第57話 守りたい相手。


「最初の頃は黒瀬先輩に対して、苦手意識を持っていたのは事実です。


 けど、この事務所に入って、新人声優として仕事をこなしていくうちに、先輩は本当は努力家で、仕事に対して真面目に向き合っていて……。


 だから自然と周りの人達からも信頼されていて、それが次のお仕事として繋がっていくんだなと思ったんです。そんな姿に気がついてからは、先輩のことをとても尊敬しています」


「あ、ありがとう……。面と向かってそんなことを言われるとは思ってなかったから、少し戸惑うな」


 黒瀬はゆらぎの嘘偽りのない称賛に、戸惑いつつも、その言葉を自身の胸に刻む。


 隠していたつもりの努力も、ゆらぎには全て見透かされていたらしい。


 嬉しさと恥ずかしさが交差する。


 努力は人に見せるものではない。自分ではそう思い、今までひた隠ししてきた。


 だからこそ、今の地位を得られるまでは、仕事が決まる度に根も葉もない噂が、何度もネットに蔓延っていたのだ。


 今回の事も時が経てば時期に収まるだろうと、黒瀬は心のどこかで楽観視していたのだ。


 けれど、日を増す毎に悪化する状況に、本当は黒瀬自身も精神をすり減らしていたのだと、ゆらぎの言葉で気付かされる。


 だから、誰かが自分の努力を見ていてくれた。それだけで、心が少し救われた気がした。


 そして、黒瀬は決心を固めた。


 ───守りたい人が出来た。守りたいと思える相手がいる。


 何もかも失おうとしている今、自分が出来ることは……。


「……先輩?」


「え?」


 きょとんとしているゆらぎの表情を見て、黒瀬は我に返る。


「悪い。なんだっけ」


「だから、私、事務所を辞め──」


 言いかけたゆらぎの言葉を、黒瀬は人差し指で優しく閉ざした。


「これ以上は言うな。堂々巡りだし無意味だ。俺も声優を辞めるつもりはないし、お前が責任を感じて辞める必要もない」


「でも……」


「でももへちまもあってたまるか。俺はこんな所で終われないんだよ。お前もいつまでもうじうじするな。早速行動に移すぞ。返事は全てが終わった後、改めて聞かせて貰うからな。覚悟しておけ」


 いつもの調子が戻り始めた黒瀬は、ゆらぎの言葉を強引に押し留めた。


 きっと、今ゆらぎの答えを聞いたとしても、冷静で居られる自信はない。


 と同時に自分から答えを急いていて、やっぱり聞きたくないと思ったのは、否定されるのが怖かったからだ。


 好きな相手からの拒絶が一番堪える。

 それを解っていたから。


 恋心というものは、自信家の黒瀬さえも臆病にさせるらしい。

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