第44話 絶対に渡さない。

 ゆらぎが決意表明をした後、緑川は黒瀬と二人きりで話がしたいと言い、彼女を追い払うように呼び寄せたタクシーに強引に押し込んでしまう。


「寮に戻れば赤坂がいるだろうし、とりあえず安心しておけ。じゃあな」


 黒瀬の言葉を最後に、タクシーの後部座席のドアが閉まる。


 ゆらぎが何か言いたげな表情をしているのに気がつきながらも、黒瀬は見て見ぬふりをして、夜の闇に徐々に吸い込まれ小さくなっていく、タクシーの後ろ姿を静かに見送った。


 緑川の自室に戻ると、彼は白ワインを片手に、ワイングラスを二つ掲げて見せた。


「少し、話をしようか」


 そう話を切り出したのは緑川で、ソファに腰を沈めた黒瀬に白ワインの入ったグラスをそっと差し出す。


「お前が聞きたいことは分かってる。いつ、白石が女だってことに気づいたのか。……だよな?」


「簡潔に言えばそうだし、それ以外にも聞きたいこともあるよ。色々と」


 白ワインを口にした後、「つまみが欲しいな」と呟き、緑川は立ち上がりキッチンへ向かう。


「初めて会った時の白石の印象は、幼い顔をした今時の可愛い系男子かと思った。それこそ、お前と系統が似てるかとも思ったんだが」


「失礼だな。僕はキャラを使い分けてるだけであって、別に可愛い系男子じゃない。ただ、ファンの理想を具現化したらこうなっただけ」


「あっそ。お前の経緯は正直どうでもいいわ」


「黒瀬が話を振ったんだろ」


「あーはいはい。で、確証したのはお前が女の姿をした白石を連れて来た時だ。ただ、どうしたらいいのか分からなかった」


「分からなかった?」


 緑川は白いシンプルな皿にカマンベールチーズ、クラッカー、ナッツ類を盛り合わせて、テーブルの中央に置きながら問い返した。


「だって、そうだろ。白石は自分の姿も名前も偽って、俺の目の前に現れたんだぞ。戸惑うだろ、普通」


「奥手だね。僕なら頃合いを見計らって躊躇いなく言うよ。だから──」


「脅したのか、白石を」


 緑川の続く言葉を遮り、黒瀬が声を重ねる。その声音は僅かに怒りを含んでいるように思えた。


「僕としては、ちょっとした意地悪のつもりだったんだけどね」


「何度も言うが、俺の後輩を玩具にするな」


 ──これ以上の言い訳を聞くつもりはない。


 そんな無言の拒絶を受け取り、緑川は軽く肩を竦めた。


「そんなに大事なら、自分で守りなよ。最後まで」


「何が言いたいんだ」


「……本当は分かってるくせに。僕に言わせるの? 先に言っておくけど、僕だって簡単に譲るつもりはないから」


 宣戦布告ともとれる緑川の発言に、黒瀬はぴくりと眉根を寄せた。


 知り合ってから数年。二人は常に仕事のライバルとして互いに切磋琢磨してきた。その中で、この業界の厳しさに心が折れ、去った者も何人もいた。


 それでも、お互いがこの業界を離れなかったのは、励まし励まされて苦楽を共にしてきたからだ。そして、二人は今、男性声優人気上位の一位二位を争うまでに成長した。


 だが、二人がお互いに欲しているのは、きっと同じ想い人だ。けれど、これだけは、互いに譲るつもりはないのだろう。


 一瞬にも永遠にも思える静寂が、二人の空間をパズルのように埋めていく。最後のピースを振り払ったのは彼だった。


「渡さないからな」


 ため息をついた後、黒瀬は一言だけ呟いた。


「うん。僕も渡すつもりはない。なんなら、奪ってみせるよ」


 それに答えるように、緑川も蠱惑的な笑みで返した──。


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