第32話

 ここ二週間は、オーディション漬けの日々が続いていた。


 しかし、送られてくる合否の結果は、全て不合格で、そんな鬱々とした日々が、ゆらぎの心に拍車をかけていた。


 都内のスタジオで行われた、オーディション終わりに、その足取りで冬馬と待ち合わせをしているカフェへ向かう。


 店内で先にカフェラテを楽しんでいた冬馬が、ゆらぎに気付き、小さく手を振った。


「無理に呼び出してごめんね。久しぶり」


「ううん。私も相談したいことがあったから大丈夫。それより、個室のカフェとか初めて入ったんだけど」


「ゆらぎがその姿だから一応気を使ったの」


 冬馬がゆらぎを指差し、苦笑する。


「あ。忘れてた」


 彼女に指摘され、気付いた。


 男装姿がすっかり板につき、自分の立場を忘れていた。

 

 慣れというのは実に恐ろしい。

 

「でしょ? 変装もしてないし」


「すみません……」


「別に謝らなくても。ゆらぎらしくていいと思うよ」


 冬馬は、だて眼鏡をかけて控えめに変装をしている。


 というのも、彼女の場合はアイドル声優として活動をしているため、熱愛報道はご法度らしい。


 事務所から厳しい指導を受けていると、愚痴をこぼしていたのを思い出した。


 彼女自身は本来、アイドル声優としてではなく、演技力で勝負をしたいと言っていたが、実際はそうもいかないのが現状だと嘆いていた。


「でも、あれだね。さゆは仕事順調なんでしょ?」


 ゆらぎは冬馬と同じカフェラテを注文し、向かい合わせで席に着く。


「うーん。どうだろ? 事務所の指示に従ってるだけだから……。ゆらぎはどうなの?」


「ちょっと、ね。色々あって……最悪、事務所辞めようかと思ってる」


「え? なんで? もしかして、待遇悪いとか?」


 別段、事務所の待遇が悪いわけではない。

 個人的には寧ろ、厚待遇だと思っている。


「そんなんじゃないけど……」


「んー。お互いに訳アリかー」


 冬馬は頬杖をついて、ふて腐れた表情をする。


「あのさ、ゴールドセブンって悪い噂とか聞いたことある?」


「セブンの悪い噂? 事務所自体大きいからねー。あるっちゃあるんじゃない?」


「ああ、やっぱり……」


 思い当たる節は色々と有るが、やはり一番大きいのは、約一ヶ月前に、ゆらぎが突如として抜擢された作品のことだろうか。


 あの作品は本来、ゴールドセブンの所属声優が、出演はずだったという噂も最近になって、チラホラと耳にした。


 それを弱小事務所のシルバーフェザーに横取りされたなら、相手側が敵視するのも頷ける。


「まあ、あれだよ。何かあったら、今の事務所を辞めて、少しの間フリーでさ迷った後に、移籍したらいいんじゃないかな」


「すでにペケが付いてるから、もうどうにもならないよ。きっと」


 あんな大手事務所に目を付けられたら、お仕舞いだということは、自分が一番よく分かっている。


 しかも、私は新人だ。潰すのなんて一瞬。

 声優生命は簡単に終わってしまうだろう。



 結局、冬馬に話を聞いてもらっても、根本的な解決にはならなかった。


 なら、真実は本人から聞くしかない。


 そう。緑川に。


 事実を話してくれるかは分からない。

 けれど、いつまでも燻り続けるくらいなら、当たって砕けた方が心の平穏を保てる気がする。


 寮の廊下を歩いていると、収録終わりの黒瀬と出会う。


「あ。お疲れさまです」


「ああ、お疲れ。赤坂が探してたぞ」


「え? 分かりました」


 赤坂からの久しぶりの呼び出しに、少し緊張する。


 もしかして、ゴールドセブンについて、何か新たな情報が得られたのだろうか。


 ゆらぎは早歩きで事務室に向かった。

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