2.6

 ユキコは大騒ぎしながら飛ぶ。

 月が自分に近づいてくるかのようだ。

 ユキコは思わず手を伸ばす。

 うさぎになりかけた自分。


——私の仲間が月にいるかもしれないのね。


 ユキコは月の伝説を思い出しちょっとおかしな気分になる。

 うさぎになりかけた自分を、少しばかり受け入れつつある。


 EE街灯、家の明かり、車のランプ。

 それらのおかげで城壁の中はとても明るかった。

 だが、一歩でも外に出るとそこは月と星明かりだけの世界。

 しかも、今日は新月。

 星明かりだけで道を探る。

 道路などはほとんど整備されておらず行商人が切り開いた街道があるだけである。


 街に住む人間が感じたことのない真の暗闇がそこには広がっていた。

 まるで、暗黒に吸い込まれるようにユキコは地上へと向かう。


 エルザとユキコは街道に着地する。

 着地した瞬間エルザは臨戦体制に移った。


「エルザ……?」


 ミヤコの声。だが、その声も緊張感をはらんでいる。

 ユキコも獣になってから感覚が鋭くなってはいるが……。

 どうやら、本物の獣にはかなわないらしかった。


「何かいるわよ。気をつけて」


 エルザの警告。街道横に広がる草むら。

 腰よりも高い草が生い茂っている。

 その中心をエルザは唸りながら見つめる。

 すると、草むらから男が一人、現れる。


「なかなか、鋭いな。獣。この俺の雰囲気を察するとはな?」


「カント!」


 ユキコは驚く。

 カントは相変わらず白い騎士服を身につけている。

 いい加減、その服、脱げよとユキコは思ってしまう。

 こんなところでそんな服を着ていたら目立って仕方ない。


——隠密行動とはどう言うことなのか、一日講義してあげたいくらいだわ。


「あんた、一体何をしてるの!宮殿を守る任務は?」


 だが、ユキコが話し終わってもカントは答えてくれない。

 ユキコは思い出す。そういえば、話せないんだった。

 さっきまで普通に会話できていたから忘れていた。


「声はまだ、もどってないみたいですね。

 掠れた婆さんのような声だ。

 だが、何をおっしゃいたかったかわかりますよ。

 私は宮殿からあなたとユウトを捕まえる任務を仰せつかっております。

 おとなしく、ユウトを返し、あなたも宮殿に戻ってください」


「いやよ」


 ユキコは首を横に振る。そして、さりげなくエルザのそばに寄る。


——ちょっとごめんね!


 ユキコは心の中で謝りながらユウトの手を取る。

 ユウトからEEが流れ込むのを感じる。

 体の内部に残っていた違和感が徐々に解消されていく。


 よし、これで喉は回復した。もう人の声が出せる。

 言い返そうとしてユキコは黙る。


——いや、まだ喋れないわ。

——ユウトの“ギフト”、カントにバラすわけにはいかないものね。


「へぇ?その獣たちと手を組んだんですね?

 なんだかめんどくさそうだな。

 だが、備えあれば憂いなしとはこのことです。みなさん、お願いします」


 カントがパンパンと手を叩くと草むらの中から黒い服に身を包んだ集団が現れる。


 その姿を見たユキコはひっと一歩下がると内心、焦りつつ考える。


『もしかして、王直属私兵集団ゴースト……?』


 噂には聞いたことある。

 “ギフト”の使えない孤児たちを集めて、鍛え上げられた王直属の暗殺部隊。

 “ギフト”使いとの戦闘に特化し、戦闘技術によって“”ギフト“を使っているような効果を生み出す。

 殺された人の中には殺された事に気づかない者もいると言われる手練れの集団。


 存在そのものが疑わしく、確証を得られないことから、いつしかゴーストという部隊名がついた。

 そんな集団を投入してくるなんて!


 ユキコのそんな表情を見て、カントはユキコがゴーストの存在を知っていることに気がつく。


「へぇ?姫様、察しがいいですね?

 驚きました。まさか、ゴーストの存在を知っているなんて。

 優秀な部下をお持ちのようだ。

 ですが、知っているなら話が早い。

 悪いが、話し合いの余地などないんです。

 さっさと捕まえさせてもらいます」


 カントは指を鳴らす。途端にゴーストのメンバーは剣を抜くと、ユキコ、エルザに向かって走り出した。


 ユキコは覚悟を決める。

 ここで戦闘すると言うことは宮殿に反旗をひるがえすと言うこと。

 それでも、そうなってしまったとしても、ユキコの計画にはユウトが必要だった。


——身体強化!レベル3!

——ここまでの身体強化なら人相手に一撃で殺してしまうことはないはず!


 ユキコは目の前に迫る男の剣をひらりとかわすと拳を叩き込む。

 だが手応えが少ない!


——受け身!


 男は拳を受ける直前に身を引いていたのだ。

 有効なダメージは与えられていない!

 次から次に迫って来るゴーストの人間を、躱し、殴り、蹴り、投げ飛ばす。


「ああ、もうキリがない!」


 背後ではミヤコがエルザから降りて戦っている。

 どこに持っていたのか一本の棒切れを振り回している。

 かなり強いらしく、一撃でゴーストの隊員をノシている。

 まるで吸い込まれるかのように棒切れが人の弱点に打ち込まれる。

 ユキコはその戦闘スタイルに驚く。

 流派が全くわからず、動きに無駄も多いのに、周りにいる敵が減っている。


「ふーん、やっぱ平の隊員じゃ敵わないか。

 お姫様はなかなか強いって聞いてたけど、そっちのお姉さんも強いとわね」


 ユキコは最後の敵をぶん殴り、気絶させると後から出て来た二人を見て、ゴクリと唾を飲み込む。

 どうやら真打の登場らしい。

 一人は巨大な筋肉を見せつけるような短髪の男で大きな剣を背負っている。

 もう一人は華奢な女で長髪を後ろで一つにまとめ、腰には地面にまでつきそうな長い剣をぶら下げている。

 二人とも黒い騎士団服をピシッと着こなしている。

 月明かりを背に受けている二人はユキコの目にはまるで黒いオーラでも纏っているかのように見えた。

 ユキコの方には女の方が近づいてくる。


「とりあえず私はガスって名乗っておこうかな。

 私、この部隊の隊長をしてる。どうぞよろしくね、お姫様?」


「……………どうぞよろしく」


 ユキコはぺこりと頭を下げる。


「あら?喋れるんだ?喋れないってことにしているのには何か意図があるのかな?」


「意図?口を開かないことで私に利益があると?」


「さぁ。わたしごときにはわからないけどね」


「あなたを倒すって宣言って事よ」


「なるほど、これは楽しめそうね?」


 王直属部隊ゴーストの隊長。

 ユキコは少し血のついたワニ皮の手袋をはめ直すと気合を入れる。

 

——ここからが本当の戦闘ね……。


 一方、ミヤコの方には男の方が近づいていた。


「初めましてだな。

 お前はこの街の人間ではないようだ。

 私に課せられた任務はお前の抹殺。

 息の根をしっかり止めさせてもらう。

 俺の名はソリッド。

 覚える必要はない。お前は殺されるのだから」


 そういうとソリッドは背中に背負った巨大な剣を抜く。

 ソリッドの身長くらいはある大きく幅広な剣は、月明かりを反射して怪しく輝く。


「そんな、大きな剣、私に当たるかしら」


 ミヤコはソリッドに向かって上品に指をさす。


「問題ない。何度も当てる必要はない。

 一度。たった一度当たれば俺の勝ちだ」


 ミヤコは棒切れをぐっと握りしめるとソリッドと対峙する。

 ソリッドはニヤッとミヤコを挑発するように笑うと左手をミヤコの方に向ける。


 ミヤコは武器を構えて、ソリッドは左手をミヤコの方に伸ばしている。

 お互いに間合いを探すかのように様子を伺っていた。


「せい!」


 先に動き出したのはミヤコ。

 ミヤコの持っている棒切れではソリッドの剣を受け止めることは不可能。

 ミヤコはソリッドの大剣を使わせることなく戦闘を終わらせる必要がある。


 ミヤコは飛び上がり棒切れを振りかぶると、ソリッドの脳天めがけて振り下ろす。

 しかし、ソリッドはそのでかい図体に似合わず、素早かった。

 振りかぶるミヤコの懐にすっと入り込むと、空いている左手でミヤコの棒切れを握る右手の手首をぱんっと弾く。


「うううっっ!!!」


 対して力を入れているようには見えないのに右手が悲鳴をあげている。


——とてつもない筋力!あれだけ大きな剣を扱うことができるのも頷ける!


 ミヤコはとっさにソリッドの肩を蹴って後ろ向きに宙返りする。

 ふわりとスカートが翻る。


 ソリッドはミヤコに蹴られてものけぞらなかった。

 それどころか、空中に浮いたミヤコに迫る。

 剣を握っていない左手でミヤコの足を掴むとブンッと振り回し、放り投げる。

 ミヤコはかろうじて態勢を立て直し着地すると、ソリッドを見つめる。


 すぐさまソリッドが攻めに転じる。

 左手のみの攻撃だが、細かく足さばきを繰り返し、隙があるはずの右側を決してミヤコの方に見せない。

 ミヤコはソリッドの左手による掴み攻撃をかわし、なんとか棒切れをぶつけようとするも振ろうとする前に棒の手前の方を弾かれてしまう。

 ミヤコは舌打ちする。


「ロック」


 ミヤコは自分の“ギフト”を使うことにした。

 ロックの“ギフト”は一定時間見つめ続けた部分に狙いを絞る。

 ロックを発動している間は、狙った部分に当たらなくなってしまう要素がEEによって全て排される。

 この“ギフト”を発動した瞬間、ミヤコの動きが洗練される。

 これまでの荒々しい剣術が終わり、棒切れは最大効率を重視し、素早さが向上、振り抜きが鋭い風切り音をあげるようになる。


「むっ!」


 ソリッドは仰け反る。

 これまで、ミヤコの攻撃が始まる前に阻止できていたのが急にソリッドの喉元に届きそうだったのだ。

 ミヤコの動きのキレが急に良くなったことにソリッドは嬉しくなる。


 ソリッドも自分の動きを一段階速める。

 左手だけでなく体全身を使ってミヤコの動きを制限しようとする。

 ミヤコの鋭い棒切れの振りに迂闊に左手を差し出せなくなったが、ミヤコの一つ一つの攻撃を丁寧に躱す。

 だが、ミヤコはただ攻めていたわけではない。

 狙いが正確になると敵はそれを読むことに専念し、そのほかの思考を放棄する傾向にある。

 ミヤコは突如、“ギフト”の効果を解く。ロックが解除され、狙いがぶれる。


「ぬっ!?」


 急にぶれた攻撃にソリッドは態勢を少し崩してしまった。

 ミヤコはチャンスとばかりにロックを再発動し攻め込む。


「もらった!」


 首元を狙った一撃。

 相手が動物だったら完璧に決まっただろう。

 しかし、相手は人間。

 ソリッドはすでにミヤコの“ギフト”を見抜いていた。

 ミヤコの“ギフト”は狙ったところに必中させる“ギフト”。

 しかし、その“ギフト”は同等以上の実力をもつ敵にとっては、相手にゆうっりに働いてしまう。

 狙っている場所がわかってしまえば防ぐのは簡単だった。


 これまで彼女が戦闘でロックを使い続けて勝っていたのは、彼女の技能が敵を上回っていたためだった。

 敵は狙われているとわかっても避けられなかったにすぎない。

 だが、ソリッドは手練れだった。

 ミヤコが自分の技能だけで戦うことができない相手。


 そして、ソリッドにはわかっていた。

 目に見えるチャンスが現れれば思い切り打ち込んでくることも。


「ふん!」


 足を滑らせたのは、フェイクだった。

 左手の間合いの外から打ち込んでくるミヤコはその罠にまんまと足を踏み込んだ。

 ソリッドの間合いの中。ソリッドはミヤコに当て身をする。


「ぐふっ!」


 ミヤコは肺にあった空気をいっぺんに吐き出す。

 簡単な当身に見えるのに、軽く三メートルは吹き飛ばされる。

 仰向けに倒れたミヤコ。

 すぐに、ソリッドの大きな剣が目の前に迫る。

 ミヤコは全身に残った少しの力を動員して身をよじる。

 ギリギリのところで攻撃をかわす。


「おお、まだ、体を動かす力が残っていたか。なかなかやるじゃないか」


 エルザはすぐにミヤコを後ろへと引きずる。

 ソリッドは巨大な剣を再度、肩に担ぐ。

 ミヤコは息を整える。

 ギリギリだった。

 罠と気が付いてすぐ、撤退しようとしたため、当て身のダメージをギリギリで抑えることができた。

 口に上がって来た血の味のする唾をペッと吐き出していう。


「ちっ。これだから、人との戦闘はめんどくさいのよ。このデブ!」


「おいおい、私はデブではない。筋肉隆々なだけだ。言葉が汚い女、俺は好きだが」


 ミヤコはキッっとソリッドのことを睨みつけると棒を握りしめ、攻撃を再開する。

 剣だけではない。

 ソリッドはどんな攻撃も一撃が重い。

 注意してかからないと次の一撃でミヤコは死ぬ!

 ミヤコはさらに気を引き締めて戦闘を続ける。



 一方、ユキコも苦戦していた。

 ガスの距離感を無効にする剣術は予想以上にユキコの戦闘を邪魔していた。


「ふわふわふわふわ!うざったいったらありゃしないわね!」


「ふふふ、姫様もなかなかのものですよ。

 私はなかなかあなたに近づけないんですから」


 ユキコはガスの剣の攻撃をワニ皮の手袋の頑丈性に任せて受け止め続ける。

 自分の攻撃は全て外れてしまうのに、相手の斬撃は確実に自分へ迫ってくる。

 頭がおかしくなりそうだった。


「ええい!なんの“ギフト”なんだ!?うざったい!」


 ユキコは腕をブンブン振り回すが、一向に攻撃が当たらない。

 そもそも、ユキコの持ち味は高速で動き回り相手を翻弄すること。

 自分が翻弄される立場になってしまうと、こうも戦闘が難しくなってしまうのか。

 ユキコは自分自身の戦闘を振り返ってコメントする。


「私の、戦闘スタイル、マジでうっぜぇぇぇぇぇぇ!!!」


 ガスの斬撃を手のひらで受け止め、はじきかえす。

 剣の向こう側にガスがいるはずなのに、拳が届かない。


「目を閉じちゃえ!」


 ユキコは相手の気配だけを頼りに戦闘を始めようとするが、ガスの雰囲気は遠いのに斬撃が迫ってきて、声をあげてしまう。


「うわっ!ダメだ、目を閉じるともっと危ない!」


——なんとかしてこの距離感を掴まないといけないのに!

——自分の間合いを意識すればするほど、よくわからなくなるわね!

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