第65話 再会と誓い。

 ゆらぎは至近距離で黒瀬の顔を覗き込んでいたことを思い出すと、途端に恥ずかしくなり、ゆっくりと離れようとした。


 遠ざかっていくゆらぎの腕を黒瀬は躊躇いながらも、そっと掴む。


「行くな……」


 切なげな声と共に引き寄せられ、ゆらぎは黒瀬の胸に飛び込む形で、抱きしめられた。その手は少し震えていて、黒瀬が緊張しているのが分かった。


 拒絶されてしまったらと思うと、怖くてたまらなかった。


 それでも、言えずに後悔してしまうくらいなら、全て伝えてしまおう。


「先輩……?」


「ずっと、会いたかった……。会えなくなって1ヶ月くらいしか経ってないのに、こんなにもツラくなるなんて思ってなかった。


 俺、お前が好きなんだよ。だから、俺を置いて何処かに行かないでくれ。……そばに、居て欲しいんだ」


 繋ぎ合わせた言葉は震えていた。


 必死過ぎるだろうか。

 情けないと笑うだろうか。


 いつもの先輩じゃないと、幻滅されてしまうだろうか。


 ゆらぎからの返事を待ちわびる、この一秒すら心は不安で埋め尽くされていく。


「……ごめんなさい、勝手に事務所を辞めて。居なくなって。黒瀬先輩が引き留めてくれていたのに」


 黒瀬は続く言葉に耳を傾ける。一言一句、聞き逃さないようにと。


「私自身、少し考える時間が欲しかったんです。事務所を辞めて後悔がないのなら、このまま姿を消すつもりでした。でも、出来なかった……。


 黒瀬先輩の姿が脳裏に浮かぶんです。忘れようと思えば、思うほど……先輩に会いたくて。声が聞きたくて。だから、私──」


 最後の言葉を聞く前に、黒瀬はゆらぎの唇を自身の唇で塞いだ。


 軽く触れるだけの、優しいキスだった。


 黒瀬の想いに必死に応えようとしている彼女の声もまた、酷く揺れている。


 同じ気持ちだった。


 たったそれだけで、どれだけ心が救われたのか。


 氷解していく感情に、一筋の光が射した。



「……悪い。我慢出来なかった」


「だ、大丈夫……です……」


 黒瀬の謝罪に、ゆらぎは顔を伏せて答える。その声は弱々しく、消えかかる。


「あー……。聞きそびれたんだけど、俺のこと好きだってことでいいんだよな」


「わざわざ、確認しないでくださいよ」


 そっぽを向き、恥じらい少し拗ねたような態度をとる彼女に、笑みが溢れる。


「そっか。ありがとう。会いたいって、言ってくれて。同じ気持ちで良かった」


 黒瀬は安堵すると、ゆらぎを抱きしめていた腕の力が抜けていくのを感じた。


「黒瀬先輩、好きですよ」


「なっ! 不意打ちはズルいだろ」


 完全に気を抜いていたところに、ゆらぎからの不意打ちの言葉。今度は黒瀬が恥じらう番だった。


「さっきは言えなかったので」


 悪びれた様子もないゆらぎに、黒瀬は完全に白旗を上げ、降参する。


 この俺が勝てないなんて、俺様キャラも形無しだ。


 わざとらしく咳払いをして、黒瀬は気持ちを切り替える。


「……社長との話が途中だ。呼んでくる」


「そうですね」


 ソファから立ち上がり、二人は社長室を後にした。




「話し合いは出来たかな」


「ああ。新しい事務所に入る」


 社長室での話し合いが再開され、黒瀬は強い意思で田中社長に告げる。


 「それは良かった。黒瀬くんなら大丈夫だと思っていたよ」


 銀次は赤坂から書類を受け取ると、一瞥してから黒瀬へ手渡した。


 黒瀬は契約書に書かれていた内容を確認する。


「え?」


 拍子抜けしたような声が出た。


 それもその筈、代表取締役の名前の欄には、『田中銀次』『九十九院トキ』と連名されていたからだ。


 そして、新しい事務所名は『トワイライト』──。

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