第64話 二つの光。
黒瀬の本音を聞いた銀次は、優しく微笑むと携帯を取り出し、誰かに電話をかけているようだった。
手短な会話を終えると、携帯を机に置き、改めて黒瀬を見据える。
「ちょっと予定は狂っちゃったけど、まあいいか」
「……そろそろですかね」
赤坂は腕時計を確認し、呟く。
と、同じにノックも無しに、バンっとドアが乱暴に開け放たれた。
そこにいたのは、九十九院トキと、もう一人。
──白石護、否。夏川ゆらぎの姿だった。
「……黒瀬、先輩……?」
九十九院の後ろに隠れるようにして、立ち尽くしているゆらぎは、黒瀬の姿を認めると、次の言葉を繋げないでいた。
「……っ……白石、なのか……?」
黒瀬もまた、戸惑いを隠せずにいた。彼が混乱するのも当然。何故なら、男装をしていないゆらぎ本来の姿を見たのは、これが初めてだったから。
緑川に無理矢理コーディネートされていた時とも違う雰囲気。
初めて見る髪色。ナチュラルメイクを施した顔。服装。
そのどれもに、黒瀬は完全に心が奪われていた。
本当に白石なのか。そんな疑問さえ浮かんでくる。
田中社長が黒瀬を事務所に入れるために、用意した影武者ではないのか。
そんな考えが脳裏を巡り、確信を持てず、次に続く思考が完全に停止していた。
「ちょっと、二人とも。固まってないで、何か言いなさいよ。せっかくの感動の再会なのよ」
九十九院が茶化すも、気まずい空気が辺りに漂う。
「少しだけ、二人きりにしてあげよう」
微笑み、気を利かせた田中社長がそういうと、黒瀬と白石を残して、赤坂、九十九院も部屋を出ていく。
「…………」
「…………」
ゆらぎは入り口で立ち尽くしたまま、その場を動こうとはしない。もしかしたら、彼女も気が動転していたのかもしれない。
「……髭、剃ってくればよかった」
独り言と共に、この静寂を破ったのは黒瀬のほうだった。
「え?」
「てか、本当に白石なんだよな?」
ぽかんとしているゆらぎを一瞥し、顎を片手で隠すように覆ったまま、再度確認をする。
「はい」
「俺が、おかしくなって、お前の幻覚を見てるとかじゃないよな?」
「幻覚ではないですけど。黒瀬先輩、どこか具合が優れないんですか」
ゆらぎは黒瀬の表情を確認しようと、その場を動き彼の元へと、ゆっくりと近付いていく。
「は? そんなわけ──、いや、うん。駄目だった。さっきまで」
言いかけて止める。確かに先程までは、調子が良くなかった。だが、その理由は彼女に会えないことへの不満や苛立ちから来る精神的なものだ。
「え! なら、休んだほうが」
「い、いや。平気。今は」
「そうですか」
いつの間にか、至近距離になり心配そうに黒瀬を見つめるゆらぎ。
一瞬、鼻腔を掠めたのは、今までとは違うシャンプーの香りか。
このまま、抱きすくめてしまいたい衝動に駆られる。その不埒な感情を、僅かに残っていた理性で、ぐっと押し留めた。
「……近い。あんまり見るな。髭生えてるの見られたくないんだよ」
「あ、すみません。なんか、新鮮だなぁと思って。黒瀬先輩の髭姿初めて見た気がします」
「俺だって男なんだよ。髭くらい生える」
違う、違う。俺は髭の話がしたいわけじゃない。
なんだ、これは。
なんなんだ、この感情は。
まるで、初めて恋愛したかのような感情の誤作動に、黒瀬は存在しない心のリセットボタンを押したくなる。
「えっと……」
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