば

在りたいと願う風に散る夢を見ん


月影 闇に溶けし夜は

円き産湯の桶を抱く

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