第41話


「落ち着け」


「……もう、いいです。黒瀬先輩の言葉なんて聞きたくありません」


「だから! 少し落ち着けって!」


 黒瀬は言葉を拒絶するゆらぎの両肩を掴み、声を荒げた。

 

 そんな二人の様子を、緑川は珍しく口を挟むこともなく、静観している。


 ゆらぎは憤怒を身体に纏い鋭い眼差しで、黒瀬を見上げていた。


 辺りに静寂が落ちる。


「……その辺でストップ」


 そして、重苦しい空気を切り裂いたのは──緑川だった。


「まぁ、いきなりああだこうだ言われても混乱するよね。一から説明しようか。ね? いいよね、黒瀬」


「……ああ」


 苦々しい表情で黒瀬は緑川の言葉に頷いた。



 尾行されていることに最初に気付いたのは緑川だった。


 『シライ』として変装しているゆらぎと共にタクシーから降りた時、緑川は、ふと違和感を覚えた。


 誰かに見られている。いや、見張られている。そんな限定的な視線が二人の姿を追っている。


 最初は緑川を狙った週刊誌の記者かと思い、相手を巻こうとした。だが、相手は緑川には目もくれず、ただ真っ直ぐにシライの姿をした、ゆらぎだけを見つめていたのだ。


 そして、緑川はその相手に見覚えがあった。


「おそらくだけど、君も知ってる相手だと思う」


「知ってる人……?」


 この業界に入ってからは殆どと言っていいほど、知り合いらしい知り合いはいない。


 緑川に問いかけられても、ゆらぎには全く心当たりがなかった。


 否。──ひとりだけ、いる。


 自身の考えを否定するように、沈黙したゆらぎの姿を見て、黒瀬は緑川に目配せをした後、口を開いた。

 

「養成所」


「え?」


「おまえと同じ養成所で冬馬さゆって女がいただろ。今はアイドル声優の」


「どうして、ここでさゆが出てくるんですか」


 嫌な予感がした。次に続く言葉を聞きたくなかった。


 けれど、ゆらぎの感情を容赦なく打ち砕いたのは緑川の一言だった。


「君の後をつけてたのは冬馬さゆだったんだよ」


「……いや、さゆも同じレストランに入っただけかもしれないじゃないですか。そんな偶然で疑うのはおかしいですよ」


 そんなはずはない。何かの間違いだって。偶然だって言いたい。だって、さゆがそんなことをするはずがない。……違う。違う。違う。


「じゃあ、俺とおまえが店を出た後、あいつも同じように偶然店を出て、俺らと同じ方角を歩いてたってか? 馬鹿も休み休み言えよ。どう考えても、おかしいのは冬馬だろ」


「…………違う」


 友人だって思ってたのは私だけだった?

 本当は嫌いだった?


 同期だからって、それだけの理由で勝手に友情を感じてたのは私だけだったのだろうか。


 こんな事実を、こんな形で知りたくはなかった。


「違わない。事実だ。あんな下手くそな尾行があってたまるかよ。理由は何にせよ、あの女がおまえに悪意を抱いてるのは間違いない」


 現実を受け入れられていないゆらぎに、黒瀬は冷静に現状を口にする。


「追い討ちかけるようで悪いけど、今日のことが週刊誌やネットニュースに上がったら、彼女は──冬馬さゆは『黒』確定だよ」


 緑川は腕時計で時間を確認した後、バーカウンターにカクテルの代金を置いて、席から立ち上がる。


「さあ、行こうか」


「あ? どこに」


 緑川の言葉に黒瀬は不機嫌に問う。


「もちろん、ボクの家に決まってるでしょ。話長くなりそうだし」


「……そうだな。とりあえず、白石着替えてこい」


 たが、ゆらぎはその場を動けずにいた。

 二人の言葉が幾度も脳裏に反芻しては消えていく。


 見かねた緑川が放心状態のゆらぎに近付き、耳元で囁く。


「今はさすがに着替え手伝えないよ」


「っ……分かってます。……着替えますから」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る