第53話 だから、本音を知りたい。
二人の静寂を切り裂いたのは、無機質なインターフォンのチャイムだった。
「もう、来たか。案外、早かったな」
緑川は独りごちると、ゆらぎを置いて玄関へと向かった。
ゆらぎは冷めたコーヒーに口をつける。少し入れすぎた砂糖が、底に沈んで溶け残っていたのか、舌触りが悪かった。
しばらくの後、玄関先から何やら言い争う声が聞こえてきた。一人は緑川だ。そして、もう一人は……。
「──いいから、中に入れろって言ってんだよ」
この声、黒瀬先輩……?
無意識に立ち上がり、玄関先へ向かう。すると、見えてきたのは、少し開かれたドア越しに対峙する緑川と黒瀬の姿だった。
「黒瀬、先輩……」
「白石、無事か。こいつに何かされてないか」
ゆらぎの声に気づいた黒瀬が問いかける。
「あーあ。せっかく、匿ってたのに。きみも出て来ちゃ駄目だよ」
緑川はゆらぎを一瞥すると、ため息混じりの言葉を吐き出した。
「すみません。気になったので」
「これ以上騒がれても面倒だし、黒瀬も入りなよ」
「言われなくても、そのつもりだ」
緑川によって、閉ざされていたドアが開き、黒瀬が遠慮なく部屋へ入り込んで来た。
こんな所で黒瀬に会うことになるとは思わなかったゆらぎは、気まずさで視線を逸らす。
黒瀬はそんな彼女の手を強引に取り、自身に引き寄せた。そして、牽制するように緑川を睨みつける。
「弱みに漬け込んで、手、出してないよな?」
「なんのこと?」
緑川は平然を装い、黒瀬の牽制など物ともしていない様子だった。
「チッ、言い訳なら後で聞いてやる。白石、お前に聞きたいことがある」
「……はい」
「待って。話し合いなら、部屋の中でして。玄関でされても困る。誰かが聞いてないとも限らない」
緑川の言う通り、今の黒瀬の動向を探ろうとする週刊誌の記者が、近くに張り込んでいたとしてもおかしくはない。
安全な場所など、何処にもないのだ。
それぞれがソファに腰を落ち着けたところで、黒瀬が話の口火を切った。
「さて、黒瀬は何が聞きたいのかな」
「お前が仕切るな。俺が聞きたい相手は白石だ」
「はいはい、ではどうぞ。でも、彼女に不利があるようなら、僕が割って入るからね」
「勝手にしろ。……白石、正直に答えろ。お前は事務所を辞めたいのか」
黒瀬が向かい合わせのゆらぎに問う。
「……そのつもりです」
「なんで」
「……それ、は……」
黒瀬の問いにゆらぎは狼狽え、視線を降ろす。
厳しいことを問われる覚悟をしていたはずなのに、いざ直面すると何も言えなかった。
辞めたら、楽になれるから?
自由になれるから?
私が目指してた夢ってなんだった?
脳裏に様々な疑問符が浮かぶのに、どれも正確な答えではない気がして、口を閉ざした。
「じゃあさ、仮に辞めたとして絶対に後悔しない自信はある?」
黒瀬先輩の言う後悔なら、もうしている。
だからこそ、離れたいと思った。
逃げたいと思った。
そして、自分勝手に願った。
本当なら黒瀬先輩に合わせる顔がないくらいに後悔している。でも、後悔しているなんて言えない。
だから、私は嘘をついた。
「後悔、しません」
「そうか。なら、白石が緑川を頼った理由を教えてくれ。お前の性格なら、緑川なんかに頼らない」
「それはちょっと酷い言い草なんじゃない? 僕、そんなに信用ないの」
「ない」
突然、二人の会話に割り込んできた緑川を黒瀬は、たったの二文字で一刀両断した。
「成り行きです」
「成り行きねぇ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます