第42話
ゆらぎが着替えた後、黒瀬達は緑川の自宅マンションを訪れていた。
「全部……聞かせてくれるんですよね? ウグイス先輩」
「あー……。まぁ、うん」
ガラステーブルを挟んで、ソファに座り緑川と対面する。ゆらぎの隣には黒瀬が座り、湯気の立つコーヒーカップを片手に静観していた。
「もともと、今回のことは黒瀬から持ち掛けられた案だったんだ」
黒瀬を一瞥し、緑川はゆっくりと口を開いた。
「案? どういうことですか」
勿体ぶらないで簡潔に言って欲しい。
そんな感情が苛立ちとなって、ゆらぎの表情を歪ませる。
「最初から気づいてた」
少しの沈黙を破るように、その問いに答えたのは黒瀬だった。
「え──」
「だから、お前が女だってことも。何か言えない事情があるんだってこともだ。そのことを知っていて、試した。……お前を」
「試した……?」
「緑川に性別が気づかれたとき、どうして誰にも相談しなかった? 俺には出来なくても、赤坂になら相談出来ただろ? どうして、独りで抱えて黙ってたんだ」
「そ、れは……」
「ごめん、黒瀬。それは僕が脅したからだよ」
「今はお前の弁解を聞いてるんじゃない。白石の意思を聞いてるんだ」
──口を挟むな。
黒瀬の鋭い眼孔が緑川の続く言葉を制止させた。
助け船を失ったゆらぎは、表情を隠すようにうつ向き、自身の組み合わせた指先を見つめる。
『どうして』と聞かれても、黒瀬を納得させる答えは何も出てはこない。
──黒瀬先輩にだけは、絶対に知られたくなかったから。
──弱みを握られると思ったから。
いや、どれも違う。
本当は。……本当は?
「そんなに信用がないのか? 俺は」
沈黙が答えだと悟ったのか、黒瀬は諦念を滲ませた言葉をはいた。
「違うっ!!」
黒瀬の言葉にゆらぎは反射的に声を荒げ、視線を上げる。
そんな訳ない。普段の黒瀬は敢えて傍若無人に振る舞っているだけにすぎない。努力や弱さを他人に見せないだけで、本当は誰よりも後輩思いで真面目で、そして。
優しいことを知っている。
信用だってしている。だけど──。
「言えなかったのは……。私なりの意地です。女だからって、ひと括りにされたくなかった。黒瀬先輩と同じ土俵に立ちたいとか、そんな大それたことは言いません。
けど、この仕事に真剣に向きあっている時に、私の個人的な事情で面倒事を増やしたくなかったんです」
何を言っているんだろうか、私は。違う、こんなことが言いたいんじゃない。
この、霧が立ち込めるような感情を、上手く言葉に表せない。
「だが、結果としてそれが裏目に出たんだ。で、どうするんだ? 先手を打って、事務所を通して実は女でしたって公表するのか? それこそ本末転倒だろ。今まで性別をひた隠しにしてきたのは何のためだ? 仕事を続けたいからだろ」
あからさまに苛立ちを含んだ黒瀬の刺々しい言葉は、ゆらぎの脆くなった心を容赦なく突き刺していく。
売り言葉に買い言葉。
悔しさと悲しさが入り交じり、涙が瞳を縁取っていく──。
「分かってますよ! そんなことっ!!」
「ストップ。一旦落ち着いて二人とも」
ヒートアップする会話に堪えきれずに、緑川が二人の間に割って入る。
冷静を取り戻すように黒瀬は冷めかけているコーヒーに口をつけて、ゆっくりと息をはいた。
「駄目だ。上手くいかない」
自身の前髪をくしゃりと掴み、黒瀬は苦々しく呟く。
「まぁ、本人を目の前したらそんなものだよ。きっと」
緑川は落ち着いた声音で黒瀬に向けて言葉を掛けた。
二人のやり取りに付いて行けずに、今度はゆらぎが置いてきぼりにされる番だった。
一体何のことを言っているのか、皆目検討がつかない。
「あの、なんの話ですか」
「あぁ、ごめんね。君は知らなくていいことだよ。……男にしか分からないことだから」
最後の囁きは、ゆらぎには聞き取ることは出来なかった。
「とりあえず、二人の喧嘩は置いて、と。冬馬さゆって子が、どう出るのか考えなくちゃいけないね」
「あぁ……面倒なことしやがって、あの女」
「おっと、言葉が悪いよー黒瀬君?」
黒瀬は悪態をつき、ソファの背もたれに寄りかかり、天井を仰ぐ。そんな黒瀬を茶化すように緑川は何時もの調子を取り戻して軽口を叩いた。
「君付けするな、気色悪い」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます