第58話 一時休戦と協定。


「それで、恋敵の僕に協力を求めに来る?」


「仕方ないだろ。よく考えたら業界で親しくしてる奴なんて、お前くらいしか思いつかなかったんだよ」


「だったら、態度を改めなよ。それが人にものを頼む態度なの? 僕はね、今とてもイライラしているんだ。てっきり交際報告しに来たのかと思ったら、結局、尻込みして返事さえ聞けなかったとか、聞いて呆れる。僕なら、そんなことにはならない。だって──」


「ああーー!! うるさい! そんなに俺が嫌いか? あ? 喧嘩なら買うぞ」


「…………」


 緑川は苛立ちが押さえきれないのか、無言で黒瀬を睨みつける。


 黒瀬もまた、緑川の視線を逸らさずに受け止めていた。


 場所は緑川の住むマンションの一室。


 出歩くのを控えるべきかと思案したものの、引き込もっていては何も解決にはならないと思った黒瀬は結局、緑川を相談相手に決めた。


 が、やはり人選を間違えたのか。


 開口一番、緑川の嫌味。


 ここは、心を無にして耐えるしかないのか。


「何回目だっけ? 黒瀬が僕に貸しを作るの」


「知らん」


「その態度……」


「悪い。借りは倍にして必ず返す」


 緑川の蔑んだ視線に居心地が悪くなり、思わず、謝罪の言葉を口にする。


「……無理して返そうとしなくてもいいよ。彼女を僕に譲ってくれるなら話は別だけど」


「それは出来ない」


 意地の悪い笑みを浮かべた緑川の提案を、黒瀬は即座にはね除ける。


 隙有らば、ゆらぎを狙う緑川の肉食振りに、少し焦燥感を覚えなくもない。ここまで、はっきりと相手に好意を示して、恐れずに尚且つ積極的に行動出来る人は、きっと多くない。


 狙った獲物は逃がさない、か。


 恋敵だが、その姿勢は見習いたいと思う。


「本題に入ろうか。黒瀬は僕に何を望んでるの。言っておくけど、僕は権力があるわけじゃない。出来る事は極僅かに限られてるよ」


「分かってる。俺が頼みたいのは……」



 ────────


 あの時、結局、言えなかった。


 『黒瀬先輩のことが好きです』


 そう言えたなら、私の心は晴れたのか。自問自答する。


 否、罪悪感を抱えたままの状態で告げたとしても、きっと自分の心に影を落とすだけだ。


 こんな状態じゃなければ、どれだけ良かったのだろう。


 いつから、好きになっていたのか。

 考えてみても、分からなくて。


 自分でも気が付かないうちに、黒瀬先輩に心が惹かれていた。


 自分が悪いと責めるのは簡単だ。けれど、この状況を打破する鍵も、きっと私自身だ。


 ゆらぎは荷物をまとめ終え、殺風景になった部屋を見渡す。


 元々、私物は少なかったから。違和感は少ない。


 もう、ここには戻らない。戻れない。


 ──さよなら。黒瀬先輩。


 黒瀬が外出している今、このチャンスを逃さない様に、ゆらぎは今一度、帽子を目深に被り直し、膨らんだボストンバッグを手に、そっと部屋を離れた。

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