第40話
思わず、いつもの調子で「尾行って、どういうことですか?」と危うく口走りそうになり、ぐっと堪える。
ここで素の自分が出てしまっては、全てが台無しになってしまう。それに、ここまで来たのだ。もう、いっそ知られたくないとさえ思い始めている。
「週刊誌の奴らか……」
ぽつりと小さく呟いた黒瀬の言葉に、ゆらぎは徐々に冷静さを取り戻した。
九十九院トキが忠告した、あの言葉が蘇る。
『──ゴールドセブンには気をつけなさい』
いや、まさか。
ウグイス先輩の身の潔白は証明された。
なら、誰が……。
否。『誰が』なんて、考えるだけ無駄なのかもしれない。この業界に身を置くと決めた時から分かっていたことだ。
自分以外は全て敵。
場合によっては身内さえも、疑わなければいけない時がある。
そうまでして、黒瀬を陥れたい人物がいる。
それだけは、紛れもない事実なのだ。
週刊誌の記者だとすれば、おそらく、今日の一部始終は写真に納められているだろう。
疚しいことは何一つしていないのに、面白おかしく記事にされ、そして黒瀬の評価に傷を付けるに違いない。
私が迂闊だった。
赤坂マネージャーが、付きっきりで黒瀬先輩を守っていたというのに。
私の軽率な行動によって、一瞬にして全てが壊れてしまった。
「ごめんなさい」
謝らずにはいられなかった。
黒瀬先輩の人気が低迷したら、私はどう責任を取るべきなのだろうか。頭の中が真っ白に染まっていく。
「謝るな、白石」
「……え」
「自然にしてろ」
前を向いたまま、然り気無く黒瀬はゆらぎの手をとり、繋ぎ合わせた。
今、白石って……言った?
聞き間違い、じゃないよね……。
黒瀬の横顔を見つめる。真剣な表情だった。
「このまま、バーに入る」
「はい」
人混みを抜けて、ビルの一角にひっそりと看板を構えているバーの扉に黒瀬は手を掛けた。
ドアベルがチリンと控えめに音を立て、二人の来店を知らせる。
「待ってたよ」
聞き慣れた声に、ゆらぎは顔を上げる。
程よく照明が落とされたバーの店内で、カウンター席に腰掛けて居たのは緑川だった。
「どうして……」
「まあまあ。はい、着替え」
緑川に紙袋を渡されたゆらぎは、状況を理解出来ずに二人の顔を交互に確認した。
「また、お前に貸しを作るはめになるとはな」
黒瀬は緑川の顔を見るなり、あからさまにうんざりとした態度をとる。
「そんなに嫌そうな顔しないでよ」
「あ、あの! ちょっと待ってください。これはどういうことですか」
説明してください。と、ゆらぎは緑川に詰め寄った。
「んー。話すと長くなるんだけどね。一言でまとめると、黒瀬は最初から気づいてたんだよ」
緑川はカウンターテーブルに頬杖をつきながら答える。
「……え? 気づいてって……」
「だから、お前が女だってこと。俺に気付かれないように、わざわざご丁寧に変装までしてシライだって存在を偽ってたことも、だ」
少し苛立った様子で、黒瀬は緑川の言葉を補足した。
「いつから、気づいていたんですか……」
ゆらぎは動揺で瞳を揺らす。
自身の男装に自惚れていたわけではない。
自信があったわけでもない。
けれど、黒瀬に見抜かれていたことに衝撃を受け、茫然自失する。心の中で様々な感情が風船のように浮かび上がっては、一つずつ音を立てて弾けていく。
「割りと最初から」
そう言いながら、黒瀬は茫然と立ち尽くしているゆらぎの手を取り、カウンター席に誘導する。
「だったら! どうして……こんなことしたんですか? 白石じゃなくて、シライとして呼んだんですか!?」
ゆらぎは黒瀬の手を振り払った。
──分かっている。これはただの八つ当たりだ。けれど、声を荒げられずにはいられなかった。
黒瀬の考えが分からない。
どうして……。
黒瀬先輩は影で私を嘲笑っていたのか。
女なのに男装をしてまで声優になりたかったのか。そこまでして仕事が欲しかったのか、と内心は嘲っていたのか。
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